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4月22日(火)
やっぱり好きな花である。 先日の13日の「東京マッハ」で、先行販売をしたくさんの方たちに買ってもらった長嶋有句集『春のお辞儀』が出来上がり、今週末にかけて書店に並びはじめると思う。 早ければ24日。待っていてくださったお客さま、お待たせいたしました。 本文はおなじで色違いの春らしい句集となった。 四六判変形上製本帯付。 やや小ぶりで軽くかわいらしい句集となった 装丁は名久井直子さん。 第一線で活躍中のブックデザイナーである。 「春のお辞儀」とはいいタイトルだ。 控えめな春のお辞儀を拝見す よりの命名であり、第一句集を春に上梓することへの粋な挨拶ともうけとれる。やわらかな感性がないと、こういう言葉は出てこない。 作家長嶋有さんの第一句集である。 帯に「二十年の軌跡」とある。長い句歴の持ち主なのだ。 しかし、ページをひらけばしょっぱなから意表をついてくる。俳句然とした俳句からは自由で、面白い。 ここでたくさんの句を紹介してしまうと、読者の買う楽しみがそがれてしまうので、わずかな句の紹介にとどめたい。 新かな遣いでいっけんわかりやすく内容は面白いのだが、五七五の定型を十全に生かした文体だ。 読者をかまえさせず、はじめて俳句を読む人間にもわかる俳句だ。 フランスパン端まで食べて雲の峰 冬天のはらいの太き愛の字よ 哀しい目にしか作れない雪達磨 「なんだか、面白い句だ。これだったらオレつくれるかもしれない」読んだ若者はふっと思う。 しかし、低そうなハードルはそう越えられないハードルなのである。それに気付くのは散々俳句と格闘してからのこと。やっとわかりかけたときは俳句にどっぷりはまってしまう。 それが長嶋有俳句の魔術である。 俳人長嶋有にはきっちりとした俳句へのポリシーがある。 それに裏打ちされた作品なのだが、それはご本人のなかで十分熟成されているから、作品はきわめて自然に無防備なくらいかまえがなく差し出されるのだ。 この句集にはたのしいしおりがついている。 この本を装丁したブックデザイナーの名久井直子さんと長嶋有さんが尽力してつくりあげたそれは遊び心と真剣さがないまぜとなったイカシタしおりだ。 句集のとびきりのおまけとなった。 そこに俳人の池田澄子さんが文章を寄せておられる。 よき理解者である池田さんの文章をほんの少し引用したい。 くす玉の割られた後や秋の暮 外灯や氷踏むときだけ黙る 水筒の麦茶を家で飲んでおり 分度器もち測るものなし初時雨 細かなコトに心躍らせる能力を彼は持っている。その対象のモノやコトに、私もかなり心躍る。例えば最初の頁に「見られれば歌うのやめる寒の明け」とある。ホントだ、人ってそういうものだ。この細やかさと敏感がナガシマユウである。(略)この本の中には、長嶋有の気付きによって日の目を見た、モノやコトが満ちている。今という事実への微かな違和と無聊も、この人の気付きだ。 句集の後半に「連作集」というのがあって、いろんなテーマによる連作を試みている。これもおよそ長嶋さんでないと思いつかないような人をくったテーマだ。それについても池田澄子さんは、「月に行く」の連作についてで、とんでもない世界を作り上げて呆れされてくれる。その本気の、作者の愉しさのお零れを、わたしもご馳走になった。とおおいに楽しんでおられるのだ。 歴史のあるところにはただの雰囲気も生じます。文化は我々を保護し、かつ甘えさせます。歴史や文化を信じるのと疑うのは同時でなければいけない。交互にとか、バランスよくではない、たとえ不可能だと思っても同時にだ、裏と表と同時にカードを切るのだ。というような気持ちで俳句に関わってきました。少なくとも、知った風な態度ではやってきませんでした。 それで俳句ってのはとても頑丈な詩型だということまでは分かりました。 「あとがき」のことばである。 このしおりは、河野丈洋さん作曲、凡コパ夫さん作詞による「句会はたのし」という音符つきの歌からばじまり、句集の読み方のアドバイス、句会へのいざない、穂村弘さん、鈴木菜実子さん、鶴谷香央理さん、米光一成さん、鮪好き夫さんなど各分野で活躍する人たちが一句鑑賞をよせている。100%ORANGEの及川賢治さんのカットも効果的だ。 本文は活版印刷。 やっぱりいい。 長嶋有さんは作家だけあって、なかなかシニカルで鋭利な観察眼の持ち主だということを感じたことがあった。 入梅や女を褒めている女 という句がある。「入梅」という季語だ。この「女」はあまり肯定的に詠まれていないのではとは思っていた。何かのときに話題となった。 「よくいるじゃない、女を褒めている女ってさ」といいながら、その褒め言葉のなかに嘘を見破っているような長嶋さんの口ぶりだった。わたしははっとした。結構わたしは女性を褒めてしまうのだ。それってこんな風に見ている男子がいるのね、ってぎょっとしたのだ。たやすく人を褒められないぞって、心した。けど、性分なのかなあ、やっぱ褒めちゃう。 ちょっと言い訳がましいのだけど、学生の多感なときに読んだリルケの『若き詩人への手紙』だったと思うが、そこに「もしあなたを感動させるものやひとがいたとしたら、その感動はもうそれはあなたのものではなくてその相手のものなのである。だからその感動を相手につたえなくてはいけない」というようなことが書かれていて、少女のわたしはぐっと来てしまったわけですね。で、それを日々励行しているわけです。 だけど、ひどい思い違いだったりして……。 だいぶ話がそれてしまったけど。 長嶋有句集『春のお辞儀』は、肩が凝らずに楽しく読める句集である。 この愛らしい一冊を、ぜひあなたの傍らにおいてくださいませ。 今日はひさしぶりに朝吹英和さんがご来社くださった。 朝吹さんは、ふらんす堂から第一句集『青きサーベル』、第二句集『光の槍』、第三句集『夏の鏃』、評論集『時空のクオリア』を刊行されている。たくさんのご縁をいただいている方なのに、あたらしいふらんす堂にまだいらしてくださらなかった。 先日、ある会でお目にかかったときに「是非に遊びにいらしてくださいませ」と申し上げたのだった。 ひさしぶりにいらしてくださった朝吹英和さん。 俳句仲間と句会をされ、若い人たちの句会指導もされているということ。 「若い人を教えるということは、非常に刺激になります。かえってこちらが多くを学びますね」と朝吹さん。 いまはエッセイに取り組まれているということ、いずれ一冊にというお約束をされて帰られたのだった。
by fragie777
| 2014-04-22 19:14
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