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12月23日(月)
夏以来かもしれない。 あたたかな日差しが尖ったこころをやわらげてくれる。 木はいつだってわたしたちに優しい。 昨夜は「柚子湯」をいったん諦めたのであったが、しょぼくれた柚子をやはりなんとか使って柚子湯にしたのだった。 包丁でいくつかに切って、未使用のゴミネットに入れて浴槽に浮かべた。 かろうじてではあるが、柚子の香りがしたのだった。 午後からは仕事場へ行きもっぱら仕事をする。 いろいろとメールが届き、返事をしなくてはならないのだが、それは明日にまわして目下の宿題をかたづけることにした。 「ふらんす堂通信139号」の原稿も入りはじめている。 年末から年始にかけてはもっぱらこの編集作業に追われることになる。 冊子「田中裕明賞」の編集にもとりかかっている。 来年のはやいうちに刊行したいものである。 「俳句四季」1月号が届く。 座談会「最近の名句集を探る」に、深見けん二句集『菫濃く』がとり上げられている。筑紫磐井さんの司会で、齋藤愼爾さん、中嶋鬼谷さん、原雅子さんによる座談会である。句をあげながらそれぞれの方が丁寧に語られているので、深見けん二先生にそのコピーをFAXする。特に中嶋鬼谷さんは、深見けん二という俳人をよく研究してこの座談会にのぞんでおられるようだ。すこし紹介をしたい。 中嶋 深見さんは昭和十六年、十九歳の時初めて出席した句会で虚子選に入ったんです。その句が「一筋の煙動かず紅葉山」。この時から一貫して「花鳥諷詠」の本道を歩まれていますね。今回の句集で印象に残ったのはまず「みちのくの今こそみどり旅二日」。山口青邨に「みちのくの町はいぶせき氷柱かな」の句があります。「いぶせき」は「貧しい」、「みすぼらしい」という意味です。青邨のみちのくの句には他にも「みちのくの淋代の浜若芽寄す」がありますが、青邨の貧しく、寂しい「みちのく」に比べて、深見さんの「みちのく」は明るい。それは時代の違いでもあり、青邨が岩手出身で、深見さんが福島出身という風土の違いもあり、もちろん個性の違いでもあるのでしょう。(略)この句集で強く印象に残った句は「空蝉の眼に及ぶ水明り」です。深見さんには句集『花鳥来』に収録している「ものの芽のほぐるる先の光りをり」という句があります。青邨はこの句を「夏草」の巻頭に掲げ「この句は特に微細なものの瞬間的変化、異常とも思われる現象を狙い掴んでいる」と評しました。この二句は生と死という両極の事象を詠んでいますが、青邨の評はそのまま両句にあてはまります。評が普遍性を持つということは、深見さんにおける客観写生という方法が、俳句にとって普遍的なものであることを物語っています。深見さんの俳句には写生の奥に命の輝きがあります。それから「地震のことどこか心に青き踏む」。「どこか心に」と、軽くいなすような詠いぶりに、かえって先の大震災への思いの深さがしのばれます。「どこか心に」は「いつも心に」でもあるでしょう。「青き踏む」という季語で、萌え出た青草に込めた再生の祈りも感じられます。 明日からは年賀状も書かなくてはならない。 これから自転車をこいで帰るつもり。 寒いな…… (そういえばわたしのブログを見た友人たちに電動自転車を褒められた。スマートだって。そうでしょ!ってわたしは胸をはった。プレゼンターに改めてお礼を言わなくっちゃ……)
by fragie777
| 2013-12-23 19:09
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