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8月10日(月) 旧暦6月26日
林の暗い奥に群生して咲いている藪茗荷はとても幻想的である。 これは今日お電話を下さった俳誌「蘭」の松浦加古主宰にうかがったお話である。 夏の炎天下のある日、出来上がった『野澤節子全句集』を持って、「蘭」の同人の吉澤やす子さんは、野澤節子の墓をひとりで訪ねた。 お墓は横浜市鶴見区の総持寺である。 吉澤さんは、お墓をきれいに掃除をしお参りし、墓前で全句集をひらき山本健吉の文章と大野林火の文章を朗読した。 すると一匹の揚羽蝶が舞い降りてきたという。 それはとても美しい蝶であったということだ。 「鳳蝶だ! ああそれはきっと野澤先生ですね。」とわたしは思わず叫んでしまった。 この蝶をどう理解しようとも美しい話だとわたしは思う。 吉澤やす子さんは、今年ふらんす堂から句集『しもつかれ』を上梓され、『野澤節子全句集』の編集にも尽力を惜しまなかったお一人である。 はるけき師を思う心をもって、暑い盛りにその墓をたずねその全句集を墓前にささげて朗読するという、その心がわたしにはとても尊いものに思える。 野澤節子の魂が一匹の美しい鳳蝶となって、そこに舞い降りてきてもなんら不思議はないのだ。 あたたかなものが胸に充ちてくる、そんな思いにとらえられたお話だった。 その『野澤節子全句集』が、今日の毎日新聞の新刊コーナーで紹介されている。 牡丹雪しばらく息をつがぬまま 昭和を代表する女性俳人のひとり、野澤節子は1995年に75歳で死去。遺句集を含め8冊の句集を収める全句集が没後20年を経て刊行されるに到った。年譜のほか初句索引、季語索引があり、資料として貴重である。 おなじく新刊コーナーで大石香代子句集『鳥風』(とりかぜ)が紹介されている。 露けしや漱石のペン子規の筆 第3句集。02年以降ほぼ10年間の作品であり、自身の世界を過程を見せている。取合せの妙味を感じさせる作品が多い。 今日の朝日新聞の「うたをよむ」は「七十年目の夏」と題して、西村麒麟さんが、俳人八田木枯についてまたその作品について書いている。紹介したい。 八田木枯さんは3年前に87歳で亡くなった俳人で、僕が出会った中では最高の俳人の一人だ。亡くなる直前の一年間しかお目にかかっていないが、句会での印象は強烈だった。8月には原爆忌、12月には開戦日の荒々しい俳句を出されていた。米寿まで生きてこられても戦争と言うものがどろりと身体の中に染み付いていることに強く驚いた瞬間だった。 戦友にばつたりとあふ蝉の穴 戦中にころげまはりしラムネ玉 戦死して蚊帳のまはりをうろつきぬ 生者より死者暑がりぬ原爆忌 終戦忌負けてよかつた負けいくさ 『八田木枯全句集』から掲げた。 僕は広島で18まで育ったので、学校では毎年原爆の映画を観、平和学習の時間には山のように作文を書いた。しかしそこにはリアルが無い。たかだか70年ほど前のことであるのに現実味が無いのだ。日清戦争や日露戦争にいたっては教科書の中の出来事であり、実に遠い。太平洋戦争もまたそのように薄れてしまうのかと思っていた。しかし、木枯さんと接したことにより、僕の中に何かが宿った。それは木枯さんの心の底の思い出であり、この国の確かな記憶でもある。僕には見えていなかった。見えない事は見なくても良い理由にはならない。 あはやあはやの日本一億玉砕忌 「鏡」第二号に14句掲載された句の中の一句。タイトルは「六十六年目の夏」とある。木枯さんなら「七十年目の夏」を必ず俳句にしたに違いない。 8月は重くて良い、重い方が良いのだ。 おなじく朝日新聞の8月5日の名古屋版のおいて歌人の萩原裕幸さんが、現代俳句文庫78『武馬久仁裕句集』を紹介している。 現代俳句文庫の一冊として『武馬久仁裕句集』(ふらんす堂)が刊行されている。既刊の句集『G町』『貘の来る道』『玉門関』からの抄出に、句集未収録作品を加え、評論を添えて、一冊にまとめている。著者は、小川双々子を師として俳句をはじめている一人で、現代の俳句の未踏の領域を探るような作品を書き続けている。現代俳句文庫への収録で、その活動が多くの人に概観できるようになった。 午前零時のサラリーマンは木に登る 三月の角を曲がれば印度洋 飽きもせずあなたの骨を眺めている 遠回りしても十年後は闇 履歴書にある川の深さを測る 思い直して青い石買う南京路 新緑のあちこちにある大扉 作風は、自由自在と言っていいだろう。ユーモアもあれば、しっとりとした情感もあり、有季にもさほど強くこだわっている様子はない。定型についても許容範囲は広く、自由律に近い作品がある。俳句を広く見渡せば、さまざまな作風があるのは周知のことながら、この著者ほど、幅広く、自在に作風を展開している人は稀だろう。著者は初学の頃、師の小川双々子から「一つは大したことはないが、並べるとおもしろいなあ」と言われたそうだ。並べるとおもしろい、のは、その頃から変わらぬ作品世界の幅の広さのゆえだったのだろう。 午前中にひとりお客さまがいらっしゃった。 いま句集の刊行をおすすめしている山本三樹夫さんである。 山本さんは、俳誌「百鳥」の同人会長さんである。 スタッフのPさんが対応。 お父様がホトトギスで俳句をやられていた影響で子どもの頃に少しやっていたという山本三樹夫さん。 「大人になって、波多野爽波の「青」に入りそこで俳句をまなびました。「寒雷」で楸邨の選を仰いでいたこともあります。その後、作句の方向性に悩んでいたところ、同年代で活躍されていた大串章先生が「百鳥」という結社を立ち上げることを聞いて創刊から入会しました。 大串先生も「青」の時から名前を知ってくださっていて、結社に参加したことを喜んでくださりました」と山本さん。 第一句集となるこの度の句集は「百鳥」時代の句をまとめたものである。 「百鳥」に入ってからご病気の奥さまを10年間看病されたということ。 「句会にこそ出られなかったが、投句を欠かしたことはありません」と明るくおっしゃったのだった。
by fragie777
| 2015-08-10 19:34
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