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4月30日(水)
壁に打ち付けられているのは、車のナンバープレートなんだろうか……。フロリダ、カリフォルニアと英語で記されている。 4月の最終日は雨降りではじまった。 しかも寒い。 スタッフのPさんはとうとう風邪をひいてしまった。 さっきから鼻水がとまらないようで、クシュクシュと鼻をならしてうるさいったらない。 わたしは気合が入っているのか、それとも昨日なまけたのがよかったのか、すこぶる元気。 しかも食欲もある。 今日はお昼にハンバーグ定食をたいらげた。 こういっちゃなんだけど、人生の楽しみはいまのところ「食べる」ことが一番かな……。 あとは、美しいものを観ること。 おお、それからもちろん仕事に励むことね。 今日も励んだ。 居眠りもしちまったけど。 このブログを書いているとき、風邪引きの大きなマスクのPさんが、 「この参考文献のレイアウト、きれいでしょう」ってゲラを見せられた。 「あらあ、本当にきれいねえ、誰がレイアウトをしたの?」と聞けば、 「わたしです」と胸をはるPさん。 参考文献のみならずすべてに美しいレイアウトをほどこされたこの本は、Pさんが思い立ってから2年越しの本である。 六月に刊行予定。 内容はまだ内緒……。 でもPさんが担当してがんばってきた本だから、わかる人はわかるかな……。 わかった人、 是非に買ってくださいませ。 (わたしも実は楽しみしている本なのである) 昨日の讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、田中百榮句集『夢前川』より。 なつかしき顔の揃ひて穴子飯 田中百榮 久々に会う顔だが、よく覚えている顔。これが「なつかしき顔」である。子どものときから何十年も会わないうちに変わってしまった顔は、そういわないだろう。作者は姫路の生まれ。故郷の親戚たちと大皿の穴子飯を囲んでいるところ。 共同通信配信の記事は中岡毅雄さんによって、ふらんす堂刊行のものは榮猿丸句集『点滅』と野口る理句集『しやりり』が評されている。タイトルは「切実かつ澄明な句境」、副題は「病気と戦った村越化石」とあり、3月8日に亡くなった俳人村越化石について多くが語られている。「享年91歳、ハンセン氏病やその後遺症と闘いながら、句作を続けた一生。その句境は、切実にして澄明である」と。以降の全文を紹介したい。 どこ見ても青嶺来世は馬とならむ そびえ立つ青嶺(あおね)を見渡しながら、来世へ思いをはせている。「馬」という颯爽とした動物への転生を願っているところに、作者の詩心の方向性を感じさせる。 闘うて鷹のゑぐりし深雪なり 深雪に刻まれた傷痕、それは獲物の追って、闘っていた鷹がえぐり取ったものである。「深雪なり」の断定表現が、激しい闘いの様子を彷彿させる。 1970年、村越は失明するが、自己の病に真っ向から向かい合い、句を作る。 ぶだう垂るる今ひとたびの視力欲し 見えぬ眼のさやかに小鳥来つつあり 2句目、晴れ渡った空をやって来る小鳥の声が聞こえる、視覚を失った村越の聴覚は、健常者よりも鋭敏になっている。 おのづから膨るる大地百千鳥 鳥の眼がわれにも欲しや梅擬(うめもどき) 化石は、晩年になるまで、己と自然のいのちを(うた)い続けた。「鳥の眼(め)」の句はかなわぬ願望を抱いている自分を温かく客観視している。 そして「村越の逝去の他に、今月は比較的若い世代の2冊の句集に注目した」として『点滅』と『しやりり』に言及している。 榮猿丸第1句集『点滅』(ふらんす堂)。榮は68年生まれ。シュールな感性が生かされた作品が目に留まる。 鳥の糞阿浴びたる枯木かがやける 愛かなしつめたき目玉舐めたれば ビニル傘ビニル失せたり春の浜 特に2句目。「愛かなし」は、性愛のひとこまを詠んだ作品。目玉を舐めるという行為から、痛みにも似た感覚が伝わってくる。 野口る理第1句集『しやりり』(同)。野口は、86年生まれ。 夕方の水着水にて洗はるる しづかなるひとのうばへる歌留多かな 小瑠璃飛ぶ選ばなかつた人生に 若い人らしく、感性がみずみずしい。 野口の句集には、「夏座敷招かれたかどうか不安」のように、定型を逸脱することに物おじせず、自分の心情を詠い上げた作品も見られるが、私は、伝統に静かに寄り添う作品に引かれた。 あらら、Pさん、風邪がもっとひどくなっている様子。 わたしは、もう帰るけど、 まだいろいろとがんばっているみたい。 好きなことは鼻水垂らしてもがんばっている。 あら、 ちょっと、 ゲラに鼻水垂らさないでね!
by fragie777
| 2014-04-30 19:34
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