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11月27日(火)
名栗にて。 今日は、紅葉散るなかを運転してきた。 家を出た時からハラハラと落葉が舞い、それはずっと甲州街道に出るまで続いた。 信号待ちをしている甲州街道にも欅紅葉が舞い散っている。 いい景色だ。 しばらくうっとり眺めていると視線を感じた。 横を見ると可愛い男の子がじっとわたしを見ている。 別方向に行く隣の車の助手席に母親に抱かれているようだ。 三歳くらいかな、目がぱっちりし髪の毛が渦巻いている。 20年経ったら結婚してあげてもいいくらいの可愛さだ。 あんまりわたしを見つめるので、わたしもにっこりと極上の頬笑みを返した。 するとあちらもにっこりと天使の頬笑みを返してくるではないか。 こう言っちゃなんだけどわたしはサングラスをしてスカシた年増女だ。 その歳でわたしの魅力がわかるわけ、 えらいぞ。 おっと、青信号だ。 わたしは彼にサインをして最高の笑いをみせた。そして 「20年後に結婚しようね」 と心の中で叫び、アクセルを踏んだのだった。 わたしとその彼との間で交わされたことは、舞っている落葉のみぞ知ることとなった。 共同通信発信の東奥日報の記事を片山由美子さんが送って下さった。 「俳句はいま」というテーマで片山さんが連載で書いておられるのだ。今回は「全句集の意義感じる3冊」というタイトルだ。その三冊は、宇多喜代子編『藤木清子全句集』(沖積舎刊)、『伊丹公子全句集』(沖積舎刊)、そしてふらんす堂刊行の『春 川崎展宏全句集』である。 『藤木清子全句集』については、 昭和初期に、新興俳句系の俳誌数誌に先鋭かつ清新な作品を発表していた藤木清子という俳人がいる。10年ほどで俳誌から名前が消え、消息も不明となってしまったことから、清子を知る人はそう多くはない。宇多喜代子は、だいぶ前から藤木清子の俳句に注目し、機会あるごとに紹介してきた。そして今回、「ひとときの光芒 藤木清子全句集」を刊行するに至った。 とその刊行への経緯を紹介しながら、 あきさめのビル街ふかくわがゆける ひとりゐて刃物のごとき昼とおもふ などをあげ、 研ぎ澄まされた感覚が印象的である。 と紹介している。 『伊丹公子全句集』については、 既刊14句集とそれ以後の100句などを収める膨大な作品集。(略)87歳の著者が自身の手で刊行したことをたたえたい。 『春 川崎展宏全句集』については、 2009年に死去した川崎展宏の全句集。生前6冊の句集を刊行し、第4句集以降は、「夏」「秋」「冬」というタイトルをつけていた。つぎは「春」のはずだったが、みずからまとめることはできなかった。その作品を「冬」以後とし、全句集名を「春」としたところに、故人への敬意が感じられる。格調が高く、季語に対する信頼に貫かれた作品だが、随所にのぞく遊びごころもまた楽しい。 この度「北海道新聞短歌賞」を受賞した山田航歌集『さよならバグ・チルドレン であるが、受賞前に歌人の東直子さんが北海道新聞にこの歌集の書評を寄せていた。「ペットボトル世代の諦念、情熱」と題する一文だ。抜粋となるが紹介したい。 いつだつてこころと言葉を結ぶのが下手だねどうしても固結び 世界ばかりが輝いてゐてこの傷が痛いかどうかすらわからない たぶん親の収入超せない僕たちがペットボトルを補充していく ぼくたちは尾びれをリボンでつながれたランブルフィッシュひどくさみしい 鳥を放つ。ぼくらは星を知らざりし犬として見るだらう夜空を 打ち切りの漫画のやうに前向きな言葉を交はし終電に乗る 一冊の歌集を編むにあたって、現代社会に適応することの困難さが大きなテーマとして貫かれている。(略)ペットボトルが青春の傍らに最初からあった最初の世代の作者には、混迷の時代を生きる上での様々な「打ち切り」への恐怖が意識の底にあり、歌を詠まずにはいられないのだ。 ああ檸檬やさしくナイフあてるたび飛沫けり酸ゆき線香花火 カントリーマアムが入室料になる美術部室のぬるめのひざし 雑居ビル同士のすきま身を潜め影が溶け合ふ時刻を待つた しかし、この歌集の作品は、そうした歌ばかりではない。(略)どの歌も鮮やかな色彩とともに瑞々しく暖かな情の流れる一瞬が閉じこめられている青春歌である。言葉の意味と韻律の響きあい、光と色、漢字とひらがなの配分など、短歌としての完成度が非常に高い。(略)短歌形式を熟知し、深く信頼していることが窺える。その上でのひたむきな模索に注目したい。 そして今日のねんてんの今日の一句は、『春 川崎展宏全句集』より。 赤いスカーフ十一月の晴れた日の 『川崎展宏全句集 春』(ふらんす堂)から。とてもシンプルだが赤いスカーフが印象的。倒置して「赤いスカーフ」を最初に出したところに心の弾みというか11月の晴れた日を楽しむ気分があるだろう。 展宏は2009年11月29日に82歳で死去した。句集をもらったことがあるが、手紙などのやりとりはなく、つまりこの俳人と私の接触はなかった。彼は高浜虚子の研究者だったが、私からすれば虚子派の人は少し疎ましかった。でも、会う機会を得たかった俳人である。 川崎展宏さんも坪内稔典さんもたいへん恥ずかしがり屋さんだから、お二人だけでお会いしたらどうなったことだろう。 お二人とも黙ってひたすらうつむいているのかしらん、なんて考えてしまった。 お酒が入ってくると俄然展宏先生は元気になられるので、そうなればダイジョブかな…… でももうそれは叶わないけれど。
by fragie777
| 2012-11-27 18:42
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