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4月4日(土) 旧暦2月16日
今日は午後2時より早稲田にある藤原書店の催合庵で詩人の河津聖恵さんの新著をお祝いする会があって出席する。 新著とは『闇より黒い光のうたを―十五人の詩獣たち』と題された詩人評論である。 15人の詩人とは、尹東柱、パウル・ツェラン、寺山修司、ガルシア・ロルカ、ライナー・マリア・リルケ、石原吉郎、立原道造、シャルル・ボードレール、アルチュール・ランボー、中原中也、金子みすゞ、石川啄木、宮沢賢治、小林多喜二、原民喜である。これらの詩人たちを「詩獣(しじゅう)」という言葉をたちあげその視座から読み解いていくのである。 このインパクトのある「詩獣」とはいかなるものか、それを河津聖恵さんは、本書の「エピローグ」のなかで次のように語る。 「詩獣たち」。かれらはこの世の現実に対し、そもそも生の始まりで敗北している。詩が本質的にこの世の言語秩序にあらがってうたおうとするものであるかぎり、敗北は必然である。だが眼を凝らせばその敗北の生には、現実を超えたもう一つの生の光がまつわっている。光はまるで勝利への祝福のように、かれらに絶対的なかがやきとそれゆえの陰影を与えている。連載「詩獣たち」ではそのような不思議なひとかげであるかれらが、近現代という暗い時空をよぎっていった軌跡を追っていった。それぞれが残した鋭い爪痕、その癒されない永遠の痛み、そしてかれらが一瞬掴みえた絶対的な自由の冷たさと熱さにも、感覚を伸ばしながら。 本書は藤原書店発行の季刊誌「環」に連載されたものを一冊にしたものであるということ。 15人の詩人について語りながらこの書物の向こう側から聞こえてくるのは河津聖恵という詩人の悲痛な叫びだ。詩人は何を書くか、世界にどう対峙するか、苦しみにどう向き合うか、詩の力とはなにか、詩人であることの根源的な問いかけが15人の詩人をさぐりみつめ理解し、自身がどうあるべきか、詩に希望はあるのか、世界の暗い淵に立ち暗雲におびやかされながら書きついでいった詩人論だ。 文章は力強く訴えたいものがぐいぐいと読者の心になだれこんでくる。 さすがに力のある詩人だ。 挨拶をされる河津聖恵さん。おとなりは藤原書店の社長藤原良雄さん。 はじめて詩の出版社以外のところから本を出してもらいました。藤原書店の藤原社長とはじめてお会いしたとき、「詩人は何をやっているのですか。」という藤原さんの問いかけに詩人は何もしていないなと思いました。詩人は自分の内部にしか関心をもっていない。詩人が何をやっているのか、ということはわたしもずっと思っていたことで、2007年の段階で自分は何をしてきたのかとおもったときに、自分は何もしていない、と思いました。閉鎖的な詩の状況のなかでこういう詩人論を出すのはたいへんな勇気であったことと思います。心から感謝をしています。この本は16回の連載の結実です。2011年から2014年にかけて4年間の連載です。一冊となって刊行されてから二ヶ月以上たっていますが、すこしずつ共鳴してくださっている方がふえて、またいろいろな新聞にもとりあげられるようになりとても嬉しく思っています。連載の4年間で二つの大きなことがありました。ひとつは朝鮮学校の無償化の問題、もうひとつは3.11による反原発の問題です。その二つのことが「詩獣」を書くにあたって、大きく心をしめておりそれらを訴えたいという気持ちがさらに「詩獣」を書かせたのではないかと思っています。この二つの出来事は共通したものがあります。それは声、つまりどこにもぶつけられないような声を歌にするしかなくて、そしてその歌によって訴えたいということ、そうするとこの本のテーマとおのずと自分のなかに影響しあって励まされたというか、現実に起こっていることはこの歴史のなかでも起こっているし、歴史のなかで起こっていたことも現実のなかで起こっている、そういう深い関係をもっていることを思いながら、自分のなかで言葉をつむぎださせていったのではないかなと思っています。そしてこの連載で見えてきたものは何なのか、自分のなかで立ち上がらせなくてはいけないと思っています。自分と社会との間にいまだあるはずの希望のかたちというか希望の可能性というものを見出さなきゃいけないなと思っています。 もうすこし詳しくいろいろとご挨拶をされてのであるが、抜粋してご紹介した。 明日の朝日新聞の書評欄には河津さんへのインタビューというかたちでこの本が紹介されるということである。 わたしはこの祝賀会に出席しようかどうしようか迷ったのであるが、ご本を贈ってくださった河津さんにひさしぶりでお目にかかりたかったこと、そして河津さんにこのような本を書かせた藤原書店の編集者の方にもお目にかかりたいと思って出席したのだった。 今日は河津さんだけでなく、詩人や歌人のかたも出席され詩や短歌の朗読をされた。 いま、ふらんす堂で「家族のうた」の本を製作中である歌人の加藤治郎さんに思いがけなくお会いして、加藤さんもご自身の短歌を朗読された。 なかでも、小説家・脚本家である李英哲(リヨンチヨル)さんが、尹東柱(ユンドンジュ)の詩を翻訳の日本語だけでなく韓国語で朗読されたのがとても、印象的だった。 はじめて聞く尹東柱の韓国語の詩だった。 美しいリズムと響きをもってそれはわたしの胸にとどいた。 ここだけの話だけど、いつも韓ドラを見ているので、韓国語は耳に親しいのであるが、尹東柱の詩はこれまで聞いた韓国語とは違っているようの思えたのだった。 それはとても新鮮だった。 河津聖恵さま、新著『闇より黒い光のうたを』のご出版あらためておめでとうございます。 多くの人にこの本が読まれますように。 河津聖恵さんとふらんす堂のご縁は、かつて二冊の詩集を刊行させていただいたことだ。 1998年に詩集『夏の終わり』、2002年詩集『アリア、この夜の裸体のために』 の二冊である。 詩集『夏の終わりに』は第9回歴程新鋭賞、詩集『『アリア、この夜の裸体のために』は第53回H氏賞を受賞されている。 その後も精力的に詩集を刊行されているがこれからどんな詩を書き続けていかれるのか、もとより力のある詩人であるので、興味のつきないところである。 一人の詩人の生は言わば無限の宇宙だ。そこには永遠に不可知な深淵が存在する。私が覗き見ることが出来たのは、そのごく一部である。だが見えてきた事実を「詩獣」というテーマに照らして繋いでいくと、小さな星座が生まれてきた。それは、敗北を勝利へと反転させようと身をよじり続ける痛みの星座「詩獣座」である。そこにはいまだ死の闇が立ち込め、星々は今も迫りくる危機のため身をふるわせている。だが耳を澄ませば、死の闇より黒い光のうたが、たしかに聞こえてくる。(河津聖恵) すっかり遅いブログとなってしまった。 愛猫の日向子がわたしのすぐそばにいてわたしを待っている。 お待たせ! 日向子。 じゃ おやすみなさいませ。
by fragie777
| 2015-04-04 22:07
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