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10月4日(土)
すこし疲れているのかもしれない。 今朝はベッドの上で展開する猫たちのバトルで起こされた。 ずい分深い眠りの底にいたように思う。 身体が鋼鉄のごとくかたく、身動きがとれないようなかたちで目覚めた。 いったい今がいつで、自分がどこにいるのか一瞬わからなかった。 時計を見ればもう8時をだいぶ回っている。 しばらくベッドの上でぼおっとしたまま天井とわが身体の中間あたりを見つめていた。 この世界にまだ自分の居場所を見出せないそんな感じだった。 そうこうしているうちに身体は現世に生きるものとしての律動をとりもどしつつあった。 (あーあ、朝寝坊しちゃったよ) とバトルをやめてじいっとわたしを待っていた猫たちにつぶやいたのだった。 午後より自転車で出勤。 秋風が気持ちよかった。 新刊紹介をしたい。 井出野浩貴句集『驢馬つれて』(ろばつれて)。 著者の井出野浩貴(いでの・ひろたか)さんの第一句集である。2007年に俳誌「知音」(行方克巳・西村和子代表)によって俳句をはじめ、2013年には「知音」の新人賞である「青炎賞」を受賞されている。この度の句集に、序文を西村和子代表が帯文を行方克巳代表が寄せている。 俳句を始めたのが40歳という著者は「あとがき」で、俳句に出会うために私には四十年の歳月が必要だったと記しているが、そのことを代表の西村和子さんは序文で作品に触れながらこのように書く。 夕ざくら乗換駅のきのふけふ (略)乗り換え駅で電車を待つだけのわずかな時間に、華やかな季節の余光を浴びたような気分になる。このささやかな幸せは、桜が散るとともに失われ、日常の慌しさの中で忘れ去られてしまうだろう。あの花と、この思いをとどめておきたい。句ごころはそんな時、一句に結晶する。 俳句に出会うために四十年の歳月が必要だったと、作者はふり返っているが、心の内なる思いが俳句という形を得たのが、丁度不惑の年だったということだろう。(略) それまでに培われた感性、養われた情感、歩んできた人生が、俳句という発露を得て、生き生きとした作品を生む過程に立ち会えたことは、仲間として大きな喜びを覚えたものだった。 「天の下のすべての事には時がある」とは、旧約聖書の伝道の書にある言葉であり好きな言葉だ。人それぞれに用意された時がある、ということだ。井出野浩貴さんにとって40歳という歳が俳句を始めるにいちばんふさわしい歳だったのだろう。それは、この句集を読み進めればわかることだ。 山手線から見る母校夏つばめ 膝元をよぎることあり赤蜻蛉 グローブのオイルの匂ひ五月来る ゆるやかに漕ぎ出で若葉風のなか 台風が来るぞと銭湯のラヂオ セーターにエスプレッソの香の移り 照り翳りして桔梗は物言はず 仮定法過去と言ひさし咳きこめる 聖樹の灯一番星に先んじて 冬枯やときをり遠き木の光る 切り出せぬ話かかへて蜜柑むく 雪の夜のコーヒーカップにも奈落 審判の眼鏡にも跳ね春の泥 球場のやうやう暮るるビールかな 夏帽子いつもどこかに波響き 豆腐屋の膝に夕刊つばくらめ ここもまた銀河のほとり螢烏賊 教室に風の道でき更衣 道の辺の大樹に触るる帰省かな ナイターのまだ残る灯をかへりみる ひぐらしの声旅信にも染み入らむ 秋刀魚焼く読まず書かずの日が暮れて この句集の素晴らしさは、仕事人であり生活者である著者の日々がまことにさらりと定型の中に詠まれていることだ。しかもどこかで見たような俳句はなく、すべて著者の固有の時間がそこにある。日々の生活の些事が五七五の詩に無理なく昇華されている。あまりにも自然体に詠まれているために読み手もスラスラと読んでいってしまうのだが、やがて作品の背後を流れる深い余情に気づかされるという寸法だ。俳句の定型感覚がその身体の一部となっている井出野さんだ。 氷水父らしきこと言はざりき 子が見つけわれに見えざる揚雲雀 三振の子に鯛焼を食はせけり 賀状書く宿題の子と卓分かち 送別会果てて辛夷の空残る 見つからぬ言葉も大事卒業す 眠る子の膝にかさぶた天の川 大晦日妻に呼ばれて子を呼んで 食はむためチョークにまみれ春寒し 雛まつり妻にひとりの時間あり 汗ぬぐふチョークを持たぬ左手で 教師としての我、親として夫しての我、どれも生き生きと描写されている。著者の日常の一場面一場面が臨場感をもってが立ち上がってくる。「汗ぬぐふ」の句など生活の一瞬の場をかくも無理なくリアルに言いとめていることに舌を巻いてしまうほどだ。 千年の川音つづり片かげり いつかてふ日は訪れず鰯雲 この道の行く先知らず鰯雲 千年ののちも落葉の道ならむ かなかなや還らざる旅ありぬべし 冬の星一病を身に飼ひ馴らす 一瞬一瞬の生の手ごたえをいとおしみそれを新鮮に詠みとめる著者であるが、そのこころをおおきく支配しているものは、無常感であり、それを超えんとする思いである。還らざるものとしての一瞬一瞬であるからこそ言葉によってその誰のものでもない自身の固有の時間を刻印しておきたい。集中に「千年」という言葉が頻出するがこれもまた著者の恒久の時間への憧れがあるのだ。 「驢馬つれて」という句集名について「あとがき」でこう書く。 葡萄売る石の都に驢馬つれて このつたない句集の題名を「驢馬つれて」としました。二十年前に訪れたエルサレム旧市街では、イスラエル兵が銃を構えて哨戒の任にあたっていました。そのかたわらで、驢馬をつれたアラブの老人が葡萄を売っていました。エルサレムの支配者はいくたびも変転しましたが、あの老人の遠い先祖も、驢馬をつれて葡萄を売っていたのかもしれません。 「あとがき」でもわかるように著者のこころは「変わらざるもの」に自然と向いてしまうのだ。 虫の音にこたへ瞬く星あらむ 虫の音の一句は、創作者のささやかな願いであり、祈りである。この小さな詩型に籠めた思いに、いつかどこかで見知らぬ魂が瞬いてくれるだろう。 ふたたび、西村和子さんの序文より引いた。西村さんの序文は俳句の道をともに歩む者として、深い共感とともに書かれた序文である。 「虫の音」を「創作者のささやかな願い」と踏み込んで読みとったところがさすがである。 この一句に著者の俳句への思いはつきるのかもしれない。 この句集『驢馬連れて』の装丁は和兎さん。 装画にした「葡萄」は、驢馬をつれていた老人が売っていたものである。 この句集の担当はPさん。 泳ぎ来し子の水滴に目覚めたる 冷奴ゆづれざることひとつ失せ 雪の夜のコーヒーカップにも奈落 「句の後ろまたはその続きの物語を想像させるような句集でした。 井出野さんの静謐な視野の世界に引き込まれるような句集でした。 とてもきっちりとされていて、ほとんどメールのやりとりで連絡をしていたのですが、最後に見本を送るときに一度だけお電話でお話いたしました。 句集の持っている印象と変わらない静かな声でお話されていて、『ああ句集そのままだなあ』と感じたことを覚えています。」 わたしは好きな句はたくさんあったのだけど、二つだけあげたい。 冬帽子試してどれも似合はざる 井出野さま、帽子というのはですねえ、「似合う、似合わない」はあえて言わせて貰えばですね、「ない」のです。「似合う」って気合をいれてかぶっちゃって、誰にも文句を言わせないのです。世界中を敵にまわしても「似合う」って思い込むことが大事です。げんにわたしがそう。わたしの顔は帽子美学から言って絶対に似合わない顔の輪郭なんですけどヘイチャラでかぶっている、するといつのまにか自分の一部になってきちゃうんです。その図々しさが帽子をかぶる秘訣です。 ああ、でもきっと井出野さんのお人柄だとしたら、こんな「恥じらいを投げ捨てるような行為」はなさらないかもしれないな。 ううむ。きっとそうだ。 いやはや失礼をいたしました。 外野手のときをり雲雀見上げたる 草野球かしら、それとも学校のグラウンドの野球かしら、いいなあって思う。 この気持ちのよい長閑さがなんともだ。 「雲雀」という季語をこんな風に詠んだ人もいまだかつていないと思う。 とても好きな句だ。 午後はひとりで仕事をしていたのだが、夕方ちかくになってPさんが出勤してきた。 「ふらんす堂通信」の編集がはじまっており、やらなくてはならない仕事がたまっている様子である。 イヤフォンで音楽を聴きながらひたすら机に向かっている。 話しかけて無駄話でもしたいところなんだけど、話しかけたりしたらちょっと叱られそうな感じ。。。
by fragie777
| 2014-10-04 19:46
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Comments(2)
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井出野浩貴
at 2014-10-05 10:56
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こんなに丁寧に紹介してくださり、感謝申しあげます。
装幀の美しさは、知音の仲間もみな絶讃してくれています。 帽子のこと、なるほど、そうかと思いました。 来るべき50代は、冬帽子に挑戦したいと思います。 ほんとうにありがとうございました。
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fragie777 at 2014-10-05 23:23
井出野浩貴さま
ご丁寧なコメントを恐れ入ります。 読めば読むほど魅力が増してくる句集であると思いました。 かえって言葉足らずで申し訳ございません。 帽子、ぜひ挑戦してくださいませ。 きっとお似合いですよ。 こちらこそありがとうございました。 (yamaoka)
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