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4月9日(木) 旧暦2月21日
わが家の塀ですの、って言いたいところだけど、そうではなく先日武蔵野をあるいたときに見つけた家の塀。 しかし、今朝出勤途中でも同じようにこの常磐万作の塀の家があった。 流行っているのかしら、 なかなか素敵なものである。 手入れがたいへんだと思うけど。 常磐万作の塀のなかの暮らしって、きっときちんとしてるんだろうなあ、奥さんは背筋がすっと伸びた方で煮物が上手、ご主人は日曜は草むしりをしたりしてさ、ぴかぴかに磨かれた床は気持ちよく午後は二人して紅茶を飲むの。 わたしの家もいま連翹が咲いているんだけど、この連翹なかなかの発展家で道におおきくはみ出していた。 (ああ、はみ出しているわ)とわたしはちらりとみてそして忘れた。 ある日のこと、連翹の写真を撮ろうと近づいてみたところなんと連翹がとてもつつましく糸でくくられている。 いったい誰が…… これなら道を邪魔することもない。 これをくくった人間は我が家の人間でないことだけははっきりしている。 で、誰がこれをやったか。 いまだに分からないのである。 永遠の謎になりそうである。 この寒さである。 朝、何を着たらいいんだろう。 って悩む。 こんなもんだろうって思って支度をして外にでてその寒さに驚いて慌てて家にもどり、着替えるなんてことがつづいている。 冬物はおおかたクリーニング屋さんに持って行ってしまったし、 しようがないから極暖のヒートテックと普通のヒートテックを重ね着してその上にクリーニングに出さないムートンのジャンパーをざっくりはおって、よくわかんないスタイルで出勤することになる。 すでに桜は散りアメリカハナミズキのつぼみがふくらんでいるというのに。 今日の「増殖する歳時記」は、三宅やよいさんによって岡本紗矢句集『向日葵の午後』より。 カンニング見つけし刹那啄木忌 岡本紗矢 その昔、まるで勉強のできない小学生だったわたしは試験用紙を目の高さまで上げて隣の席の答えを盗み見たことがある。その刹那、先生の雷が落ちた。首を縮める私めがけて突き刺さる同級生の視線が痛く、二度とズルはやめようと思い知った。その自分が教壇に立って試験監督をする立場になったとき、人の答案を盗み見る不審な動きがどれだけ目立つものであるのかがわかった。試験を突破していくことで次のランクを目指すシステムの渦中にあって、勉強が得意な子もいれば哀しいぐらい出来ない子もいる。本人がわからぬようやっているつもりのその行為を見咎めて一喝するのも教師、衆目の中で怒る言葉を呑み込んで、どうやってその不当な行為を本人にわからせようか悩むのも教師。その刹那、さまざまな感情が交叉する。その複雑な気持ちが人間の心の機微を歌にした啄木とも交わる。啄木忌は4月13日。27歳の若さで貧困のうちに生涯を閉じた。『向日葵の午後』(2014)所収。 カンニングについてはわたしは何もいうことができない。 あらゆることにあまりにもぼんやりしているので…… それはおわかりよね。 今日は「ふらんす堂通信」のこもごもの締切り日だった。 コラムやら編集室やら書いたのだけど、余計なこと書いて肝心なこと書かなかったりでダメだしされて明日もう一度書き直さなくてはならない。 やれやれである。
by fragie777
| 2015-04-09 18:52
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