カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
画像一覧
|
10月2日(火)
台風がやって来る海の風景である。 昨夜仕事をおえて買い物に行く途中、真ん丸い月が出ていた。 この月を西で見ようとしていたのだなと思い、その月のしたに舞子の海を思い浮かべてみた。 きっと今宵はあの海の上に美しい月が出ていることだろう。 (う~む。ちっとばかし悔しい……) 新刊句集を紹介したい。 (せっせとしないと大分たまってしまった) 大南裕句集『春の笛』(はるのふえ)。 著者の大南裕(おおみなみひろし)さんは、俳誌「鹿火屋」に所属しこの度の句集は第二句集となる。金婚の記念に第一句集『風光る』を上梓し、この第二句集は米寿の記念としての刊行となった。序文はおなじく「鹿火屋」に所属する坂口匡夫さんが寄せておられる。 人の輪の大きくなりて春の笛 句集名となった一句である。おおらかな景で典雅な趣もある作品だ。 「米寿」を記念としてと大南さんは「あとがき」で書かれているが、坂口匡夫さんは大南さんの作品世界の青春性を指摘する。 米寿といっても、作者にとって一つの通過点というほどの、淡々としたもののように思われ、句集は、むしろ青春性の色合いの濃いものになっている。大南さんに会っていると不思議と青年という感じをつよく受ける。ご本人そのものが青春なのであり、老いを詠んでも明るい。原点は、ご自身の中の懐かしさであり、それは、作者の故郷、四国であり、そこの山河、仲間達、そしてご伴侶なのであろう。 少年の胸に灯点す海紅豆 地の底に都ありとぞ水澄めり 鶯の来る記念樹となりにけり 青すだち気つぷのよさも阿波そだち 啓蟄の回転ドアーよく回り 十薬の白はいのちのありどころ 老いんかな夜の沈丁の香るごと これらの作品のうち最後の二句、いのちのありどころ、老いんかな、という抽象表現はこの作者には珍しいが、そこにも青春性にかよう透明なものが見えている。作者は、学生の頃弁論部長として大いに活躍されていたと聞いたことがある。その情熱、あるいは一途さは、今も時に垣間見ることがあるが、その青春性はやさしい。 春光の雀降りくる三輪車 雛あられ供ふかたよりこぼれけり 宝石を包むごとくに新茶来る みちのくの娘らのさざめくさくらんぼ 叩かれて音の跳ねたる大西瓜 仲のよき目刺並びて売られけり 振り向けば花野にありし行く道も 桜貝こはれゆくもの美しき 空蟬の爪に残せし重さかな 睡蓮やひとり遊びの幼なゐて 極月や端役ながらも楽屋入り どこからか呼ぶ声のする秋彼岸 老いんかな夜の沈丁の香るごと 花苺青き花芯の太りけり 美しき齢重ねて冬桜 音もなく雀降りくる白障子 まんさくや土手八丁に日のこぼれ 秋ともしはじめて妻の手をつなぐ わつと出る子らのきらめき春の雪 瑞々しい抒情性にあふれた作品群がある。 今年は丁度米寿を迎え、否応なく人生の終焉を意識せざるを得ない年齢となりました。幸い今のところ心身ともに一応恙なく過してはいるものの、随所に衰頹の徴候が見られることは否めません。したがって今のうちに収束を図っておくべきだと考えるに至りました。 「あとがき」にこう書く大南さんであるが、その感性は少しも衰えをみせず溌剌としてさえいる。 私の句はすべて、素晴らしい句友に囲まれた句会の産物であります。この句集に、ここ十年の間、楽しんできた私の俳句の足跡が幾分でも残っておれば幸いであります。また、これらの句は文字どおり浜の真砂のようなものかも知れませんが、これらの中に、桜貝の断片の一つでも二つでも見出していただければ、幸いこれに過ぐるものはありません。 良き句友や先輩に囲まれ、大南さんの更なるご健吟をお祈りしたいと思う。 装丁は君嶋真理子さん。春らしい緑を基調にした一冊となった。 全体は渋い仕上がりであるが、カバーの緑が春の麗らかさと明るさを演出した。 じっとこの本を眺めていると、春の笛の音色が聞こえてきそうである。 さてと、 今夜は月はどうかしら。 今日はツタヤによってDVDを借りて帰るつもり。 秋の夜長はたっぷりと時間がある。 ひさしぶりに赤ワインも買って帰ろう。
by fragie777
| 2012-10-02 19:00
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||