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3月12日(木) 二月堂お水取り 旧暦1月22日
奈良の二月堂ではすてにお水取りの行事は始まっている。 「お水取り」「お松明」という名で親しまれている春の訪れを告げる行事として知られる。12日の夜、本尊に供える香水を汲み上げる行事があることから「お水取り」の名が。また、「お松明」の名は、練行衆が二月堂に上堂する際、足元を照らす大松明で先導されることに由来します。東大寺二月堂の本尊、十一面観音菩薩の宝前において行う悔過法要として、天平勝宝4(752)年にはじめられた。期間中、午後7時の大鐘を合図に「お松明」に点火。夜半遅くまで、世界平和と人々の幸せを祈る行が行われます。 まさに今日の真夜に「香水(こうずい)」を汲んで大松明をかざしながら僧が走るのである。 水取や氷の僧の沓の音 松尾芭蕉 つまづきて修二会の闇を手につかむ 橋本多佳子 修二会僧走りぬ眼鏡かけしまま 中岡毅雄 俳人の人たちはこの行事を俳句に詠んでいる方も多いのだが、わたしはまだ見たことがない。 二月堂にはもうなんべんもいっているのに。 俳人の中岡毅雄さんはこの「お水取り」をテーマに一冊の句集『水取』を上梓されたほどである。 「お水取り見てみたいなあ……」 「どうです? ふらんす堂で社員旅行のお金を積み立てて俳句に詠まれるところを訪ねるというツアーをしましょうよ」とスタッフが言う。 それもなかなかいいかも……。 しかし、見たいところの足並みが揃うだろうか。。。。 午後はお客さまがお見えになった。 髙田正子さんが久しぶりにご来社くださった。 髙田さんがご指導の句会に所属されている髙橋光子さんと息子さんの奥さまである髙橋圭子さんのお二人を伴ってのご来社だ。 髙橋光子さんは昨年11月にご主人さまを亡くされた。、そのご主人さまの残された俳句を一周忌までに句集にまとめられるご予定がある。そして一緒にご自身の作品も一冊にまとめて二冊でひとつの形にして句集をお作りになりたいと考えておられるのだ。 「ふらんす堂の書籍が大好きなんです」とおっしゃいながら光子夫人は、風呂敷からふらんす堂刊行書籍をたくさん取り出されたのだった。 「ふらんす堂友の会」の会員でもあると伺ってわたしは感激してしまった。 お嫁さんの圭子さんは、お義母さまをサポートすべく仕事の合間をぬって付き添っていらしたのである。 いろいろな句集の見本をお見せすると、 「まあ、きれい!」とことごとく手にとって眺められる光子夫人である。 髙田正子さんのアドバイスもあっておおよその形は決まった。 日本画家でもある光子夫人の絵を活かして二つの句集をお作りすることになった。 担当はPさん。 「すべてお任せいたします」と安心されたご様子でお帰りになられたのだった。 伺えばなんと髙田正子さんと髙橋圭子さんは大学が同じでおなじ国文専攻の同級生であるということ。 「思わぬご縁にわたしもびっくりしてしまいました」とお二人。30年ぶりであるとのこと。 「髙田さんとご主人の馴れそめも知っているんです」といたずらっぽく笑った圭子さんだった。 圭子さんは大学で日本文学を教えておられるということだ。 髙田正子さんは最新句集『青麗』で第3回星野立子賞をご受賞されたばかりである。 髙田正子さま、おめでとうございます。心よりお祝いをもうしあげます。 今日のねんてんの今日の一句は、林桂句集『ことのはひらひら』より。 右翼手は雲になりたき春の風 林 桂 句集『ことのはひらひら』(ふらんす堂)から。昔、私も野球少年だった。この右翼手の気持ち、私のものでもあった気がする。もっとも、雲になりたいなどと考えているのでは、ゲームでは負けてしまいそう。 桂さんは群馬県前橋市で一種の運動体とでもいうべき俳句グループ「鬣TATEGAMI」を率いている。彼と彼の仲間は従来の俳句の枠を常にはみ出そうとしており、そういう意図や試みにおいて運動体的である。 そして「増殖する歳時記」は、三宅やよいさんによって酒井弘司句集『谷戸抄』より。 すかんぽと半鐘の村であった 酒井弘司 すかんぽは野原、土手などに生え「酸葉」「すいすい」等とも呼ばれる。と歳時記にある。写真をじっと見てもどんな植物かわからず、もちろんすかんぽを噛み噛み学校へ行ったこともない。都会暮らしで漫然と日々を過ごしてしまったので植物にまつわる思い出がないのが殺風景でさみしい。さて、掲載句は空を背景に火の見櫓に吊るされた半鐘とすかんぽが主役であるが、それ以外目立ったものが何もない村とも読める。自分のふるさとの村ではあるが、大きな川も自慢できる特産物もない。段々畑にできる作物を細々と収穫して生計をたてているのだろうか。あるものと言えば春先になればいたるところに生い茂るすかんぽと村のどこからでも見える半鐘が記憶に残っているのだろう。日本の山間にある村のほとんどは貧しい。今や過疎化を通り越して無人になる村も多くなり、すかんぽと半鐘だけが取り残されているのかもしれない。『谷戸抄』(2014)所収。 三宅やよいさんは、「すかんぽ」を触ったこともなければ噛んだこともないと書かれているが、わたしは何度か噛んだことがある。武蔵野を歩いていると、友人たちが「あら、すかんぽよ」って教えてくれたり、「こうやって噛むとすっぱいのよ」などとお手本を示してくれたりする。すっかり都会女を気取っているわたしはおそるおそる口に入れて「あらら、ホント!」などと草の生命の新しき味に驚いたりするのである。 三宅さん、是非に武蔵野をお歩きくださいませ。 懐かしいものがわんさかあるかもしれませんよ。
by fragie777
| 2015-03-12 18:30
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