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12月1日(月)
山寺であり、長い石段をのぼっていく。 ここは初めてたずねた寺だったが、ゆったりとした時間が流れるいいお寺だった。 椿で有名らしいが、椿の季節はこれからである。 「子福桜」と言って、11月と春と二度咲く桜であるということ。 桜に出会うとはおもいもかけぬことだった。 あまりにも静かな桜のたたずまいにいったい何人の人が気づいたであろうか。 今日これから紹介する「花椿賞」への敬意を表して。 今日はふらんす堂へはお客さまがいらっしゃった。 午前中には、句稿をもって中村弘さんがお見えになった。 中村弘さんは、俳誌「万緑」の同人でいらっしゃる。 第2句集のための原稿を持参くださったのだ。 俳句を始められて30年以上になるという。 お母さまが俳句をつくられていたことからその影響で俳句をつくるようになったということ。 一人でときどきお母さまに見てもらいながら俳句をつくっていてところ、ご友人のアドバイスもあって カルチュア教室にはいったところそこに俳人の岡田海市氏が講師でいらっしゃということである。 岡田氏は中村草田男の心酔者で、その教室では俳句の技法を学ぶということより、本物の俳人とは何かということを岡田氏を通して学ばれたということである。 岡田海市はもう亡くなられたが、朝日新聞の有名な編集者であり、その中村草田男への思いは激しいものがあったことはわたしも何人かの人から聞いている。 そういう師弟関係というのもいまではなかなか聞かれなくなってしまった。 第二句集をいつごろ出そうかといろいろと思いましたが、思い切って出そうと決めました。 句稿の整理をしていくうちに、そう決めて良かったとあらためておもいました、と中村さんはおっしゃったのだった。 午後は、句集『まだどこか』を10月に上梓された山内裕子さんがご主人さまと一緒にご来社くださった。 「句集を刊行して思いもかけぬ方から丁寧なお言葉をいただいたりして驚いております。わたしの句は地味なのでどれほどの人が読んでくれるかと思っておりましたが、いろいろと皆さんおっしゃってくださり喜んでおります」と丁寧にご挨拶くださったのだった。 伺えば、常日頃からご主人さまが一番の読者であるということ、そして句集を編むにあたってはずいぶんとアドバイスを下さったと言うことで、傍らでにこにことされているご主人さまに句集の感想をうかがってみたところ、 「良かったと思います。すっきりした一冊になったのではないでしょうか」と静かなお返事がかえってきた。 春嵐いろんなものが落ちてをり 集中のこの句はわたしも好きな一句であるが、この「春嵐」という季語、うかがえば「ホトトギス」の「季寄せ」には載ってないのだということ。一般的な歳時記には季語として載っているのだが、それは初耳だった。この「春嵐」の句は、高田風人子氏がまっさきに句会で選ばれたもので序文を書かれた森田昇氏もとりあげておられる。山内裕子さんに高田風人子氏が語ったところによると、虚子は亡くなる前の最後の句会でこの「春嵐」を季語とした句を作っているのだそうである。そのことを高田風人子氏は山内さんに感慨深く語ったということである。 そんなエピソードを山内さんは教えて下さったのであるが、季題というものをめぐる俳人の思いの深さをそのエピソードの一端からわたしは気づかされたのだった。 「句集をまとめてみて、見えてきたものがありますね、それをどう克服していくか、今後の課題です」と山内裕子さん。 夕方からは資生堂主催の第32回現代詩花椿賞の授賞式があり、銀座にある花椿ホールまで行く。 ここに一昨日奈良を案内してくださった奈良在住の詩人の浅井眞人さんも見えられることになっている。 受賞は石牟礼道子さんの詩集『祖(おや)さまの草の邑(むら)』(思潮社刊)に決定。著者の石牟礼道子さんはご療養中のためご子息の石牟礼道生氏が代理で授賞式に臨まれたのだった。 ふらんす堂刊より詩集『仁王と月』を上梓された浅井眞人さんも候補になったと伺ってぜひに選考経過を伺いたいとおもったのだった。 花椿賞というのは、これまで実力のある輝かしい詩人の方々が受賞されているので、まったく無名な方の第1詩集が候補にあがったということだけでも驚きだったのだ。もちろんそれはとてもうれしい驚きだった。 浅井さんご本人は、詩の世界にまったく疎く、「花椿賞」がいかなる賞であるかもご存知なく、もちろんいろんな詩人の方とは面識もなく、ちょっとうろたえておられて、わたしはそれがかえって新鮮で面白かったと言っては浅井さんごめんなさい。 そういうわけで授賞式に行ってまいりました。 そして、わかったことは、詩集『仁王と月」は、最終候補の4詩集の一冊に残ったということ。 選考委員は、佐々木幹郎、小池昌代、高貝弘也、蜂飼耳の四氏。 最終候補詩集は、石牟礼道子詩集『祖さまの草の邑』、時里二郎詩集『石目』、渡辺めぐみ詩集『ルオーのキリストの涙まで』、と浅井眞人詩集『仁王と月』ということを知ったのだった。 三人の詩人の方はよく知られた詩人で、それはどなたも実力のある方々ばかりでその中でまったくの無名な浅井さんの詩集が最後の候補になったということだけでもわたしはとても嬉しい思いがしたのだった。 最初に詩の原稿に目をとおしたとき(この詩集はおもしろい……)という手応えが、そのままほかの詩人の方にも通じたとしたらそれはなんともうれしいことである。 浅井さんは、なんだか授賞式中、どこか居場所をまちがえた人みたいにそれでもにこにことされていたが、いったいどんな風に思われていたのだろうか。 椿の花が飾られて。 せつせつとお母様のことについてかたり、 この春熊本市内の病院に母を見舞ったときにベッドの上で猫の絵を何枚も書いておりました。それがこの『祖さま草の邑』に登場する猫の挿絵であるとは、わたしはそのときは知りませんでした。この度の授賞まことに有り難うございました。と丁寧なご挨拶をされたのだった。 浅井さんは、会の途中で「新幹線の時間がありますので」と言って帰られたのだった。 きっと浅井さんは、仁王が跋扈する月に照らされた深い闇の世界に帰って行かれたのだろう。 とわたしは思ったのだった。 (わたしも真夜中の仕事場でこのブログを書いている)
by fragie777
| 2014-12-01 22:31
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