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10月20日(土)
秋麗の一日、武蔵野を歩く。 あらゆる草木の実がさんさんと輝いていた。 写真の実はその中のひとつ、「イシミカワの実」。「石見川」「石実皮」「石膠」と書き、タデ科イヌタデ属のつる性の一年草とのこと。 いつも通っているところなのに始めて知った宝石のような草の実だ。 今日は新刊の有働薫著『詩人のラブレター』を紹介したい。ふらんす堂のホームページに六年間にわたって連載したものを、一冊にまとめた本である。が、一冊にするに当たって、著者の有働薫さんには、60篇の詩を40篇に絞っていただき、そこに添えられていた小文を思いきって書きなおしてもらい始めての読者にも読みやすいものにしていただいた。編集担当のPさんの申し入れを快く根気よくお聞き下さって詩の入門書としても内容の充実したものにしていただいた。 この一冊は、詩人たちがすべての人におくるラブレターなのだ。 ここに収録された詩篇は、それぞれ宝石のような詩篇である。 この『詩人のラブレター』は、その宝石がびっしり詰まった宝石箱である。 二部構成になっている内容について、有働薫さんは「あとがき」でこのように書かれている。 第一部では、詩人はすでに亡くなっており、香り高い日本語訳に寄り添われてすでに名詩と呼ばれるにふさわしい作品24篇をまとめ、この中にはどうしても忘れがたい嵯峨さんと吉行さんの作品も含ませ、第二部では現在も活躍中でまだあまり定訳の見られていない詩も含めて16篇を、あるものは作品の一部になってしまいましたが、とりあげました。 第一部では、わたしたちのよく知っているフランスのサンボリスム(象徴派)の詩人たちが登場する。名前を見るだけでワクワクするような詩人たちだ。左ページに原文を載せ、右ページに日本語訳を載せて読みやすくした。詩のレイアウトにもPさんはこだわり美しい配置となるよう心掛けた。 日本語訳はどれも名訳中の名訳だ。ボードレールの「旅へのいざなひ」を鈴木信太郎訳の韻文で読む贅沢。わたしたちの日常にフランスの詩を韻文で読むという時間がいまあるだろうか……、わたしはこの有働さんの素晴らしい仕事をたとえば主婦の人たちにあるいは学生たちへあるいはサラリーマンの人たちに詩を書くひとのみならず詩を書かないすべての人たちへ美しい言葉で書かれたラブレターとして届けたい、そんな思いがあった。 究極の手紙は祈りのかたちを取るそして詩人とは人々の思いに言葉を与える人である、と私は考えます。 有働薫さんの「解説」の一文である。この言葉にすべてが要約されている。 それでは、詩を紹介していきたい。(フランス語の分かる方は声に出して読んでほしい) VI(La lune blanche) Paul VERLAINE La lune blanche Luit dans les bois ; De chaque branche Part une voix Sous la ramée... Ô bien-aimée. L'étang reflète, Profond miroir, La silhouette Du saule noir Où le vent pleure... Rêvons, c'est l'heure. Un vaste et tendre Apaisement Semble descendre Du firmament Que l'astre irise... C'est l'heure exquise. (白い月) ポール・ヴェルレーヌ 白い月 森に映え、 枝々から 葉をふるわせて 発する声…… おお、愛するひとよ。 底深い 池の鏡に 映る影、 その黒い柳に 風は泣き…… さあいまは、夢みる時。 ゆったりと やさしい和らぎが 月の渡りの 虹色の空から 降りてくるよう…… いまこそは 妙(たえ)なる時刻。 (詩集『よい歌』第六歌 渋沢孝輔訳) ヴェルレーヌの詩篇を紹介した。このヴェルレーヌについて、有働さんはこのように解説をしている。 まるでため息のような詩です。むだがなく、シンプルそのものでいて、たがいちがいに踏む脚韻が響き交し、これほどうっとりさせられる調和がほかにあるでしょうか。フランス象徴詩のプラチナともいえそうな位置で、いつまでもこの詩は生き続けていくでしょう。 ヴェルレーヌの感受性には、たとえばエリック・ロメール監督の映画『我が至上の愛』にみられるような、ローマの侵攻以前にガリアと呼ばれていた頃のフランスの自然の風景とその中で愛し合う若者たちの素朴で純な感情が受けつがれているように思われます。澄んだ夜の空に月が輝き恋人たちを包む絶対調和の至上の一刻が創造されています。 フランス語を少し勉強された方は音にだして朗読してみるのもいい。韻をふんだ詩篇はその響きがことさらに美しい。 わたしがこの本を読んであらためて引かれた詩はこれ。訳は有働薫さんによるもの。 L'Aurore Georges BATAILLE Je te trouve dans l'étoile je te trouve dans la mort tu es le gel de ma bouche tu as l'odeur d'une morte tes seins s'ouvrent comme la bière et me rient de l'au-delà tes deux longues cuisses délirent ton ventre est nu comme un râle tu es belle comme la peur tu es folle comme une morte 夜明け ジョルジュ・バタイユ ぼくは星の中できみに出会う 死の中できみに出会う きみはぼくの口の中の凝(こご)り きみは死んだ女の臭いがする きみの乳房は棺のように開き 彼方からぼくに笑いかける きみの二つの長い腿(もも)はうわごとを言い きみの腹はあえぎのようにむき出し きみは恐怖のように美しい きみは死んだ女のように気が狂っている フランス語はかなり分かりやすい。甘美な死の匂いを放つエロティシズムに満ちている。 やはり有働さんの解説の一部を引用したい。 (ジョルジュ・バタイユは)人間に潜む悪、欲望やエロティシズム、人間の根源的な暗部に強い光をあて、世界のすべては認識可能だとするフランス精神の精髄を具現する知性人として自分を鍛え上げました。 この詩はバタイユの死後に出版された詩集の中の一篇です。これらの詩は発表するためのものではなく、バタイユが40代の頃にエスキースのように書かれたものです。ちょうど一回り若い世代の詩人マンディアルグは、バタイユを一生図書館で過ごした静かな男でしかないと評したそうですが、この詩の真ん中の連《きみの乳房は棺のように開き/彼方からぼくに笑いかける/きみの二つの長い腿はうわごとを言い/きみの腹はあえぎのようにむき出し》を読むと、かなり直視的かつ具体的で、私などは日本の作家吉行淳之介に似ているところがあるように思います。私のまわりでも好きな詩人としてバタイユを挙げる人にときどき出会います。 バタイユに吉行淳之介を持ってくるところなどさすが有働さんならではと思う。詩を読んで解説を読む楽しみもあるが、また、アンドレ・ブルトンなどは「解説」を読むことによって詩の読み方を示唆されるなどもあり、この一冊を読むことによってわたしたちは詩の魅力の源泉に触れることができるのだ。 たくさんの詩とその訳を紹介したいが、それはこの書を読んでいただくためにとっておこう。 最後に一人の日本の詩人の詩篇を紹介したい。(英語訳もあるがここでは原詩のみにとどめる) ヒロシマ神話 嵯峨信之 失われた時の頂きにかけのぼつて 何を見ようというのか 一 瞬に透明な気体になつて消えた数百人の人間が空中を歩いている (死はぼくたちに来なかつた) (一気に死を飛び越えて魂になつた) (われわれにもういちど人間のほんとうの死を与えよ) そのなかのひとりの影が石段に焼きつけられている (わたしは何のために石に縛られているのか) (影をひき放されたわたしの肉体はどこへ消えたのか) (わたしは何を待たねばならぬのか) それは火で刻印された二十世紀の神話だ いつになつたら誰が来てその影を石から解き放つのだ 挿画は有働さんのご友人の画家・正藤晴美さんの作品より。装画のタイトルは「何処にもない場所」 ブックデザインと本文レイアウトは和兎さん。本文中に正藤さんの絵を左ページのみに配した。このレイアウトは評判がいいようだ。なかなか読みやすく出来上がったのではないだろうか。 なお著者の有働薫さんは詩人であり、この連載が終わった頃だったと思うが、詩集『幻影の足』で2010年度の現代詩花椿賞を受賞された。ふらんす堂からも詩集『ウラン体操』、詩集『雪柳さん』の二冊の詩集を刊行している。またこの『詩人のラブレター』にも収録されているフランスの現代詩人ジャン・ミッシェル・モルポワを始めて日本に紹介しその訳詩集を手がけられた詩人である。そのモルポワの訳詩集二冊『夢みる詩人の手のひらのなかで』、『エモンド』は、ふらんす堂からの刊行である。 この度の『詩人のラブレター』は、詩人として円熟された有働薫さんの力があますところなく発揮された魅力ある一冊となった。 収録された四十人の詩人による詩篇すべてがわたしたちに贈られた詩人からのラブレターである、というのが素敵だ。 もう一度有働薫さんのことばを引用したい。 究極の手紙は祈りのかたちを取る そして詩人とは人々の思いに言葉を与える人である
by fragie777
| 2012-10-20 21:24
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Comments(2)
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