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2月18日(木) 雨水(うすい) 旧暦1月12日
ボールをぶつけたあとが沢山ある。 中学生くらいの男の子かなあ、見上げているとその姿が浮かんでくる。 わたしの出身は男女共学の公立の中学校だったので、中学生くらいって男子も女子もスポーツができる子は花形だった。 とくにバスケットボールをしている男子なんてファンが大勢いてうっとりと眺めている女友達もいたな。 運動ができるということ、身体能力に秀でているということ、そういうことにわたしはあまり興味がなかった。特別な魅力としてアッピールしてくるものでもなかった。 私自身も身体能力はからっきしダメで、じゃ、なにかできることはあったのか、って何にもなくて、ただひたすらぼんやりしていたかもしれない。 そう、ぼんやりしていたのだ。 しかし、この冴えないぼんやりした女子をいじめる人間もいなくて、ぼんやりはぼんやりで許されたいい時代だったのかもしれない。 いまはぼんやりはしていなくってよ。 アール化が激しい肉体を鞭打って日々仕事に励んでいるのである。 身体能力がいまいちなのに、車だって運転しちゃうんだから、ま、えらいでしょ。 しかし、である。 小さい頃培われたものというのは恐ろしいもので、頑張っている日々でもときどきわたしはぼんやりしていることがある。 この「ぼんやりする」とはどういうことか。 それは時間を生産的なことに用いず、ひたすら無為に過ごすことである。 これ、わたしの隠された特技である。 「無為に過ごす」 いいじゃあないですか。。。 そして、ああ、なんと無為に過ごしてしまったんだろう、と嘆くのである。 ひょっとすると、これって人間の特権かもしれない。。。。 ということで今日のブログはおしまい。 読んできて、なんだこれって腹がたったあなた、 役に立たない無為(?)なブログでごめんなさい。 じゃ。 追伸。 「無為」とは何か。 私の場合は、広辞苑の③番目の意味のことだから。 時間からこぼれていたり葱坊主 橋 間石
by fragie777
| 2016-02-18 19:03
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