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2月22日(月) 旧小正月 猫の日 旧暦1月15日
信じられないことにスタッフのPさんは、この桜の葉を剥いて捨ててから食べたのである。 止めるヒマもなく葉を流しに捨ててしまったPさんにわたしたちは唖然とした。 文己さんは、「捨てるならわたし、それも食べたかったです。。。。」とぽつり。 (わたしだって、、、)と、皆思った。 「葉をたべずして、いったい……」 しかし、強要はできない。 Pさんは、この道明寺や桜餅が少し苦手であることを知った次第である。 髙柳克弘さん、神野紗希さんご夫妻に玉のような(と言ってもまだ拝眉していないけど、きっとそう)男の子が生まれた。 2月16日のことである。 母子ともにお元気とのこと。 おめでとうございます! 名前はなんというのかなあ、 お二人で頑張って子育てをしてください。 子育てって、子どもを育てる、というより親が鍛えられる、っていう気がする。 わたしもけっこう鍛えて貰った。 いやこれからもまだまだ鍛えられそうで、気が抜けない。 もうけっこうです、って言いたいところだが、、、、、 新聞記事をいくつか紹介したい。 今日の朝日新聞の「風信」は、前北かおる句集『虹の島』を紹介している。 水温むふと口笛が吹けさうと 前北かおる 2児の父であり高校教師である37歳の日常。4年間の軌跡をまとめた第2句集。 昨日の讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、室千寿子句集『風薫る』より。 水底のいのちの気泡水温む 立春をすぎて光が明るくなると、すべてのものの命が動き出す。川や池の水が温んでくるのもそのひとつ。作者は水底の石についた小さな泡を見つけた。春を迎えて水そのものが息をしはじめたかのような泡である。句集『風薫る』から。 2月20日の小川軽舟さんによる「俳句月評」では、二つの句集が取り上げられている。山尾玉藻句集『人の香』(角川書店)と稲畑康太郎句集『玉箒』である。タイトルは「自分らしく」 俳句雑誌の主宰は妻や子が跡を継ぐことが少なくない。いわゆる世襲である。ただし、継ぐのはあくまで雑誌の経営であって文学ではない。家族といえども文学においては個々人。影響は受けても別の人格である。そのなのに世の中は文学の後継者だと見たがる。そこに後継者の苦労がある。 岡本圭岳の創刊した「火星」が80周年を迎えた。圭岳は生前の子規に師事した一人。現在の主宰である山尾玉藻はその娘だ。「火星」は圭岳からその弟子であり妻となった差知子、圭岳が還暦を過ぎて授った玉藻へと引き継がれきた。 玉藻の句集『人の香』を読む。 寒戻りけり水底のごはん粒 だんご虫掃いて迎火支度せり 歴史のある雑誌を継いだからと気負うことなく日常を足場にするところに玉藻らしさがある。(略) 日が月をゆつくり送る余り苗 ばつてらや川筋は灯のなつかしく 父も母も、そして夫亡き今、それでも愛する大阪で俳人として歩む覚悟がおおらかに詠われている。近代俳句の隆盛は高浜虚子の「ホトトギス」の発展に始まる。それだけに「ホトトギス」の圏外にあった「火星」は俳句史において語られることが少ない。 年立ちし欅の机払ひけり この句にはそのような俳句の家を継いだ玉藻の静かな決意を感じた。 さて、「ホトトギス」はといえば虚子が主宰となってから実に百十七年。今は虚子の曾孫である稲畑廣太郎が虚子から数えて四代目の主宰だ。俳句の世界の「ホトトギス」主宰は歌舞伎の団十郎の大名跡。しかし廣太郎にも力みはない。自分の俳句は自分の俳句と割り切った軽やかさがある。句集『玉箒』を読んでみよう。 古簾越しに女将の真顔かな 店で愛想のよい顔しか見せない女将が思案に沈んでいる。 寒紅はピンク勝負服は真紅 胆食うて河豚に中りし女かな 低俗すれすれだがこの世の女たちの生きざまに廣太郎は執する。 その日よりアメリカは友花水木 戦艦の生れしドック小鳥来る 戦後の歴史を晴れ晴れと肯定して日本人の心根の一面を捉えている。 仇討を涼しく語る鼓かな 手に取りて木曾の檜の椀涼し どちらの句も季語涼しの使い方に惹かれる。家に伝わる型を自然に舞ったようなよさがある。 世襲の好例として飯田蛇笏、龍太親子が語られることが多いが、高潔をよしとした龍太は自分の老いを前に「雲母」を終刊にしてしまった。 芋を食ひ短詩型文学を詠む 自分は自分らしく俳句を詠むだけだ。この句から廣太郎のそんな声が聞こえてくる気がする。高潔と通俗は俳句の両面なのである。
by fragie777
| 2016-02-22 19:07
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