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6月19日(金) 旧暦5月4日
うんざりした顔で雨を眺めていた。 「ホント、雨っていやよねえ」と話しかけたのだが、 わたしは地球上に一瞬たりとも存在しないがごとく無視された。 「写真撮るわよ」ってカメラを向けたのであるが、 ご覧のとおりの目線である。 (この世の所在なさをことごとく背負っているようなこの感じ……) 今日のわたしは、こうして犬のこころもとらえることができずに一日が終わろうとしている。 まっ、 家に帰って愛猫になぐさめて貰うか。。。。。 さて、 去る6月6日(土)に小野市において小野市詩歌文学館賞の授賞式が行われた。 短歌部門においてふらんす堂より歌集『亀のピカソ』を刊行した歌人・坂井修一氏が受賞された。 なお俳句部門は、大峯あきら句集『短夜』である。 ふらんす堂のスタッフはこのお祝いの会に伺うことが出来なかったので、受賞者の坂井氏より資料を送っていただいた。 このブログで紹介したい。 小野市詩歌文学賞というたいへん大きな賞をいただくことになり、心から喜んでおります。この歌集を評価してくださった審査員の皆様、小野市の皆様、お忙しい中今日ここにいらしてくださった皆様に、心からお礼を申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。 『亀のピカソ』は、短歌日記ということで、一日一首、三六五首の歌で二〇一三年の毎日を綴ったものでした。実際は、日記の形を借りて常なる思いを吐露したところが大きかったと思います。これまでやらなかった主題の開拓、新しいレトリックへの挑戦、抒情と思索のせめぎあい、詞書と歌の関係再構築など、ここでさまざまな試みをいたしました。 それは、古今東西の文学芸術また芸能歌謡を引きながら、日々の楽しみを深め、苦しみを和らげようという魂胆・色気の産物でありました。大伴家持に「悽惆の意、歌にあらずしては撥ひがたきのみ」という言葉がありますが、その延長上の真理かとも思います。そのため、帯にもある通り、猥雑で奔放な自分を歌うに躊躇を欠くところもあり、言葉の満ち欠けも大きい作品集となりました。いささか恥ずかしく、それゆえに愛しい思いを作者としてもっております。 移り変わりの激しい二十一世紀の日本にあって、それでも人間としての本性を尽くさざるをえないのが私たちなのでしょう。この時代、経済の発展も大切なのでしょうが、日々の感情生活の充実はそれ以上のものと思います。私の歌が、今もこれからも、「人間としての本性」に添うものであり、同時にこの時代と切り結ぶものであることを強く願いながら、歌っていきたいと思います。 本当にありがとうございました。 坂井修一氏の「受賞のことば」をご紹介した。 あらためてお祝いを申し上げたい。 昨年の小島ゆかり歌集『純白光 短歌日記2012』の受賞につづくものとなったのは嬉しい。「これまでやらなかった主題の開拓、新しいレトリックへの挑戦、抒情と思索のせめぎあい、詞書と歌の関係再構築など、ここでさまざまな試みをいたしました。」とご挨拶されているように、「短歌日記」というこの試みが、歌人にとって新しい実験の場となったということも企画側としては良い手応えである。 「短歌日記」という形式の歌集が受賞することによって、歌集としても優れたものであるいうことが証明されたことも版元として嬉しい。(ひとえに著者のお力によるものですが) では、2013年の今日の日記を紹介しよう。歌集『亀のピカソ』より。 6月6日(水) 桜桃忌。太宰の忌日ではなく、遺体の発見された日。たまたまこの日が彼の誕生日だった。 さくらんぼ梅雨のしめりに光りをりさよなら昭和の日本のひかり そうか、今日は桜桃忌だったのだ。 そういえば、今日の「俳句日記」で片山由美子さんも詠んでいたことを思い出したのだった。 太宰治のお墓は三鷹にある。 わたしは三鷹に住んでもう30年近い。 しかし、太宰のお墓にはまだ一度も行ったことはない。 大学生のときにさんざん読みふけった太宰だったけれど。
by fragie777
| 2015-06-19 20:12
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