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2月20日(金) 土脉潤起(つちのしょううるおいおこる) 1月2日
雀たちのすばらしい囀りを聴いた。 総合誌「俳句四季」3月号が送られてくる。 「いま推奨したい名句集」という特集で大輪靖宏氏が、三つの句集をとりあげて紹介しておられる。 稲畑汀子句集『さゆらぎ』(平成13年 朝日新聞社刊) 有馬朗人句集『分光』(平成19年 角川書店刊) 『山田弘子全句集』(平成26年 ふらんす堂刊) の三冊である。ふらんす堂で好評の『山田弘子全句集』についての掲載文の一部を紹介したい。 これは平成二十二年に七十六歳で急逝した山田弘子氏のすべての句、三三〇七句を収め、それに解題、年譜、索引などが添えられた書である。(略)山田弘子氏は、「ホトトギス」の俳人として、また「円虹」の主宰として活動した人であるから、季題の使い方、写生の仕方などに熟達している。弘子氏は難解な言葉を使ったり、鬼面人を驚かすような表現をしたりする人ではない。身近なものを率直な目で見る人だが、そこに新鮮さと詩情が生まれるのは、把握の正確さと表現力の確かさがあるからだ。 「三千の鷹に朝空明け渡す」を例に挙げれば、朝空の美しさ、三千の鷹が舞う荘厳さなどが言外の含みによって表出され、さらに、「明け渡す」という表現によって、空を占める鷹の勢い、数の多さ、広がりの大きさなどが実感的に感じられる。しかも、弘子俳句には種々の試みがあり、それが自ずと俳句の広がりの幅を示すことにもなっている。 「花びらのやうに公魚釣られけり」に見られる比喩表現、「冬滝に人は何かを捨てに来る」における日常性の巧みな使い方、「灯を消して月の雛としばらくを」の沈静した興行感、「蜂の子をうまげに喰うてうとまるる」のユーモア、「秋風を食べてゴリラは老いゆくか」の寂寥感、「挫折また糧と諾ひさはやかに」のような人生感、「奥院へ杉間を駆ける雪女郎」の幻想性、「大空を繕うてゐる女郎蜘蛛」の語の戯れなど実に多様である。このように本書は、俳句という文芸の広がりと可能性を示し得る大きな働きを持つ。 おなじく「俳句四季」の二ノ宮一雄氏による「一望百里」には、平石和美句集『蜜豆』が取り上げられている。 蜜豆や母の着物のよき匂ひ 句集名を採った一句である。掲句に代表されるような一見唐突と思える季語が実によくその場の景と情の動きを把えている。 資金繰り考へてゐる葡萄かな 不機嫌と言ふには非ず豆を引く 焚火離れて故郷を後にせり 揚雲雀となりの人の喉仏 歯ブラシをゆつくり使ふ朝曇 町の名にルビふつてある燕の子 草の芽やどちらかからともなく坐して いずれの句からも作者の生きた声が聞こえてくる。 利酒を含みては耳澄ましけり 伏すものを濡らして行きぬ春の雪 兼好忌草にしやがめばあたたかし 果樹園の受付といふ木陰かな 指の力殺してブルーベリー摘む 今日はまだスタッフたちが仕事をしているのだけど、わたしは「お先に失礼」と言って帰ってしまうのである。 美容院に予約を入れてしまったのだ。 今日の6時に。 さんざん迷ってやっぱり髪をカットすることにした。 明日の結婚式のために。(何度も申し挙げますが、わたしが結婚式を挙げるのではありません) それでは、お先に。。。
by fragie777
| 2015-02-20 17:47
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