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11月28日(木)
寄り添うふたりにかぎりなく日差しはあたたかだ……。 興味深い句集の見本が出来上がって来た。 このブログでも少し書いたが、介護を詠んだ句集である。 新聞社や週刊誌や婦人雑誌などに見本を送るべく、昨日はその作業にスタッフのさつきさんに手伝ってもらいながらいそしんだのだった。 柳沼新次句集『無事』。 解説を書かれた池田澄子さんが、「介護をかかえている人に是非読んで欲しい句集です」と今の時代に一押しのものとして推薦されている。 介護される者の日々が、苦労や不幸だけではないことを、これらの俳句は証明している。突きつけられた負の状況に真っ向から向き合い引き受けたことによって、彼は確かに大きくなった。高齢者が人口の何十%を占めているのか詳しくは知らないが、あぁ人生は、あぁ加齢は、そして病は、そんなに怖い嫌なだけのものではないのかもしれない。身を以て、それを知らせてくださっている句集である。(池田澄子・解説より) 著者の柳沼新次さんはまことに朴訥とした方であり、淡々と介護の日常を詠んでおられるというのもこの句集を清々しいものにしている。 出来上がりは12月2日。 改めて紹介したいと思うが、作品をいくつか紹介したい。 雛の間に妻のベッドを移したり 晩秋や三十キロの妻重し マフラーを二人で捲けば死ぬかもよ 小春の日座敷で妻の髪を切る 無事の日や妻に水仙ひとバケツ 「マフラー」の句には、ドキッとする。 「介護する」「介護される」は、もう他人事ではないわたしたちである。 お客さまがいらっしゃった。 尾道より巫依子(かんなぎ・よりこ)さん。 巫依子さんは、俳誌「知音」(行方克巳・西村和子代表)に所属する俳人である。 句集刊行のご予定があり、ご上京のついでに足をのばしていろいろとご相談をされたのだった。 27歳のときに西村和子さんの句会に初めて行ったのがきっかけで俳句を始められた。その後人生は波乱万丈であったが、俳句を止めることは決してなく、詠み続けてこられたという。 大阪人であったが、六年前に単身移住をされ、いまは尾道で仕事をしながら俳句を詠まれている。 「尾道の風物を詠みたくて、思い切って移り住みました。尾道が大好きなんです」と目を輝かせる巫さん。尾道では、写真や絵画、あるいは音楽などと俳句をコラボさせたりして地元の人たちとの交流を楽しんでいるということだ。 今年の角川俳句賞に応募して、最終選考に残った方であることも今日知った。 タイトルは「百島(ももしま)」。 その応募のいきさつも面白い。フッと応募してみようと思い立ち、3日間尾道にある百島にこもり、27000歩を歩いて100句つくり50句自選して送ったというのである。 「本当は先生に見ていただかなくてはいけなかったのですが、そういうことにも気づかずに応募を思い立ったのが締め切りの一週間前でしたので、もうただひたすらに作ってエイッとばかり送ってしまいました。あとで先輩の方にどうして先生に見て貰わなかったのだと、叱られました。」 「そんなんですから、きっともう駄目だろうと思っていたら、昨日俳句の仲間の人から、あなた、最終候補に残っていたわよ、って言われ、それはもうびっくりしたんです」 「最終候補に残るっていうのはすごいことなんですよ」って申し上げると、 「ええ、仲間からもそう言われました。でも、わたしそれが載っている「俳句」を見てないんです」ということ。 さっそくPさんが「俳句」11月号のその記事をコピーして差し上げたのだった。 最終候補に残ったばかりでなく、高野ムツオ氏の推薦をいただいている。そのこともご本人は知らなかったという、なかなか不敵なお人である。 お話をうかがえば、恋多き波乱の人生でいらしたとか。 「恋に翻弄された自分を抜けて、ようやく自分をみつめつつあるそんな日々です。」 奔放な巫さんの生き方を師である西村和子さんや行方克巳さんは、ずい分心配をされたそうである。 「あなたももう、自分にちゃんと向き合ってしっかりと俳句をつくりなさい」と西村和子さんからは愛情のこもったお叱りもいただいたとのこと。 「今日はこれから句会に行って、西村和子先生の厳しいご指導をうけてきます」とお顔を引き締めらられた。 お帰りになるときに、 「人生、泣き笑いと勇気のみです」と言っておおらかに笑った巫さん。 さすが、あっぱれ浪速女であった。 昨日の毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」は、現代俳句文庫72『火箱ひろ句集』より。 mamanを訳すとおかん石蕗の花 mamanはフランス語で母を意味する。小児語だというから、日本語のおかん、かあちゃん、おっかあなどに当たるのか。今日の句、現代俳句文庫「火箱ひろ句集」(ふらんす堂)から引いた。ひろは1949年岡山県生まれ。今は京都市に住んで活躍している。「歯が大事友だち大事冬林檎」「青空の冬木のように子規の文字」もひろ。 わたしには「おかん」ということばは、遥か遠いところの外国語のようである。 それはわたしにとって大阪城よりもエッフェル塔の方が20センチくらい親しいのと同じように、mamanの方が親しい感じがする。 でも「かあちゃん」「おっかあ」はそんなことはない。
by fragie777
| 2013-11-28 19:26
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