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11月16日(月) 旧暦10月5日
小春日和の一日となった。 とこう書いても、実はわたしは午前9時20分より地面に足を触れていない。 外の空気も吸っていない。 仕事場の椅子の上でほどんどの時間を過ごしていることになる。 良いお天気らしいぞということは右手の窓からみえる僅かばかりの空とその風景によって推測した。外の温度はいったい如何ようだったか、存ぜぬ。 しかし、何ゆえ小春日和という言葉を自信をもって言い得たか。 それは朝、たまたま見ていた天気予報による。 ほとんど天気予報というものを見たり聞いたしないわたしであるが、今日は目をとめた。 「今日は暖かくなりますよ。日中の温度はおよそ710月中頃の気温となり、まさに小春日和の一日となります」 という天気予報士の言葉がわたしの耳に飛び込んできて、(おお、そうか今日は小春日和の一日になるのか)としっかりとインプットされたのであった。 というわけで、「小春日和の一日となりました」という書き出しで今日は葉書を1枚、手紙を1通、メールを7通出したのだった。 ところで本当に小春日和だったのであろうか。 このブログを書いている今は、外はもう暗闇が支配している。 外気の温度は寒いのかあたたかいのか、床暖房をつけている仕事場ではわからない。 小春日和じゃなかったぞ、と言ってわたしを責め立てる方がいないことを祈るのみである。 さて、13日の讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、田宮尚樹句集『龍の玉』より。 戦車より冬空へ顔出しにけり 田宮尚樹 戦車は鉄の甲羅。自動車も電車も飛行機も側面に出入口があるが、戦車や潜水艦はてっぺんについている。出るときは空へ出てゆくことになる。青い冬晴れの空だったのだろう。「自衛隊姫路駐屯地」と前書がある。 今日の毎日新聞の新刊紹介には、俳句日記2014 小川軽舟句集『掌をかざす』が紹介されている。 昨年、ウェブサイト上に連載された日記で、一日一句にコメントが添えられている。リアルタイムで発表されたものが一冊にまとまると、エッセイを読むような楽しさが加わる。 俳人の中岡毅雄さんが、共同通信発信の連載「俳句月評」にふらんす堂刊行の句集三冊をとりあげて紹介をしてくださった。 若々しい句境を保ちつつ、活躍している女性俳人三人が、ふらんす堂から新刊句集を上梓した。いずれも表現が手堅く、みずみずしい叙情を感じさせる。 石田郷子句集『草の王』は、平明な中に、柔軟にして無垢な感受性を示している。 更衣してすらすらと読めるもの 「更衣」自体に、爽やかな雰囲気が含まれているが、スピード感のある読書から、清新なイメージが伝わって来る。 ふと開きふと閉ぢにけり秋扇 意識せずに秋の扇を開いたり閉じたりしている。「秋扇」という季語には、そこはかとない寂しさが漂っているが、更に、無意識な行為を通じて、読み手を淡い寂寥の世界へ誘ってくれる。 くるぶしの清々しくて草いちご くるぶしを清々しいと捉えた詩心には、心惹かれる。一方、「草いちご」は夏の季語。実は熟すと赤くなり、食べられる。草苺は、くるぶしのあたりに、実っていたのだろう。一句は、的確な季語を配置している。 大石香代子句集『鳥風』には、ほのかな寂しさを表す一方、技法的に堅実な句を多く見出すことが出来る。 われに永き水棲のころ夕螢 「水棲のころ」というのは、産まれる前に母親の羊水の中にいたことを指すのだろうか。それとも、イマジネーションによる虚構の産物なのだろうか。いずれにせよ、「夕螢」の季語から、幻想的で幽玄な時空が立ち上がってくる。 スタートの永き一秒雲の峰 時の感じ方は、置かれた状況により変化するものである。短い時間が長く感じられたり、その逆の場合もある。季語「雲の峰」は、一瞬の時の流れを、大きな空間に導いている。 杉山久子句集は、『泉』。杉山は1966年生まれ。俳句の世界では、新人と呼ばれて良い年齢であるが、句歴は長い。虚実がブレンドされた佳句が見られる。 白南風や鳥に生まれて鳥を追ひ 「白南風(しらはえ)」は、梅雨が明けるころ吹く南風のこと。中七以下の内容は、宿業のようなものを感じさせるが、季語が一句を優しく包み込んでいる。 凍星や浄き棘もつオルゴール 澄明な句。「浄き棘」という表現が繊細である。 ブログを書き上げても、今日はこれからさぼっていたことにトライしなくてはいけない。 まだまだ地上に降りられそうもない。
by fragie777
| 2015-11-16 18:41
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