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1月5日(火)
ふらんす堂は調布市仙川町にある。 そして、仙川という川はこのように調布市を流れているのである。 日常生活ではあまり目にすることがないので、この川の存在を忘れていることが多いのだが、仙川はちゃんと存在する。 この写真は元日の仙川。 散歩しながら写真に撮ったもの。 ときどきこの川には白鷺が降り立つこともある。 仙川の真清水いよよ滾々と 深見けん二 「祝 ふらんす堂事務所」という前書があり、深見先生よりいただいた一句である。 深見先生は、この仙川のことをちゃんとご存じで、このような句をくださったのである。 もうすぐ刊行がなる『深見けん二俳句集成』に、この句はもちろん収録されている。 わたしたちにとって記念すべき大切な一句である。 友人のフランス文学者の高遠弘美さんが、ふたたび文楽太夫「竹本住太夫」の本を出された。 今回は、明治大学でともに教鞭をとる福田逸さんとの共著であり、お二人がインタビュアーになって住太夫さんからお話を聞くというもの。 『七世 竹本住太夫 わたしが歩んだ90年』(講談社) キャッチコピーに「文楽界初の文化勲章受章」とある。そうなのか。 高遠さんにとっては、『七世竹本住大夫 限りなき藝の道』(2013 講談社)につぐ竹本住太夫についての二冊目の著書となる。 今回は全体を四章に分け、「幼少時代」「青春時代」「修業の時代」「円熟の時代」を住太夫が思うがままに語るという形をとっているのだが、まずは90歳を超えんとする竹本住太夫の記憶力のすばらしさに驚く。詳細なまでに幼少の頃のことなどが関西弁の柔らかな語り口で綴られていく。住太夫の語ることばをとおしてすでに失われてしまった時代の風景がまざまざと甦って来る。 かなりの大冊であるが、活き活きとした話しぶりに魅了されると同時に闊達な物語の世界に引き入れられていくような面白さがある。 七世竹本住太夫という人間とその背後にある時代を知る上でも貴重な一冊となることは間違いないと思う。 わたしもかつて文楽で、竹本住太夫の浄瑠璃をなんべんか聴いたことがある。 やや高い声で惻々と心に迫るものがあった。 でも、きっとこんな感想じゃ高遠弘美さんは満足しないと思う。 高遠さんの住太夫さんへの思いはそれはもうハンパじゃない。 魂をこめて全身全霊で賛美しておられるのである。 忙しい時間をぬって、まさに「おっかけ」をしておられた。 高遠さんはいまプルーストの「失われた時を求めて」の訳に取り組んでおられる。 すでに三冊が文庫本として世に出た。 パリでの二年間の遊学を終えて去年帰国され、この『七世 竹本住太夫 わたしが歩んだ90年』を上梓、そしていまはプルーストである。 まもなく四冊目も刊行になることだろう。 それも楽しみだ。 今日の毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」は、尾崎淳子句集『只管ねむる』より。 冬ぬくし背を向け合って老いてゆき 尾崎淳子 「冬ぬくし」「暖冬」などの季語は、冬でありながらも暖かいこと、すなわち、暖冬をめでている。近年、地球温暖化で暖冬になることが多く、農作物などに影響をもたらしている。その気象上の暖冬と季語「暖冬」とは微妙に異なるのだ。今日の句、対立(自立)しながら老いる夫婦を季語「冬ぬくし」がやわらかに肯定している。 今日の「増殖する歳時記」は、土肥あき子さんによって山崎祐子句集『葉脈図』より。 子の声が転がつて来る雪の上 山崎祐子 小中学校の冬休みは地域によってまちまち。それでも今日はまだどこも冬休みである。三ヶ日やお年始というおとなしくしていなければならない大人の行事への付き合いも終わり、普段通りに思いっきり遊べる日がやってきた。子どもというのは遊べる日というだけで心は躍る。おまけに雪が積もっているとなれば、大喜びで飛び出していくことだろう。掲句の遊びはソリなのか、雪合戦なのか。どちらにしても、いつもよりスピードを感じさせ、通り過ぎてゆく声である。子どもの声の高さや笑い声を「転がつて来る」としたところで、雪玉がだんだんふくらんでいくような楽しさにつながった。〈形見とは黴に好かれてしまふもの〉〈風鈴を百年同じ釘に吊る〉『葉脈図』(2015)所収。 ほんとうに冬あたたかな日々である。 雪が降るなんて今のところ信じられないけど。。。。。。
by fragie777
| 2016-01-05 18:47
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Comments(2)
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