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9月13日(木)
「俳壇」10月号が届く。 そこに第三回田中裕明賞を受賞した関悦史さんの新作と小さな質問コーナーが掲載されている。 この質問コーナーは面白くつい読んでしまうのだが、「自分を動物にたとえると」という質問に、はて関さんは何と答えたか。 興味深々よね。 答えは、「シロフクロウ」。 わたしは思わずニンマリしたのだけど、 昼休みにこの「シロフクロウ」が話題になった。 「シロフクロウというよりも、カピパラとかジュゴンっていう感じがするなあ」 「いやあ、視線のするどさから言うとシロフクロウっていうのもありじゃない……」 などなど、スタッフたちはいいたい放題で、関さん、ごめんなさい。 新刊紹介をしたい。 林昭太郎句集『あまねく』。 A5判変型の箱入りというちょっと大型の句集である。 林昭太郎(はやし・しょうたろう)さんは、俳誌「沖」(野村研三主宰)に所属している。三十代で能村登四郎に師事し活躍したが、途中残念ながら多忙な仕事ゆえの28年間のブランクがあった。ふたたび「沖」に復帰してこれまでの11年間の作品をまとめたものである。序文を能村研三主宰が書き、栞は夏井いつきさんが寄せている。 句集名の「あまねく」は、 関東のあまねく晴れる寒卵 に拠る。この句集の巻頭におかれた作品である。 この句に対して、今瀬剛一さんは、同人の作品評において、「『関東のあまねく晴れる』と断定する態度には独善を越えた詩としてのあこがれがある。そうした心は作品自体に自然とふくらみを持たせ、読者に数多くの思いを与え、読む者を無理なく納得させられる結果となっている。この作者の身上は鋭い感性を基盤に据えた想像力であろう。『寒卵』といった具体的な物を凝視することによって触発されている所がこの人の句業を確かなものにしている。」と述べてビッグな新人の登場を賞賛している。 能村研三さんの序文にから引用した。句集名を「あまねく」とした著者の思いのある句だ。 置かれるべき位置に一語一語が確と座っている上に、描かれた世界に満ちる空気のなんと雄渾にして清澄なことか。「関東」という広大な空から一気に下五「寒卵」へ焦点が絞られる鮮やかな手法にくらくらする。頭上に広がる寒晴の美しさを呆然と見上げる私がそこにいる。 栞を寄せられた夏井いつきさんもこの句に賞賛を惜しまない。 大いなる雪のはじめが掌にのりぬ 動くものみな影をひき秋彼岸 やんま消えふたたび昼の道がある はたはたや眩しき距離に妻を置き 金平糖角(つの)を優しく花ぐもり ワイシャツのひやりと朝の桜かな 新じやがの届いてゐたる総務二課 春の雨もつとも濡れるものに猫 花火の夜大きな靴が玄関に 蟻の穴賑つてをり静かなり 風呂吹の芯まで煮えて夫婦なり 初蝶のはじめは風の日となりぬ 雛納め和紙いちまいの残りたる 小鳥来る紅茶の中に日が射して にはとりの少し汚れて二月尽 春風やまだ濡れてゐる水彩画 季語を通して詠まれた世界がリアルな手応えを呼び起こすものをいくつかあげてみた。わたしにはこの季語に響き合う現実との確かさが魅力だ。 鰯雲ナイフに映しレモン切る 東京をはみ出して釣る鯊日和 屋根に石石の向かうに冬の濤 巻尺に巻取る春の重さかな 甚平の自在のなかにゐて不安 灯点りて聖樹に森の匂ひあり 鎌倉の緑が一つ飛んで島 レコードの終りは無音昭和の日 バーコードいつしよに冷えて冷し瓜 赤ん坊の尻ひんやりと雲の峰 石蹴の石残されて寒夕焼 能村研三主宰が取り上げた作品よりいくつか選んでみた。 林昭太郎さんが俳句を始められたころは、私も若手の仲間の一人として一緒に勉強した時期もあったが、お仕事や家庭の事情もあって二十八年というブランクがあったものの見事に復帰を果たされ、今回の句集上梓に至ったことを喜びたい。(略)この句集が、俳壇の素晴しい才能のひとつとして輝くことを確信しているが、この句集をステップに新たな境地で俳句作りに専念されることを望みたい。 たくさんの作品を丁寧に鑑賞しながら、著者へのエールを惜しまない序文となった。 壮年の峰と思へり雲の峰 そうだ、この句集は林昭太郎にとっての「壮年」を総括する句集だった! 彼の句境はさらにここから進化し変容するに違いない。読み終わったとたん、一読者としての愉しみは次の句集の期待へと広がる。来るべき老境を、彼の肉体はどう感知し、彼の言葉はどう紡がれ、彼の永遠という一瞬はどう表現されるのか。悠々たる壮年の「雲の峰」の向こうに、尽きることのない興味がむくむくと立ち上がる。 これは、「悠々たる壮年の峰」と題した更なる期待に満ちた夏井いつきさんの栞のことばである。 本句集『あまねく』は一九七六年から二〇一二年までの約十一年間の句を纏めたものです(途中長い中断がありました)。「あまねく」は初期の句「関東のあまねく晴れる寒卵」からとりました。この句によって自分の進むべき道が定まったように思います。思い出深い句です。句集を出すのはまだ早いとは思いましたが、十年ほど前から緑内障を病み、このところ急速に視力が失われてきました。そこで自分の目で校正が出来るうちにと、句集を上梓することにいたしました。 「あとがき」のことばである。 装丁は和兎さん。 芸大を卒業し、デザイナーでもある林昭太郎さんが、「和兎さんにお任せするので一番いいと思うような本にして下さい」とおっしゃった。 故に和兎さん、「アル中」も「女装」も返上して頑張った。 シンプルにしてモダン、しかしどこか重厚感と懐かしさのある本となった。 この本をより美しくつくるために、担当のPさんは函屋さんをたずねた。函屋さんは、快く迎えてくれていろいろと作業を解説しながら対応してくれたということ。 「yamaokaさん、頑張っているねえって言われました。」とPさん。 「あら、覚えていてくれたのね!」 実はわたしもふらんす堂をはじめたころ、2度ほどこの函屋さんを訪ねていたのだった。 こういう本は職人さんの技術なくしては美しく仕上げることができないのである。角背の本には角背のための函づくりがあるのだ。 林昭太郎さんの本づくりへの思いがあって、それに応えるかたちで仕上がった本である。 どうだろう。かつて物が豊かだった時代には多く見られた本であるがいまは希少のものとなりつつある。本はどんどんその重さと手触りを失いつつある。 色は極力おさえ、材質と造本の技術によって作りあげた本。 わたしは個人的にはこういう本の佇まいが一番好なのだ、実は。 さて、この本の担当のPさんに「一番好きな句は、」と尋ねるとこの句をあげた。 関東のあまねく晴れる寒卵 わたしはあえてこの句をあげたい。 凩や輝いてくる箒の柄 この箒は踊り出してすっ飛んでいきそうだ。 今日の毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」は、金子敦句集『乗船券』より。 銀漢をシャガールの馬渡りゆく 季語「銀漢」は銀河、すなわち天の川である。大空を流れる天の川、そこをシャガールの絵に登場する馬が渡っている、という幻想的な句だが、こんな句に出会うと天の川を見上げたくなる。シャガールにはリトグラフ「青い馬と恋人たち」がある。天の川を渡るのは青い馬だろうか。「流星の尾を摑まへに渚まで」も敦の句。 シャガールについてはわたしも白い馬の絵(偽物)を持っていて額装にしている。シャガールにしては珍しく全体が緑色でそこに哀しい目をした馬の顔がある。かなり大きな絵で壁にかけずに階段の狭い踊り場にたてかけてある。 毎日見ているのだが、飽きない絵だ。 あららら、今家に帰ってこの絵よくみたら、馬の顔なんてどこにもなくて二人の女性が描かれている。 いい加減ねえ、わたし。 でも、ぜったい馬って思いながらブログを書いていたのだ。 (ほとんど毎日目にしている絵なんだけど。もう6年くらい……)
by fragie777
| 2012-09-13 21:05
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Comments(2)
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yuhki_e2 at 2012-09-14 00:40
お久しぶりです、
エキサイト内でうろうろしてたら、こちらのブログに再会したところです。 >銀漢をシャガールの馬渡りゆく いい句ですね、私もシャガール好きです。そういえば昨年、女優で俳人のFさんたちと一緒に銀座のロイヤルクリスタルカフェへ行ったら、壁に本物のシャガールがありました。 元々俳句は素人でやっていたのですが、句会にも出るようになり、ひいひい言いながら続けています。いま毎月行っている超結社なところが、角川俳句賞の次点や佳作や、俳句甲子園の優勝者や、結社誌の編集長や、そんな人たちが多くて、自分にはレベルが合わないのかとしばし悩んでいます。今年の角川俳句賞もその句会でご一緒している方です。俳句という山はあまりに高く、けれどもうしばらく、自分がいまいる場所で頑張ってみます。 シャガールで思い出した夏の拙句、 シャガールを好きな彼女の夏帽子 有希 まだ暑さは続きそうですが、 ご健康をお祈り申し上げます。
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fragie777 at 2012-09-14 19:48
yuhkiさま。
お久しぶりです。 コメントをありがとうございます。 そうなのですか、いよいよ俳句の魔力に捕らわれつつありますね。 いいお仲間たちがいらっしゃるようで素晴らしいと思います。 ぜひぜひお続けになって、いつか、ふらんす堂で句集を刊行してくださいませ。 お写真、相変わらず素晴らしいですね。 (yamaoka)
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