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3月3日(土) 雛祭
雛祭の今日は、星野立子忌、そしてふらんす堂の創立記念日である。 というわけだからではないが、さっきまでおじゃましていた家で赤ワインの御馳走になった。 「まだ昼間なので…」と一応辞退したのだが、「あなた、赤ワイン好きでしょ」と言われ、「ええ、まあ、嫌いじゃないですか…」と言っているうちにグラスに注がれ、注がれればそれは飲みますわね、で、飲むとまた注がれ、そんなこんなで昼間っから赤ワインでいい気持となって、もう今日はどうでもいいや、いやいやブログを書かなくてはと誰もいない仕事場に来て大分酔いもさめたので、じゃ、書くか……とキイを打ち始めた次第である。 新刊紹介をしたい。 現代俳句文庫69『井上弘美句集』が刊行された。もうすでに多くの人が読み好評の句集であるが、ちょっと紹介が遅くなってしまった。 第一句集『風の事典』第二句集『あをぞら』第三句集『汀』より400句を収録し、そこに著者のエッセイと二人の俳人による井上弘美論が収録されている。二人の俳人とは井上さんが所属する俳誌「泉」の主宰綾部仁喜氏と、「鷹」の編集長の高柳克弘氏である。綾部氏のものは『風の事典』の序文、高柳氏のものは、俳句総合誌「俳壇」平成二十一年二月号よりの転載である。 この現代俳句文庫一冊をとおして読むと、俳人井上弘美の全体像がくっきりと浮かび上がってくる。そのさまは、この著者の志の明確さによるものだと思う。気持のよいまでに迷いのない揺るぎない俳句観を自らに定着させている作家だ。 わたしが井上弘美さんという一人の俳人を思うとき、まずが思い浮かべるのは、「一羽の鶴の飛翔の姿」だ。「鶴がすっくと首を持ち上げまさにこれより飛び立たんとする時の、凛とした気配と瑞々しい姿だ。胸中には熱い思いが溢れ、しかし見据える眼差しは冷厳でゆるぎがない。」 綾部仁喜氏は、『風の事典』の序文にこう書いている。 井上弘美さんの俳句の魅力は、要約すると透明感のある抒情ということになろうか。 屍の体位となりし霜のヨガ 深かぶる朔太郎忌の帽子なり 冬海のごとき黒板背にありぬ 茂吉忌の図書館に雪見てをりぬ 晩夏光風の事典を繰りにけり これらはすべて作者自身の現実であるとともに、すでに失われたものへのノスタルジアでもある。作者はひたむきな眼差しで現実を見詰めながら、併せて胸奥の求めるものをも透視している。これは青春というもののもつ一般性でもあるが、この作者の場合、それを越えてやや色濃いものが感じられるのである。そしてここから、激情より静謐、多弁より寡黙、多彩より淡彩、さらには純粋に透明感のある作品世界への志向が生じてくる。 そして「屍の体位」の句についてさらにふれながら、「今にして思えば象徴的なことであった。宗教には、どの宗教にも死と回生の行法があるが、ヨガでは「屍の体位」がそれに当たる。霜の日のヨガセンターで「屍の体位」を取りながら、作者は死と回生を身にひきつけて直覚したのである。死と回生は失われた過去とそれを止揚して生きる現在との関係に等しい。」と語る。この「死と回生」という言葉にふれたとき、収録された著者の自身を語る文章が立ちあがってくる。 生きてきた道程と俳句は不可分であった。父の七回忌を目前に、母が交通事故に遭ってしまい、長い闘病生活が始まった時、だから私に俳句が準備されていたのだと思った。第一句集『風の事典』上梓直前のことだった。 そして石田波郷の「雁や残るものみな美しき」の句についてふれ、 一人の兵として日本を去る万感の思いが、「雁」という伝統的な季語に託されている。ここには切字「や」がなくてはならない。韻文に徹した、丈高く朗々とした調べが句に気品を与えている。だから「残るもの」への波郷の慈しみの眼差しが感じられるのである。私は、俳句の根底にこの眼差しを持ちたいと願っている。人は何も為し得ない無力な自己を認識するとき、全てのものが存在の輝きをもって見えてくるのではないだろうか。末期の眼といってもいい。晩年の父や、寝返りすら打てないまま、長い闘病を強いられた母の眼差しでこの世を見ることが出来れば、といつも思う。 「末期の眼」とは「死と回生を身にひきつけて直覚」することではないだろうか。 若き俳人高柳さんの井上弘美論は卓抜だ。 「私にとって母のような存在であると同時に、大きな謎、脅威でもある。」と書き、「私は井上さんと話しているとき、そのうしろに、何か大きなシルエットがゆらめいているのを感じる。それは、はっきりとは明示できないが、井上弘美という作家を支えている、目には見えない守護神のようなものかもしれない。」と書いているが、「守護神」とは面白い、たしかに井上弘美にはオーラがあると私は思う。「守護神」とは高柳さんのスタンスからみえる井上さんの背後だ。 井上の句に、表現の新しさへの野心や、時代の空漠との対話は、ほとんど見受けられない。井上は芸道としての俳句に徹している。それも、生半可な覚悟ではなく、全身を投げ出すかのように、徹底して俳句の型に没入しているのだ。井上の句は、その本質において、祈りの言葉に近い。『あをぞら』には、〈黒葡萄祈ることばを口にせず〉という句があるが、井上にとっては俳句そのものが祈りの言葉なのだろう。 引き続き高柳さんの言葉である。 そして高柳さんは井上弘美の作家性をささえるものに「湿った抒情」があると指摘する。この辺の論考や興味ふかくまたその「湿った抒情」が新しい表情を獲得し別の広がりを見せ始めつつあるとし、「井上の情念の句は、またさらなる変革を遂げるかもしれない。」と結んでいる。 船鉾はちちの鉾なり逢ひにゆく かごめかごめうしろに冬の父のゐる ゆりかもめ胸より降りて来たりけり 母のもの抱へて夜の新樹かな 母の髪あらふ産湯をつかふごと 答案を抱へて時代祭かな 湯湯婆に揃へてのせる母の足 てのひらに塩うつくしき近松忌 足深く入れて渡りぬ禊川 大年の夢殿に火のにほひかな 卒業の空のうつれるピアノかな てのひらをやはらかく熊眠れるか 倒立の足を揃へぬ冬青空 あたたかしひらがなで書くぽるとがる 黒葡萄祈ることばを口にせず 霜の夜の蹠をつよく使ひけり 空蟬にまひるの海のありにけり 母の死のととのつてゆく夜の雪 母逝きし百日あとの蜆汁 少年に藁のにほへる聖夜劇 鴨の湖母を死なせてしまひけり みづうみを遠く置きたる更衣 ちちははの家に北風とほしけり 山々の帰つてゆける遠蛙 歳晩の死者に畳を拭きにけり 下りて来し山がまつくら茸汁 蠟痕の説教台の凍てにけり みづうみのあかるさに置く雛調度 夕風の扉の開いて梨畑 月の夜は母来て唄へででれこでん 白鳥の首百本の暮れ初むる うらがへりうらがへりゆく春の川 井上弘美さんは今年の一月に主宰誌「汀」を創刊した。石田波郷の韻文精神をこれほどまでに声高らかに誇りをもって唱えた同世代の俳人がほかにいるだろうか。 昭和十八年九月号の「鶴」に、波郷は「散文的手法は俳句に於ては、それが如何に近代生活をうたふ為に必須の手法であるにしても、冗長極りない。しかも、形はやがて精神を支配するのである」と書いている。「高い韻文精神と低俗な散文的手法の交替が行われ」た結果、「いくらか言ひたいことが言ひ易くなったやうな気がしたのであるが、この『言ひたい事』の正体が『散文』で」あり、「高い誇も、深い祈も、きびしい響も、端的な迫力も、そこにはない、味気ない軽い甘い説明があるのみである」と文は続く。痛烈な波郷の言葉は、現代においても全く古びない。俳句の散文化は加速度的とも思える。これが時代の流れだとするなら、「韻文精神徹底」の旗を掲げ続けること自体にも意味がある。それは、俳句の固有性とは何かを問うことであり、俳句でしか出来ないことを志すことだからだ。 井上さんの集中のことばである。 「俳句の固有性」とは何か。 「痛烈な波郷の言葉は、現代においても全く古びない。」と井上さんは言う。 波郷の韻文精神を引き継ぐものとしての信念と覚悟をもった俳人が井上弘美さんであると思う。 そして、 井上弘美さんは「京女」である。 つまり最強ってことよ。 頑張って紹介したら、すっかり酔いが醒めてしまった……。 さっ、家に帰って、もういっぺん赤ワインを飲もう。 だって、今日は「雛祭」じゃん。 許してよ。 キッチンの戸棚の奥深く、一本赤ワインが隠してあるんだ。 ソイツを今日こそは飲もう。 じゃ。
by fragie777
| 2012-03-03 20:34
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