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6月13日(木)
「天才は努力家に敵わず、努力家はそれを楽しむ者に敵わない」 はじめ聞いたとき、なにい、フン?!って思ったのだけど、 だんだんそうかもしれない、って思うようになって…… どう思います。 えっ、いったい誰のことばかって? ウフフフフ、 内緒ね。 分かる人にはわかると思うけど。 案外含蓄のある言葉かなって思っているのだけど、あなたはどう思います? 新刊句集の紹介をしたい。 入部美樹句集『花種』(はなたね)。 精鋭俳句叢書”serie de la fleur"(花のシリーズ)にての刊行である。第一句集である。 著者の入部美樹(いるべ・みき)さんは、俳誌「青山」(山崎ひさを主宰)に所属、20年間の作品をまとめられた。序文は山崎ひさを主宰、栞は村上鞆彦さんが書かれている。 送り出して赤子と二人今朝の冬 子の増えて父母のゐて初写真 母の日や子に任せたる厨事 入院の父の荷軽し春の雨 長男の長女の受験票届く 病癒えし父に十年日記買ふ 祖父見舞ふ卒業証書抱き来て 遺されし父の机辺に春惜しむ 花散るや父の日記を母が継ぎ ネクタイの色の明るく卒業す 師と共に父の墓前や梅真白 日曜や娘と二人日傘差し 青い月ぽろんと夫のピアノ鳴る 編年体による句集『花種』は、年を追っての一句一句の積み重ねが、そのまま作者の歩みそのものとなっている。そればかりではなく、ひいては入部家とその周辺の歳月を素直に、そのまま詠みとめている。正に先師岸風三楼の説く「俳句は、作者の履歴書」の見事な実践である。 山崎ひさを氏の序文の言葉である。「俳句は、作者の履歴書」という俳人岸風三楼の言葉によってその師系に連なる岡本眸の「俳句は日記」という言葉も同時に立ち上がってくる。まさにこの句集は、娘であり妻であり母である著者の日々を俳句でつづった日記である。家族の風景が呼び起こされてくるのだ。 俳句という詩形がもつキャパシティの大きさだ。俳句によって日々は記されていくということもある。 まだ箸を使へぬ子にも祝箸 出勤の夫の触れゆくおじぎ草 みんみんや子に足し算の指足らず 子の机借りて文書く夜長かな 飾りたるひとつは母の雛道具 一読して、ご自分のためというよりも、ご家族のための句集なのだということが分かった。普段、美樹さんがご家族のことをにこやかに話される様子を見ていた私には、この構成はひじょうに納得のゆくものだった。家族あってこその自分の俳句という美樹さんの思いが、ひしひしと伝わってきた。(略)あとがきによると、美樹さんは二十年前に俳句を始めたという。年を重ねてから俳句を始める人が多い現在において、二十年前というタイミングは美樹さんにとってひじょうに幸運だったと思う。子育ての経過をリアルタイムで俳句として残せたのだから。また、当のお子さんたちにとっても、自分たちの成長過程のひと齣ひと齣が俳句として残されているということは、何物にも代えがたい幸運なことに違いない。私はこの句集『花種』を読みながら、入部家の宝物のアルバムを見せてもらっているような気持ちになった 「宝物のアルバム」と題した村上鞆彦さんの栞から引用した。 この句集には家族という共同体にやすらぐ人たちがいる。それを信じそれを守りそれを引き継いでいこうとするための日々の努力をおしまない人たちといってもいいかもしれない。母であり妻であり娘であるということは家族という共同体のなかでこそ意味を持つものである。気持ちのよいまでのその共同体へのやすらぎと信頼は、「花種」という句集名を得てそれがいっそう強いものとなり未来へと向けられていくものとなった。入部美樹さんの思いが籠められた句集名だ。 母の手はいつも子のもの野に遊ぶ 雪だるま子に友達の増えてをり てつぺんに名前書きある水泳帽 あたたかや子供の名前呼び違へ 鞄置く音の大きく帰省の子 赤ん坊のおでこを褒めてさくらんぼ 母と見しあと夫とみる桜かな 夕焼に押さるるやうに帰りけり 家中の椅子の集まるクリスマス よその子とおたまじやくしを覗きをり 落葉道もう手をつなぐ子はをらず 句集には、家族が入れ替り立ち替り登場しますが、特に、末の子の浩平のことは、俳句のために生まれたようだと言われるほど、たくさん詠みました。句会場がマンションの集会室ということもあって、浩平が幼稚園に上がるまで、句会に連れて参加させて頂いたことは、良い思い出です。 句集はそのまま家族の歴史となりました。句集をまとめてみて、改めて家族の大きさに気付かされました。一日一日を重ねて来られたことの幸せを感じました。浩平も高校生になり、私が俳句と向き合う時間も増えてきました。家族のかたちも少しずつ変ってきました。これまでの二十年を一区切りとして、また、新たな気持ちで一歩を踏み出したいと思います。 「あとがき」のことばである。 「俳句と向き合う時間が増えて」きた入部さんだ。第一句集という「花種」を得て新しい花を咲かせるためのこれからの時間なのであると思う。 句集の装丁は君嶋真理子さん。オレンジやピンクがお好きであるという著者の思いがうまく表現された。46判小口折表紙カバー装グラシン巻きの造本である。 花吹雪けふ母でなく主婦でなく 蜜豆や帰るに急かぬ日もありて こんな時の入部美樹さんの顔をちょっと見てみたい気がする。ふっと気がぬけたような放心したようなお顔をされていたのかしら。 歩くほど拡がつてゆく夏野かな 花野出て影新しく歩きけり 句集の後半に置かれた作品である。 子供たちの独立とともに、俳句作家としてあたらしい歩みを始められたことを予感させる作品だ。 第一句集の刊行、すなわちあたらしい出発である。 お客さまが来社された。 田窪与思子さん。 詩集のご相談に見えられたのだ。 かつてパリに2年間そのあとブリュッセルで暮らしその後日本へ戻られて結婚をされて今日までずっと小説を書かれてきたという方である。賞の選考にも残ったという短編小説もある。数年前にご主人が急逝されるという思わぬ事態がありその後すべての気力をなくされていたということである。しかしブログを立ち上げ、詩の作品を書くことによって癒されていったという田窪与思子さんである。 その書き続けて来られた詩の作品を今回まとめてはじめての詩集をおつくりになろうというもの。 ふらんす堂の近くにお住まいなのでバスでご来社くださった。 吉増剛造さんの詩の講義に出られているという田窪さん。その講義の素晴らしさを夢みるように語ってくださった。 「詩集をつくるのに、I出版センターとふらんす堂とどっちにしようかと迷って、屋久島の霊能者に聞いたのね。そしたらふらんす堂って言われて……」 と笑いながらおっしゃったのを聞いてわたしも担当のPさんも大笑い。 「どうぞ、その霊能者さまによろしくお伝えくださいませ」ってこころから申し上げたのだった。
by fragie777
| 2013-06-13 20:15
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