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11月6日(火)
たくさんの釣竿をほぼ直角に立てて糸がピンと張られていた。 大きな鯉を釣るのだという。 向うに見えるのは竹生島。 いろいろと親切に教えてくれた。 昨日俳人の大野朱香さんの訃報に触れたが、本当に急逝であった。 ふらんす堂から三冊の句集を刊行とわたしは書いたが、それは間違いで四冊の句集を刊行されていたのだった。 最初の大野朱香第一句集『嗚呼』は、1992年の刊行でありわたしのかつての自宅が発行所となっていたころのものである。新書版の大きさで朱香さんの「朱」を意識したわたしの装丁である。この句集をつくるのがとても楽しかったことを覚えている。グラシンを巻いたので色が鈍く見えるが実際はなかなか瀟洒である。 大野朱香さんは有名な通信販売の会社にお勤めでそこで発行するこれまた有名な雑誌の編集をされていた。中野にあるその会社に伺って打ち合わせをしたのだった。その後第三句集まで打ち合わせのためにいつも中野にうかがうこととなった。 第一句集『嗚呼(ああ)』には、大野朱香さんが所属していた俳誌「童子」の主宰者・辻桃子さんが序文を寄せている。大野さんの俳句の質をずばりと言い当てていると思う。 大野朱香は不思議な女の子だ。ある雑誌の編集者なのだが、その会社で俳句の入門書を作りたいということで、喫茶店で打合せをしたのが最初の出会いだった。その場で、私が「俳句の本を作るなら、自分で句を作ってみるのが一番いいことよ」というと、即、俳句を作り始めた。その後のお便りにはいつも必ず一句添えられているので、「句会にも来てみませんか」というと、即、句会に現れるのである。(略)その時の句会にこんな句が出された。 春燈を点せば嗚呼と二十人 大野朱香の句だった。この句にはワンサカ点が入り、もちろん私の特選だったのはいうまでもない。この即興と機知と即物的なやさしさこそ、その後ずっと朱香の俳句の特色になっている。 その後の第二句集は、『はだか』。 思い切ったタイトルに一瞬わたしはたじろいだが、君嶋真理子さんの装丁で俳諧的な一冊となった。 これはもう裸といへる水着かな ふうむともさうかともいひ懐手 ながき夜のみじかき夢の中にあふ 素材大切、技量大切、そして何より持ち味大切。本人は、軽くしようとも軽くてよいのだとも思っていないことは読めばすぐ分かる。いや、はだかの自分を見せながら、位相の深さを維持し続けることがいかに困難なことであるかを覚悟の上で、軽妙の風貌をそれでも帯びさせようとする心意気に、明るく共鳴の乾杯をしておきたい。 辻田克巳氏が栞を寄せている。一部を引用した。 第三句集は『反物』。この本もまた君嶋真理子さんの装丁である。第一、二句集同様、新書版スタイルの軽装版だ。 反物は畳を転げお山焼き 鳥の巣の№4に入りにけり パソコンのうんともすんとも芋の秋 どうにも不思議な面白さのある句集それが『反物』である。 と書くのは栞文を寄せた詩人の宗左近さんである。 しかめっ面や深刻じみたことをいともたやすく軽量化ししなやかな笑いの俳諧に転じて見せるのが大野朱香だ。それはそれで精神力のいることなんじゃないかとわたしは思った。 そして残念ながら最後の句集となってしまった第四句集『一雫』(ひとしずく)。 装丁は同じく君嶋真理子さんだが、判形は四六判正寸のいままでとは違う655句を収録するたっぷりとしたものとなった。この句集には小沢信男さんが栞を寄せている。 吾が影の中に吾在り榾明り 節穴をのぞけば白き花吹雪 大野朱香さんか、よぉく知っているぞ、という気でいたが、じつは、ほとんど存じ上げない。(略)そのくせ熟知のようなつもりなのは、既刊の句集『嗚呼』『はだか』『反物』の三冊を日ごろ愛読しているせいだろう。どれも八〇頁ほどに薄く、無造作に読めて、気楽に楽しい。しかも存外な魅力を秘め、秘めてなぞいないのがチャーミングなのですよ。その大野朱香の第四句集です。この度は240頁もの太めであらわれたぞ。四番バッターともなれば、さすがの貫録、ということか。(略)生来の都会派から、時にするりとぬけでても、やっぱり都会派かもしれないが。なにやら不穏な大野朱香の行く手に、たのしき冒険あれ! 小沢信男さんの楽しい栞だが、いまはもう大野朱香さんがこの世にいないのだと思うと切なくなる。この句集は2007年刊行であるからもう5年前となる。句集『一雫』よりほかに何句か紹介したい。諧謔味の強かった俳句から即物的な詠み方が中心になってきたようにも思えた。 盥打つ糸瓜を出でし一雫 初秋刀魚太き火柱あげにけり ういてくるおたまじやくしの頭の光り 星合の何ももたずにでかけたる 鶏頭の頭をころげ水の粒 へたりをる枕に月の光かな 黒光りせしちやぶ台や虹の橋 大野朱香さま、ご縁が深かったことを嬉しく思っております。 ありがとうございました。 「虹の橋」を渡っていまはもうきっと安らかでおありでしょうね。 ご冥福をお祈り申し上げます。 今日の「増殖する歳時記」は、土肥あき子さんによって、橘いずみ句集『燕』より。 活けられて女郎花とはさみしかり ボロギクやイヌフグリなど、花の名には気の毒なものが見られるが、女郎花もそのひとつである。鮮やかな黄色でありながら、粟粒が集まったような控えめな花である。群生していてこその美しさもあり、一本折り取ると存在がことさら薄まってしまう。花瓶など花として活けられたときの所在なさはいかばかりか。女郎花といえば「紫式部日記」のなかで触れる女郎花の項の終わりかたはひときわ印象的だった。「その折はをかしきことの 過ぎぬれば忘るるもあるは いかなるぞ」、意訳すると「その時は興味をもっていたのに、時が経つと忘れてしまうものなのね」。花言葉は「約束を守る」。なんとも皮肉に思えるものの、これもまた時が経てば忘れてしまうのかもしれない。『燕』(2012)所収。 今日も長いブログになってしまった。 いまちょっとお手洗いに行ってきたのだけど、その間でわたしは今日の夕食を決めた。 今日はパスタだ。 魚介類とトマトソースのパスタを作ろう。 そしてモッツエラチーズをそこに入れよう。コクが出て寒くなった夜にはぴったりである。 サラダは人参サラダの千切り。あればそこに生ハムを載せたい。 えっ? トマトも人参も赤色ばっかりじゃないかって…… 緑黄色野菜が欲しいって。 ふっふっふっ(←不敵な笑いのつもり) いいのよ。 それはね、 わたしがね、 実は翡翠のような美しい緑のセーターを着ているのよ。 このせーたーが野菜の代わりよ。食べられないけどさ。 想像してみて、 黄色の灯りの下、目もさめるような緑のセーターを着た女が赤いパスタと赤いサラダを食べる景色を。 きれいでしょ。 むむ? だれ! クリスマスにはまだ早い!って。 フン、大きなお世話よっ。 ほっといてくれない!
by fragie777
| 2012-11-06 19:50
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