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8月20日(水)
今朝はおもいもかけず早起きを余儀なくされた。 蝉に起こされたのである。 しかも至近距離で……。 「ジジジー!」と激しく耳元で声がする。 飛び起きたらわたしの顔のあったところに油蝉が!!! 「ひえー!!」とわたしは叫んだ。わたしの雄たけびに猫たちが驚いてきょとんとしている。 蝉は苦しそうにジタバタしている。 「ああ、あんたたち!!」 というなりわたしはベランダに通じるガラス戸を全開にして部屋の扉の向こう側にすっとんで行った。そして身をかくし、顔だけのぞかせて、 「だ、だめでしょ。」と猫たちに訴える。 (こういうときは戦利品としてもっとも好きな人にそれを献上するのが猫の習性らしいので、叱ると猫は傷つくと聞いている) でも、ダメ、ダメ。 蝉をいただくわけにはいかない。 猫たちに取り囲まれた哀れな蝉は半死の状態だ。 時々鳴いてはすこし動く。 猫がおさえると死んだように動かない。放すと数十センチばかりの低空飛行をする。 死んだとみせてすこし跳ぶ。 それを繰り返してとうとうベランダに出た。 (おお、やったあ)とわたしはガラス戸をしめる。 その前に猫が飛び出す。 逃げようとする蝉をガッシと加える。 「ダメだよお」とわたしが叫ぶと、猫ははっとして口を開けた、そのとたん蝉は、おおなんとしたことか、素晴らしい速さで飛び去ってしまったのだ。 あとには呆然としてそれを見る猫たち。そしてほっとするわたし。 いつもはまだ寝ている時間なのにすっかり目が覚めてしまったのであった。 しかし、思ったことは「蝉は死んだふりをするのがめっぽう上手い」ということだった。 逃げ去った蝉をこころより褒め称えたい。 明日もまた蝉をつれてきたらどうしよう、と今からちょっと恐れおののいているyamaokaである。 新刊紹介をしたい。 酒井弘司句集『谷戸抄』(やとしょう)。 酒井弘司(さかい・ひろし)さんは、昭和13年長野県生まれ、俳誌「朱夏」主宰、「海程」同人。平成二十年から二十五年の六年間の作品、三七二句を収録。前句集『谷風(こくふう)に次ぐ第8句集となる。ふらんす堂からは1997年に現代俳句文庫39『酒井弘司句集』、2000年に句集『地霊』を上梓されている。いまは相模原市の根小屋というところにお住まいである。いったいどのようなところにお住まいなのか、それは句集収録作品を読んでいくとおのずと見えてくるものがある。 鬼やんま家を壊して出てゆけり 好きな作品である。 多くのことばを費やさなくても、おのずと生き物と自然と人間の距離が見えてくる一句だ。 著者は自然やそこに生きるものに対して、まったく武装解除しているかのよう。 そんな磊落さがある。 句集名となった「谷戸抄の「谷戸」について、著者は「あとがき」にこう書いている。 、句集名「谷戸抄」の「谷戸(やと)」は、丘陵地が侵食されて形成された谷状の地形。関東地方、特に多摩丘陵地で使われることが多い。 秋気澄む人歩き木は立ったまま 鶯に呼ばれてくだる谷戸の坂 ぺんぺん草に声かけられる道の端 かなかな止み大きくなりし裏の山 ひとつの灯消して三人露の家 大皿のわくわくしてる春キャベツ 長靴をはいて見にゆく朝桜 いちまいの若葉いちまいの宇宙 山国の夜真っ白に梨の花 鶏頭の燃え立つ二人になりし家 夏至一日鍬を洗っておわりとす 虫の声どの角まがり帰ろうか 十一月ジャコメッティのように瘦せ いつよりか春の柱が歩きおり 鯉のぼり一つ眺めて帰りくる 露よりも朝のふぐりの軽かりし 酒井弘司さんの暮らしぶりがみえてくる作品をあげてみた。 気持ちのよいまでに清爽な世界だ。読んでいてこちらの心が浄化されていくようだ。 わたしはさきほど武装解除と書いたが、酒井さんの心が谷戸の暮らしの日々でなにかを解き放ちつきぬけ、自在な境地におのずと達してしまった。 ここでは風がとりわけ気持ちのよいことだろう。 茅屋は、裏丹沢を眺める谷戸にあり、土を耕し地気を養いながらの日常座臥の日々を送っている。 ふたたび「あとがき」のことばを紹介した。 その土地の風光と地霊によって育てられた。 山一つ大きく抱いて冬ごもり かたつむり朝より無一物であり 再生の光となれよ寒鴉 戦争を知らぬ蟻なり山走る 裏富士にぶつかっていく金亀子 柊の花にさわればわれも水 「山に抱かれる」のではなく「山を抱く」という。この一句に酒井弘司の万象とのかかわりが集約されている。人も山も草も木も生きとし生きるものをその懐に抱きよせそしてかれもまたそれらによって抱かれるのだ。 その万物の息吹きのなかに著者の日々はある。 この句集には旅の句も多く収録したとある。いくつかを紹介したい。 田を植えて近江の空はひろがれり (近江) 若狭少女はつなつの闇つかみくる (若狭・小浜) 風光る天平仏の大き耳 (三井寺) 寺町のいらかを越える夏つばめ (三重・伊賀へ) 追悼句や忌日の句がところどころにある。著者にとっては深いかかわりのある人たちなのである。 伊那谷を蟬の声聴きゆきしことも (松永伍一さん逝く) 六月来る樺美智子のことは言わず 涅槃西風見沼田んぼを吹きぬける (阿部完市さん逝く) 人類を海が曳きゆくレノンの忌 花うつぎ待たずに友のわかれかな (清水昶さん逝く) 共に歩きし大洲の街よ蟬を浴び (村上護さん逝く) 常念岳へ飛んで夏蝶もう見えぬ (あずさ友見さん逝く) この句集の装丁は和兎さん。 作品に登場する「やんま」を装画にした。 やんまの羽根はいつも銀色だ。 八月来る生と死のことまっすぐに 真っ白な一枚八月の手紙 八月を詠んだ句がいくつかあるうちの二句をあげてみた。 著者にとって、八月は特別なのである。 そして「白」という色も。 勝手口より純白の蝶来たり この句もまたとりわけ好きな一句である。 そうそう、わが家の冷凍冷蔵庫はかろうじて健在だった。 かろうじて、というのはやはり冷凍力が弱っているようなのだ。 かのカップアイスがどうもしっかり凍っておらず手で押すとちょっとへこむのである。 買い替えなくっちゃならないかもしれない。 あーあ、 そうなると大変だ。 ちょっと憂鬱である。 だが、だが、それよりも蝉である。 あすまた、蝉を捕まえて自慢しにきたらどうしよう。 そうだ、『谷戸抄』にこんな句があった。 ねころんでいる幸せよ朝の蟬 谷戸にすめば、こんなふうになるのかしらん。 「朝の蝉」って、幸せどころかわたしには恐怖なんだけど。
by fragie777
| 2014-08-20 20:17
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