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6月5日(金) 旧暦4月19日
いい顔をして笑っている。 わたしにとっては最も輝いていた時代のエルビスだ。 映画「ウエスト・サイド物語」のトニー役のリチャード・ベイマーと同じくらいコカ・コーラがよく似合う。 とこんなことを書いても、いったいどのくらいの人が共感してくれるかわかんないけどさ。 昨日の出勤途中のことである。 新刊紹介をしたい。 平岡公子句集『文の数かず』(ふみのかずかず)。 著者の平岡公子(ひらおか・きみこ)さんは、昭和13年(1938)京都市生れの京都市在住の根っからの京都人である。平成9年に俳誌「幡」に入会し、辻田克己に師事、平成15年「幡賞」を受賞されている。本句集は第一句集であり、辻田克己主宰が序を寄せている。「根っからの山好きで、槍・穂高はもとより、北海道は利尻から南は霧島の韓国岳に至るまで幾十の山岳を踏破」しておられる山女であるが、本句集には6句しか収録されていないとありその理由を本人にうかがうと「山は山、俳句は俳句、どちらかをどちらかに従属するようにはしたくない」とご本人は答えられたと序文にある。登山愛好家としての矜持は無論あったろうが、同時に興趣を感じ初めた俳句に対する畏敬の念と謙虚を感じ取って深く肯かされたのである。と辻田克巳主宰は書いておられる。 牧涼しついーんついーんと鳴く小鳥 青梅の葉に当りつつ落ちる音 切り株となりてひつそり年を守る 天地に音ひとつなく雪の朝 掌を桃のまろさに添はし剝く 花茣蓙の花に紛れし老眼鏡 N とあるのみ古日記読み返す ぐぐぐぎと深山の冬木哭くのです 缶焚火生国遠き男たち 梅雨深し六十二億乗せ地球 星もなき皐月朔日沖縄忌 文化の日朝から卵かけご飯 総じて耿らかに著者という人間のかけがえのない存在を感ずる。どの句にも脈脈と著者でなくてはという生の息吹を感じないではいられないのだ。(略) 俳句の成育は制作者全体の成育と無関係ではあり得ない。俳句ばかりに関っていても俳句が育つ訳はないし、年期や経験をいくら積み重ねてもそれだけでは俳句に深みや奥行の育つ保証は全くないだろう。自然を通し山岳で育んだ外、著者には自己を鍛え育んで来た暦日の過去とこれからが厳としてあることを知っている。その自己を静かに育み続けつつ益益俳句に関り続けて頂きたいと希うばかりである。 俳句に向き合う平岡公子さんの厳しさを良く見抜いた師ならではの序文であると思う。平岡さんは山登りのみならず俳句においても高きを見据える人であるが、本来的にもっている俳諧味があってそれは意図的になされたものでないのでじわじわと読者に迫ってくるように思える。 葛切りや神田生まれの嫁が来て これはなかなかすごい対決だ。つまりは京都人×江戸っ子の対決となる。いやあ、いくら威勢のいいい江戸っ子たりとも京都女には勝てるはずはない、とわたしなどは思ってしまうのであるが、平岡さんがこの神田生れの嫁さんをどう思っているかは、季語がすべて語っている。(とわたしは思う)「葛切り」である。あの透き通ったひやりとしたのどごしのよさ、そして黒蜜の深い甘さ。わたしは大好きな食べものだ。人間に優しい冷たさだ。神田生れの嫁さんとの関係は涼しくいい距離をたもっておられるのだろう。しかも歳時記によるとこの「葛切り」はもともと関東地方のものだったらしく西に伝わってからは日は浅いらしい。その「葛切り」を季語に据えたことによってもお嫁さんへのさっぱりとした敬愛も感じる。しかしこれは関東女であるyamaokaの脳天気な読みであって、京都人の心はもう少し複雑に読み解かないといけないとしたら、わたしにはもうお手上げ。 「葛切り」の季語によって京女と神田娘のバトルはすばらしく乗りこえられたと思いたい、と思うのですが、いかが。 ほかに、 ががんぼの本当の名を夫問へり 名画座のありし祇園や年暮るる 人日の瘦せる料理のお品書 アマリリスあまりに赤く敵意湧く 結び方教へてもらふ夏休み 曼珠沙華ひと寂しくて哄笑す 傷深くあり歳月の登山靴 泳ぎゆく蛇の速さに口渇く おでん酒美空ひばりが好きで好きで 生き急ぐこと何もなく柿を剝く 涼しさや鵲町に入りてより 骨董屋朝顔ひとつ忘れ咲き 星飛んでビジネスホテル泊りとす 穭田へアパート「日之出荘」の窓 子育てが一段落しました時、山歩きが好きだった私はアルバムに一句添えておくと面白いかなという単純な動機で俳句を始めました。雑誌などを読み自己流に情景を美しく詠むことに捕われていました。ある時図書館で辻田克巳先生の句『幡』 に巡り合いました。「集へるは俳の酒神(バッカス)神の留守」「七夕の竹となれずにやぶにゐる」 等々。俳句でこんなことが詠えるのかと大変驚き、全くの素人の私にも人間性の滲み出たお句柄とその底に静かに流れる「命」への慈しみの眼差しが感じられました。そして時にはふっと笑みを誘う魅力も。 「幡」に入会させて頂き十八年余、句座・句友の皆様の大切さを深く感じております。自分の足跡を振り返る意味でここに一句集とさせて頂きました。また手許に残る沢山の文、どれも捨てられるものはなく、句集名と致しました。 「あとがき」から引用した。 捨て難き文の数かず獺祭 句集名となった一句である。 本句集の装丁は君嶋真理子さん。 どういう装幀にするか、君嶋さんだいぶ苦心されたようだ。 転生を少し信じて草むしり 「少し信じて」というのが現実感があっていい。草むしりはうつむいきながらやる孤独な作業でもある。地面をみつめながらであるから、そう晴れやかなもんじゃない。一心に草むしりをしながらいったい何に生まれ変わりたいと思われたのかしら、平岡さんは。 そしてこの一句が本句集のなかで一番すきかな。 返信を待つ底紅は今日の花 「底紅」がいい。 返信をまつ心の深さが立ちあがってくる。
by fragie777
| 2015-06-05 19:47
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