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10月7日(月)
「さて今日は何を着ようかな」とクローゼット(実は押入れ)を開いた。 衣替えをして整理をしたばかりなので、中はまことに洋服がお行儀よく並べられ気持ちがいい。 しかし、このお行儀のよさはいったいいつまで続くのだろうか……。 わたしが知らないうちに(と思いたい)すぐに雑然とえらいさまになっていくのだ。 どうしてわたしの身辺はこうも混沌としてしまうのか……。 わたしはその原因がまったく分からないのだ。 教えてほしい。 本屋さんに立ち寄った。 二冊、本を買った。 一冊目は、金井美恵子のエッセイ集『小さいもの、大きいこと』。作家金井美恵子の存在はいつも気になる。表現者としてつねにラディカルなところでものを考える人だ。かつてのエッセイ集『夜になっても遊びつづけろ』は大好きな本だが、そのエッセイはさらにさらに先鋭化しているように思える。帯のことば、 「非常時のことば」は液化する という一文に魅かれて購入。 新刊句集を紹介したい。 村井弘子句集『たんぽぽ』。 著者の村井弘子さんは、俳誌「花鳥来」(深見けん二主宰)に所属、第一句集である。 俳画をはじめたことがきっかけで俳句もつくるようになったということであるが、そのへんのいきさつを「あとがき」にこのように書く。 私にとって俳句は遠い遠い存在でしたが、「俳画」の稽古をしている間に、自分の句を賛としたいと言う大それた思いから俳句教室に入ることにしました。平成八年四月、池袋コミュニティカレッジ俳句教室に、全く俳句の世界も講師の深見先生が偉大な俳人でいらっしゃる事も知らず入会致しました。そしてまず、「客観写生」「花鳥諷詠」と言う難しい言葉に出合い、未だに心迷いなかなか上手く行かないのが現状です。平成十九年にけん二先生主宰の「花鳥来」に入会させて頂き、先生の優しさ厳しさにふれその立派なご人格を尊敬しつつ、また結社の大先輩方の秀句にふれ勉強させて頂いております。 俳画は始めてからもう18年になられるという。この句集の表紙のたんぽぽの絵もご本人の筆になるものであり本文にも六点ほど俳画を収めている。そのうちの二点を紹介したい。 ボランティアで俳画教室で教えられているということだけあって、筆致に勢いと躍動感がある。 深見けん二主宰が懇切な序文を寄せている。 海芋咲き白き流れとなりにけり 一人来て人に紛れて花菖蒲 森深く又谺して時鳥 一人佇ち枯山水の滝の音 人はみな眠りに落ちて鉦叩 磨きたる窓に音立て冬の蠅 鎮魂や鏡の如き冬の海 (沖縄) とどまれば我が身に深く囀れる ほてりたる顔のぞかせて夏帽子 どの句もただの描写でなく、ものがまさしく弘子さんの心を通して詠まれており、そこに作者が投影されている。従って淋しさというものが入っているが、それは単なる個人的なものというよりも、人間として生きてゆく上での淋しさ悲しさである。又「とどまれば」の句は、万物の中に生かされている喜びであり、「ほてりたる」の句は、子供の潑剌とした生命の輝きが見事に詠まれている。 池静か心静かや昼の虫 落葉搔手を休めては肩ほぐし 星とんでたちまち胸の騒がしく 母恋ふる心にも似て薺打つ 飾りたる願ひの糸の灯に滲み 風の日の野はかたかごの色に揺れ この句(「風の日の」)は、私の家の近くで行った「花鳥来」の例会での句である。清瀬市で、かたくりの花を保護する地区を定め、桜の咲く頃に丁度かたくりの花が咲き揃う。その日はかなりの風があったがよく晴れていた。その景を「風の日の野は」と詠み出し、「色に揺れ」と云い止め、実際よりももっと広い美しい景としたことに驚いた。ものである。まことにゆたかな色彩で、それは俳画によっての色彩感覚が生かされたものとも思う。 「かたかご」の句についての深見けん二主宰のことばである。色彩感覚の豊かさは俳画によって生み出されたものであると書かれているが、わたしも句集を読んで色ということおもった。時々鮮やかな色が俳句を読んでいると目に飛び込んでくるのだ。 盆梅の盛りの色を並べをり 春の蠅玉虫色にひかりたる 一雫置きて色増す花菖蒲 つはぶきの花の色にもある日向 日あたりて真昼の色の濃山吹 元日や真白き馬車の走る町 新緑に染まりて句碑の鮮しき 黄の絵の具溢るる如く日輪草 染めあげて秋の入日の奈良盆地 梅一樹うす桃色に膨らめる 大空の日のかけらとも白き蝶 銀色に葉を裏返し風薫る 治まらぬ風の白さよ大桜 白牡丹日差しもろとも揺れにけり 白蝶の紛れ込みたる白牡丹 ほかにもまだ色にかかわる句はたくさんある。こうしてみると著者の色はつねに風光の色をまとっていて明るい日差しを感じさせる。句集名を「たんぽぽ」にも響きあう著者の心を満たす光りの色なのかもしれない。 句集『たんぽぽ』は四六判フランス装。 わたしが気になった句はつぎの句。 木の実落つ雨垂れよりも小さき音 繊細な句だ。木の実の落ちる音は時として「雨垂れ」よりもひそやかな音の時もある。しずかに耳をすましている著者が見えてくる。 今日の「増殖する歳時記」は、清水哲男さんによって山口昭男句集『讀本』より。 木の蔭の中の草影秋暑し 秋は大気が澄んでくるから、見えるものの輪郭がくっきりとしてくる。影についてもそれは同じで、陽炎燃える春などに比べれば、その差は歴然としている。この句は「木の蔭」と「草の影」を同じ場所に同時に発見することで、澄み切った大気の状態と夏を思わせる強い日差しとを一挙に把握している。それにしても、木陰の中の草影とは言い得て妙だ。ふだん誰もが目にしている情景だが、たいていの人はそのことに気がつかないか、気づいても格別な感想を持つことはないだろう。そうした何でもないようなトリビアルな情景を拾い出し、あらためて句のかたちにしてみると、その情景以上の何かが見えてくるようだ。俳句の面白さのひとつはたぶん、このへんにある。この発見に満足している作者の顔が見えるようで、ほほ笑ましい。『讀本』(2011)所収。 そして今日の毎日新聞の新刊紹介では、ふらんす堂刊行句集が二冊紹介されている。 一冊目は大島雄作句集『春風』(はるかぜ)。 色鳥や若き主治医に叱られて 2004年以降7年間の作品をまとめた第4句集。人生の変動期となった50代の作品であり、軽妙を志向しつつも自己投影の要素が色濃いものが少なくない。 もう一冊は、今瀬一博句集『誤差』(ごさ)。 起立してなんと不揃ひ卒業子 著者は「沖」「対岸」同人。32歳から49歳までの作品を収める第1句集。若き父親として、あるいは高校教師としての日常を力まずに詠んで爽やかな一冊である。 明日は大島雄作句集『春風』を紹介します。 紹介しなくてはいけないものが沢山たまってしまって、わたしは夏休みの宿題に追われる小学生のようである。(ちょっと泣きべそ状態) それに目下「ふらんす堂通信」編集期間のまっただ中、でも何も手をつけておらず、緑さんPさんを中心にスタッフが一丸となって頑張っているのだけど、できるだけ知らんふりをしている。 でもそうもいかなくなった。 明日はコラムでも書くか…… テーマはあたらしいスタッフの千絵さんが決めた「好きなお菓子」なそうな。 好きなお菓子ねえ、 いっぱいあって迷うなあ……
by fragie777
| 2013-10-07 19:24
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