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4月28日(月)
めずらしいピンク色だ。 山藤はこれから咲く。荒々しい山藤を見るのは楽しみ。 山藤と桐の花が山間に咲くと夏が来たと思う。 新刊紹介をしたい。 梅原恭仁子著『私の旅路』。前著『青谷梅林の春』に次ぐ第二エッセイ集である。 著者の梅原恭仁子(うめはらくにこ)さんは、奈良県城陽市にお住まいの今年80歳になられる方である。12年前にふらんす堂より『青谷梅林の春』を刊行され、その後も文章を書き続けられたこられたものを一冊にまとめられたのである。「わたしの旅路」と題されたようにご自身の生きこし方をみつめた自身への旅と、「小説の旅」と題された文学への旅を中心にして編集されたものが本書である。本文中「小説への旅」と題されたものが一冊の3分の2以上を占めている。いうなれば文学紀行が中心の一冊といってもよいかもしれない。 その「小説への旅」から、「でんでら野行」と題した文章の一部を紹介したい。 この秋で傘寿(80歳)をむかえられる著者の梅原さんにとって、「死」は身近なテーマである。 「どう死ぬか……」それは誰しも思うところであるが、遠い未来の問題ではなく近い未来の問題となる。 この項では、深沢七郎の小説『楢山節考』と村田喜代子の『蕨野行』の舞台となった場所へ旅をしている。つまり姨捨の場所である。『蕨野行』の舞台は「でんでら野」である。 遠野駅からバスで二十分あまり、バス停で降りると、道端に「でんでら野」と書かれた古びた案内板が目についた。そこから細い登り道が山へと続いている。 今年はめずらしく雪がなかったようでじめじめした黒い土道である。雨が降るたびに土が流れるのだろう。道の中央が凹みになっていて歩きにくい。やがて丘状の原野に入って行く。二十分ほど上っていくと「でんでら野」に着いた。中央に風雨にさらされた杭が建っていた。墨で書かれた「でんでら野」の文字がようやく読みとれる。そこでしばらく佇んでいると瘦せこけた老人が枯の中から、ひょろりひょろりと出て来そうに思えた。怖くなって木杭の側から離れた。道端まで出てくると、変わった形の石標があり、説明文がつけられていた。 「六十歳になった老人を捨てた野で、老人達は日中は里に下りて農作業を手伝い、一日の食料を得て野に帰り、下の川まで行って水を求め、老人は生命の果てるのを静かに待った」と書かれている。ここは老人が死を待つ野原だったと改めて見まわした。丘のはずれは濃く黒い林である。周りを見渡しても人一人いない。淋しく、寒々とした光景が静かに広がっている。 森の向こうに煙が一筋見える。焚き火をしておられるのかもしれないと思い、煙を目当てに来た道を下りて行くと小屋があった。人影が見えたので近づいて行き声をかけると、小屋の奥から男の人が出て来られた。「でんでら野」のことを聞いてみた。 「私の子供の頃におばあさんからそのような話を聞いたことがあります。こ の上の丘です」と、私が降りてきた野を指さされた。その方は、私と同年の七十二歳だった。とすると、その人のおばあさんの話だとすれば江戸時代末期だろう。「おばあさんは、野を掘りかえしたら骨がたくさん出て来た」と言っておられたとも語られた。 梅原さんは「でんでら野」を離れて遠野の町へと引き返す。そして遠野で見聞したことを思い出しながら帰途につく。 旅から帰って改めて『蕨野行』を読んだ。芥川賞作家・村田喜代子は「でんでら野」で起きたことを「蕨野行」として描いている。六十歳になって、「でんでら野」へ行く姑と送り出す嫁の別れを次のように書いている。川の手前でぬい(嫁)は、「お姑よい。人影がちかづいたやち。……たらば無言のうちにここでおめとの別れをするか。この荷は背負え。足元に気をつけて橋を渡り行くべし」 やがて、でんでら野に冬が来る。老人たちは一人またひとりと死んで行く。最後まで残った姑レンは生まれ変わって嫁ぬいの腹へ入り、母となるぬいの乳を吸うか。死んで孫に生まれ変わって来よう……と思うお姑の心を描いてこの物語は終わった。死せる姑レンの霊は生ける嫁ぬいの腹へと入り、春には女児として転生する。死をそのように解釈する生き方は素晴らしいともいえ、死とはそういうものなのかもしれない。 「どのように死にたいか」とわたしもつらつら思うことがある。 しかし、死は人間の思いなど見事にうちくだいてみせる。 「死」を立脚点として今ある生を組み直してみせるのが宗教だ。 あらゆる宗教は「死」から出発している。 しかし意味づけられた「死」は、それもまた人間のかたわらを冷笑しながらとおりすぎていく。 意味づけられない「死」を描くことが、小説のテーマなのかもしれない。 ようやく私のエッセイ集第二集が世に出ることになりました。前著『青谷梅林の春』を上梓してから十年余りの歳月が流れています。 前著は主に身辺雑記の短文でしたので、今度は旅をテーマに、しかも長文にと考えました。それも出来れば文学書を手にしながら、私の人生と重ね合わせての旅をと思いました。しかし大それた計画で当時の私では、なかなかかなわぬ事でした。 冬来たりなば 春遠からじ と漢詩にありますが、寒い冬の後には必ず暖かい春がやって来ると思い、寒さにもめげず今まで過ごして来ました。こうして本書が生まれたのです。この夏が過ぎ、秋が来ればやがて私は八十歳です。あとどれくらい生きられるのかわかりませんが、なおも文学の旅を続けたいと感じております。 「あとがき」のことばより引いた。 「なおも文学の旅を続けたい」と「あとがき」に書く梅原恭仁子さんの前向きな姿勢がすばらしい。 この本の装丁は君嶋真理子さん。 思うように色が出ず、苦心してもらった。 しおり紐の紫、花切れの紫と白の縞模様がのぞいてきれいだ。 この本の編集担当は千絵さん。 「文学作品などの舞台への紀行文などを、特に興味深く拝読させて頂きました。実際にお歩きになって書かれたということもあり、細かい描写が多数あり情景が目に浮かぶようでした。 この本を持って舞台となった場所を訪れてみると、より楽しめるのではないかと思いました。 いずれ私も訪れる際は梅原様の文章を心に留めて舞台を歩いてみたいと思います。」 と千絵さん。「文学紀行を読んでいると、その本を読んでその場所へ実際に行きたくなってしまいました。」とも。 梅原恭仁子さま、傘寿をむかえられおめでとうございます。 さらにさらに、文学の旅をつづけられ、第三エッセイ集の刊行を目指してくださいませ。 今日の「増殖する歳時記」は、清水哲男さんによって、長嶋有句集『春のお辞儀』より。 すぐ座ると叱られている四月尽 叱られているのは、たとえば新入社員。与えられた仕事がすむと、すぐに席に戻って座ってしまう。叱る側からすれば、隙あらばさぼろうとしているように見えるから叱るわけだが、新入社員から言わせれば、他に何をしてよいかが分からないから自席で待機するのだということになる。しかし先輩にそう口答えするわけにはいかないので、黙っていると、「少しは気を利かせたらどうだ」とまた叱られる。この「座る」はむろん手抜きにつながる行為の象徴であって、新入社員の一挙手一投足が、とにかく先輩社員のイライラの種になる時期がある。そして、そんなふうに過ごしてきた四月もおしまいだ。昔はここから五月病になる若者も多かったが、最近はどうなんだろう。ああ、私にも覚えがあるが、本当にすまじきものは宮仕えだな。『春のお辞儀』(2014)所収。 明日は休日。 明後日で四月も終わる。 明日をどうするか、 明日になって考えよう。
by fragie777
| 2014-04-28 19:40
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