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7月15日(月)
奈良・京都の旅先から戻ったところである。 「ものすごい暑さだよ」と脅かされたのであるが、奈良は人が少なく、京都はゲリラ豪雨のおかげで比較的涼しかった。 実は仏像を見る旅の予定だったのだが、ちょうど京都は祇園祭に最中にあたり、それならば祇園祭りをみておこうということになった。 13日の奈良は予定どおり仏像をもとめての旅だったのだが、しょっぱなから見事にフラレタ。 というのは、生駒山にある宝山寺(ほうざんじ)の「制タ迦童子立像」をふたたび拝顔したいと思ったのだった。 この「制タ迦童子立像(せいたかどうじりゅうぞう)」は「矜羯羅童子立像」とともに不動明王の脇士であるが、この宝山寺の「制タ迦童子立像」はとりわけ魅力的な童子立像である。かつて歌人の前登志夫さんが、田中裕明さんのことを評して、「彼は制タ迦童子像にどこか似ていた。不動明王の脇士である」と書いていたが、これはまぎれもなくこの宝山寺の制タ迦童子立像のことを言っているのだ。 2009年の8月にわたしはこの宝山寺で制タ迦童子立像を拝顔している。 可憐な矜羯羅童子立像とともにかなり間近でゆっくり見ることができたのは、忘れ難い思い出だった。 7月21日は「田中裕明賞」の授賞式である。 それを控え、今回もう一度見ておきたいと思ったのだ。 しかし、である。 一般公開はしていないと断られてしまったのだ…… ケーブルカーに乗って長い坂を歩いてのぼり生駒山の宝山寺にたどりついた挙句である。 あーあ、 無念だ。 この坂をふたたびわたしたちは肩を落として戻ったのだった。 もともとこの宝山寺は観光の寺というより信仰の寺である。 だから、集まってくる人々は信仰厚い人たちだ。わたしたちのように仏像に見にくる人間はほとんどいないのかもしれない。2009年に来たときも特別に拝顔させてもらったように記憶している。 今から思えば拝顔できたということが異例だったのかもしれない。 かつて目の当たりした制タ迦童子のことを幾たびも蘇らせながら、わたしは山を下ったのだった。 そのあとは東大寺に行ってゆっくりと時間を過ごしたのだった。 人が少なく閑散とした東大寺というのはいいものだ。 そばに行こうとすると、 そして、 こんな風にぐっと迫ってきた。 わたしたちは少し恐くなった。 鹿たちの平安を乱さないように、退散することにしたのだった。 2日目の祇園祭のこと、そして今日のことはまたあらためて書きます。
by fragie777
| 2013-07-15 22:33
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