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11月20日(金) 旧暦10月9日
冬空にはっとして見上げることの多い花である。 落葉の季節となり、歩いて5歩の雑木林を誇る(?)わが家でも神さまは平等に存分に落葉を降らせたもう。わたしはほとんど落葉を掃くということはしないのだが、(というか目先10ミリしか見えないから気づかないよ)時々掃く人間の弁によると、玄関の門のところの決まった位置に必ず落葉に交じって煙草の吸い殻が2本捨ててあるというのだ。わたしの家では誰も煙草を吸わない。わたしは通りすがりの人が吸い殻をポイッと投げ捨てて行くのだろうくらいにしか考えていなかったのであるが、いつも決まった場所に2本必ずある、という。 (誰かがわが家を見張っているのか!煙草を吸いながら……) (まさかね) だって昼間はわが家はほとんど誰もいない、のである。 誰もいない家を煙草をきっちり2本吸って見張っているとは、 わが家にいったい何の不思議があるのか。 なにもありはしない。 老嬢となりつつある猫が二匹いるだけである。 なにかあるのだったらわたしが知りたいくらいだ。 二本の煙草の謎、、、、、 いや、待てよ。 ひょっとしたらわが屋根裏にひそむ人間のなせる仕業か。。。。。。(←前にブログでちょっと書いたあの音の正体) ジャーン!! 『沖季語別選句集』た』についてすこし紹介したい。 俳誌「沖」(能村研三主宰)の創刊45周年を記念して刊行されたものである。 現「沖」の同人、会員のみならず過去に所属した俳人の作品も収録した内容豊かな一冊。 かつて「沖」門であり、いまは「沖」より独立し活躍している俳人は多い。またすでにそういう方々で逝去された俳人もいる。「沖」門下であった俳人の作品も収録した多彩な一冊となった。 【冬の星】より 峡眠る冬の銀河の尾に巻かれ 森岡 正作 星冴ゆるギリシャの神をちりばめて 堀口 希望 まばたきは瞬の黙禱冬銀河 林 昭太郎 数式はうつくしきかな冬銀河 阿部眞佐朗 レコードに針を置く音冬銀河 荒井千佐代 摺貝をはめ込んだやう冬銀河 稲垣 尤子 寒星を射抜くわが眼の澄みにけり 今瀬 一博 枯れてこそ見ゆるものあり冬銀河 内田 順治 日付け無き家族写真や冬銀河 大川ゆかり 冬銀河窓は宇宙の始発駅 岡 真紗子 鉄塔は夢の架け橋冬銀河 小川 流子 地下鉄に息つぎありぬ冬銀河 小嶋 洋子 調絃の音胸に満つ冬銀河 朝長美智子 凍星をあまたちりばめ長寿村 長岡 新一 星冴ゆる天空にわれ居るごとし 宮野 稔子 群青のグーグルアース冬銀河 矢崎すみ子 冬銀河本気で生きて仮の世や 高橋 ちよ 死をもつて消息わかる寒の星 能村 研三 坂のぼり寒星もいま荒息す 林 翔 【枯木】 裸木や億光年の星の花 古山 智子 裸木や眠ればちから湧くからだ 細川 洋子 無一物否無尽蔵大枯木 岡崎 伸 落日の吾もひと色枯木道 五十畑悦雄 シンプルな生き方もよき枯木立 石橋みどり 裸木の寒風摩擦真つ最中 内山 照久 裸木の登つてごらんといふ姿 甲州 千草 裸木となりて真価を問はれけり 根本 世津 裸木や千手観音御座します 矢野美沙子 裸木に風の棲みつくけもの道 藤森すみれ 一念のどこか気の合ふ枯木立 松井 のぶ 棒つきれ振つて下り来し枯木山 広渡 敬雄 裸木となりても朴の位あり 能村 研三 裸木を肌色に染め朝日さす 林 翔 道ふさぐこの傲岸な一枯木 能村登四郎 そして、 メロン買ひわが体温の紙幣消ゆ 福永 耕二 「昔をとこありけり」吾は夏瘦せぬ 鈴木 鷹夫 青年や消えゆくための秋の虹 正木 浩一 白菜を割る一濤の迫るとき 小澤 克己 汗ひいて孤立無援といふしづけさ 坂巻 純子 しをりとはほそみとは瀬の河鹿鳴く 森山 夕樹 聞き耳の血の冷えてくる籠枕 中尾 杏子 もめごとの後の籘椅子とは知らず 北村 仁子 十三夜わが影まざと杖が添ふ 久保田 博 北鎌倉駅の初風なりしかな 松村 武雄 なつかしい俳人の作品もあり、 小気味よく流されてをり遠泳子 今瀬 剛一 水鉄砲つくり笑ひを狙ひけり 大島 雄作 雀隠れ芭蕉李白の時間ほど 大関 靖博 いい風が出て箱庭の完成す 大牧 広 物書けとみどりの届く一机あり 鈴木 節子 天使魚の愛うらおもてそして裏 中原 道夫 試験開始三分前の黒揚羽 波戸岡 旭 月餅の中の漆黒鉦叩 正木ゆう子 鬼百合に北条の血のありにけり 森岡 正作 自転車を突つ込んである冬の藪 吉田 汀史 「沖」をはなれて活躍している俳人の方々の作品もある。 45年の結社の歩みのなかでいかに多くの力ある俳人を輩出してきたか、本集はそれを如実に物語っている。 また、2010年に『能村登四郎全句集』をふらんす堂より刊行したが、本句集には残念ながら季語索引が収録されていない。能村登四郎の遺志をついで収録しなかったのであるが、本集によって季語をとおして能村登四郎の作品に触れられるというのも魅力である。 登四郎先生、とても面白い独特な句をつくっておられるのだ。 いかに能村登四郎という俳人が独自なスタイルをもった俳人であったかをし知ることができるのも面白い。林翔の作品も多く収録されているのもいい。 本句集をとおして、「沖」という俳句結社が俳句史においてひとつの潮流をつくってきたということもわかるのではないだろうか。 45年という歳月は多くの才華ある俳人たちを輩出するのための豊饒な歳月だったのだ。 最後に【去年今年】より。 卵割ればカラザ引き合ひ去年今年 千田 百里 石筍のひそかに育つ去年今年 佐々木よし子 去年今年汀に生くるものの泡 千田 敬 機内食和食で今年始りぬ 松下 秀夫 三面鏡のどのわが顔も去年今年 今泉 宇涯 家中の待機電力去年今年 阿部 順子 去年今年命惜しめと粥を炊く 佐野 敏江 去年今年同じ畳の上にあり 廣瀬 倭子 避難所にピアノが一つ去年今年 吉川 隆史 こま結び解けぬ絡みの去年今年 峰崎 成規 去年今年の父の形見のなかに我 小菅 暢子 マヤ文明改めて知る去年今年 松井 のぶ 迷ふなく素志を貫く去年今年 能村 研三 去年今年去年今年とて今更に 能村登四郎 ほかにも紹介したい俳人の方々がいる。ここで紹介仕切れないのが申し訳ない。 お許しを。
by fragie777
| 2015-11-20 19:43
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