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9月9日(水) 草露白(くさのつゆしろし) 旧暦7月27日
病院の整形外科(美容はつきません)へ予約を入れてあった、と今朝気づいた。 予約時間にはまだ間にあう。 急いで支度をして車を飛ばした。 予約票を受け取ろうとカードを機械に入れたところ、対応出来ないから窓口へ行けという。 で、行ったところ、「お客さまは来週の水曜日となっています」と言われた。 iPhoneのカレンダーを確認したところ、まったくその通りだった。 どうして先にカレンダーを確認しないのか、って、 フフン、 それがわたしなのよ。 新刊句集を紹介したい。 石田郷子句集『草の王』(くさのおう)。 前句集『『木の名前』に次ぐ第三句集となる。『木の名前』が2004年6月の刊行であるから、11年ぶりの刊行となる。 「木語」終刊、父の死、そして「椋」創刊という、忘れることの出来ない年からもう十一年、ようやく句集をまとめることができました。 と石田郷子さんは「あとがき」に書いている。 「草の王」とは、「春に咲くケシ科の野草」で比較的どこにでも見られるものだ。鮮やかな小さな黄色の花をつけ茎を折ると黄色の液体がにじみる。この液に毒性があり薬草にもなるということ。 「草の王」という句集名は、いかにも石田郷子という俳人に合っていると句稿を貰ったときにとっさにそう思った。 「考える葦」としてではなく、「草の王」としての石田郷子。 「考える葦」としては、石田郷子はあまりにもロックだ。 芋の露大いに波の立ちゐたる 大寒のわが耳鳴りを聞き澄ます 手の甲に蟻のひらりと乗り来たる まなぶたに雲雀の声の揚がるなり 大風や金魚もつともひるがへり あけがたの足音のやうな春の雨 柿落つる音に眼をくわつと開く だんだんにみな横顔になる桜 草取の人の大きく立ちあがる 伊予柑を剝くとき痛し腱鞘炎 まなかひに大いなるべし冬の星 少年の投げつけしもの蟬の殻 振りかぶる星空のあり年の果 狼のたどる稜線かもしれぬ 手垢のつかない弾力のある表現、しかし表現のための表現ではなくどれも生活から発したものだ。自然体である。 人間は生きていくなかでいろいろと武装していく。 それは教養であったり社会的な地位であったり、経済的な基盤であったり、あるときは常識や知識であったりするわけだが、石田郷子という俳人はそのどれからも自由だ。彼女の関心事は、彼女をとりまく草木や動物たちとそしてささやかな日常の日々だ。 そんな決してカルティベートされない魂をもつ石田郷子を俳句が捉えた。 俳句の神に選ばれたのだ。草は俳句の象徴とすれば、まさに「草の王」である。 素晴らしいのはそのことを石田郷子という俳人は自意識として持っていないということだ。 ただ自分自身を濁らせるものからつねに自由でありたいと思っている。 作品は、思わせぶりも気どりもなく清々しいほどの直球だ。 省略が効いていて定型のなかで自在である。 まみえけり青水無月のなきがらに みみなぐさ目覚めよき人ここへ来よ 髭振つてゐるこほろぎの怖ろしき トースターちんと鳴つたる枯木かな 教会のやうな冬日を歩みをり 紫蘇の花こぼるる色を見せにけり 水仙の小さなかほの犇めきぬ 朋友を鳴らぬ草笛もて迎ふ 星空や牡蠣の大粒たべてきて 雛の客猫の頭突きをくらひけり 更衣してすらすらと読めるもの 紙漉の主も客も髭をとこ 老鶯にことごとく開け放ちたる とことはにラムネの瓶の厚きこと 若水を夫汲みくれよ星あかり はこべらの冷たさに手を置きにけり つぎつぎに時雨忌の傘たたみ入る 湖に大き波くる冬支度 罅一つ深く大きく鏡餅 芽吹山眼鏡かけたりはづしたり つばくらの子とおかつぱの女の子 十薬を干す執念は持ちあはす 眠りたきときは眠りて一冬木 武装をしない生身の人間としてつねにあるということ、それは身を太らせるものを振り払い振り払いしていくことだ。 だからロックなんだとわたしは言いたい。 毎朝のように霧に覆われ、野生の動物たちの気配が濃厚なこの谷間の地で、これからも椋の人たちとともに俳句を作ってゆきたいと思います。 「あとがき」の言葉である。 野生の動物たちの気配を感じ、その心音に耳を研ぎ澄ます、そんなとききっと石田郷子さんは充分に幸せなんだと思う。 装幀は和兎さん。 作品世界にふさわしいようにシンプルかつ斬新なものをと心がけた。 見返しも白の紙であるが、ここのみ材質を変えた。 作品のみが目に飛び込んでくるように、できるだけシンプルにした。 この本を持っている方は、是非に頁をひらいてこの緑色の綴じ紐がみえるところを見つけて欲しい。 うまく行かなかったが、わたしたちのささやかなこだわりである。 「うまく行かなかったけど、こだわったのよ」って言ったら、「あはははは…」って明るく笑った石田郷子さんだった。 王冠が『草の王』を祝福している。 一月の海原といふ目を上ぐる 帯に用いた一句である。 この句のもっている荒々しい晴れやかさ好きだ。 「一月の海原」とは太古の海原のように思えてくる。 年のはじめの海でもあり、地球のはじまりの海でもあるような。 厳しく荒々しい海原に向き合う人間、「目を上ぐる」に晴れやかな挑戦をみる。 気魄に充ちた一句だと思う。
by fragie777
| 2015-09-09 20:49
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