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2月19日(木) 雨水(うすい) 旧暦1月1日 旧元旦
真ん中にある靴あとはわたしのもの。 ふんにゅって全体重をのせて地球上に刻印してやった。 どうよ。 わたしがこの地上において生きた一瞬の証し。。。。 「春の泥」は、季語である。 好きな季語のひとつ。 凍解けがはじまり地上がやわらかなになりつつある、そんなぬくもりを感じさせる春の泥。 そしてこの句もすきな一句。 遊ぶことばかりかんがへ春の泥 田中裕明 第20回中原中也賞が決まってその連絡をいただいた。 受賞詩集は、岡本啓(けい)詩集『グラフィティ』(思潮㈳)。 ふらんす堂刊行の浅井眞一詩集『仁王と月』も最終候補の3冊に残り健闘するも、残念ながら受賞をのがした。「古都奈良の闇の絵巻と言ってもいい。仁王と月をめぐる異色の作品。言葉の選択は絶妙で誰もが好感を持ったが、驚きと深遠性にかけるのが難点」と選考経過に記されていた。うーむ、残念。 今日の「増殖する歳時記」は、三宅やよいさんによって岡本紗矢句集『向日葵の午後』より。 かたくりの花やお尻を日に温め 岡本紗矢 かたくりは早春に耳を跳ね上げたようなうす紫の可愛い花が開く。花はうつむき加減で少しはにかんでいるように見える。目立たないけどそのたたずまいが魅力的な花である。東京でもかたくりの花が自生する場所があり、見に行ったことがある。掲句では、かたくりの花を見るのに腰をかがめて覗き込んでいるのだろう。突きだしたお尻に早春の明るい日差しがゆっくりと射している。かたくりの花の辺りはひんやりとお尻に当たる日ざしは暖かく、この時期のちょっとアンバランスな空気感が句に漂っていて心地いい。かたくりの根からとれる澱粉は今やほとんどないようだが、純正かたくりも残っているのだろうか。あるなら一度食べてみたい。『向日葵の午後』(2014)所収。 「かたくりの花」はわたしの実家の庭にも咲いていた。山野草が好きな母がいろんなところから集めてきて庭に植えて育てていたのである。二輪草も熊谷草も咲いていた。母亡きあとあまり手入れもされていない庭でそれらの花たちが毎年けなげに咲いているのに気づいたとき、母に出会ったようおもえて胸に迫るものがあった。 もっとも母が生きていたころ、庭の手入れに余念がない母をよそ目に、わたしはソファに足をのばしてアレクサンドル・デュマの『モンテクリスト伯』などに夢中になっていて心はフランスの復讐劇にすっかりとらわれていた。 片栗の花も二輪草もわが胸には存在しなかったのである。 片栗の花は、ご近所の武者小路実篤さんの庭に今年もきっと咲くと思う。 できれば行ってみてみたいが。。。。
by fragie777
| 2015-02-19 18:57
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