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2月21日(火)
先日の梅林でいくつか咲き始めていたそのうちの一つ。 今日も春寒の一日となった。 俳句にかかわる仕事をしていると、「寒い」と書けず「春寒」って書いちゃうのよね、だってもう立春を過ぎたわけで「寒し」は冬の季語だから「寒い」とは言えないな、などと「春」の季節にこだわってしまう。 「寒の戻り」とか「凍て返る」とかあるいは「余寒」なんて余韻のある季語をカッコよく使いたいけど、日常生活でそういうのをうまく使えたりしたら、なんというか人品がいっそうグレードアップするっていうもんだけどまず無理。 ともかくも春なんで、わたしは今日は黒い靴下をはかずにオレンジ色の靴下を穿いた。 黒いパンツを穿いているのでオレンジのソックスはダサイのだが、手にとってしまったらまっ、いいかっ、っていうことで穿いてしまった。 ときどきやっぱりダサイよな、って思いながら一日を過ごすことになった。 くだらないことなんだけど、こういうことにどうしてもこだわってしまう。 昨日の讀賣新聞の「枝折」で、岸本尚毅著『虚子選 ホトトギス雑詠選集100句鑑賞・秋』が紹介されている。 「高浜虚子 俳句の力」で今年の俳人協会評論賞受賞が決まった俳人による俳句鑑賞。各句を丁寧かつ鋭く読み解く。 新聞に紹介されたということだけではないと思うが、このところこの本の注文が増えている。「冬や春は出るんですか?」という問いあわせと共に。 出ます。 いま岸本さんが書いておられます。 ですからどうぞ楽しみに待っていてくださいませ。 午後、句集の制作をすすめている河野邦子さんが来社された。 お住まいの埼玉県加須市で作られているという「五家寶(ごかぼう)」というお菓子をおみやげに持ってきてくださった。 わたしにはなつかしいお菓子だが、スタッフたちは「はじめてです」と言いながら美味しくいただいた。 わたしは今日送られてきた俳誌「鬣(たてがみ)」第42号を見ながら五家寶を食べていた。 すると「埼玉県加須市」という言葉が目に飛び込んできた。 俳人の中里夏彦さんの「避難所から見える風景」というエッセイだ。 3.11が随分と遠い昔のことのように思える。 という書き出しではじまるそのエッセイは、東北大震災の被災経験について語られたものだった。中里夏彦さんは、今ご家族を埼玉県加須市の避難所である旧騎西高校に預けたまま、ご自身は仕事の関係上福島県郡山市のアパートで単身生活をされているとある。 福島の双葉町の避難生活からはじまって加須市の騎西高校に移るまでの被災してからの避難生活の大変さがご自身の率直な感情と共に仔細に書かれていて避難生活がどのようなものであるか具体的に伝わってくる。 被災したということがどういうことであるのか、たとえば中里さんはこんな風に書いている。 それまではまるで空気のようにあったはずの日常というものがほとんど失われたまま九か月という時間を経過させて来た私にとって、自分を取り巻く時間感覚が非常に希薄であるため、その距離感がほとんどつかめていないようなのだ。3.11以前の自分と以後の自分を連続させる回路を欠落させているとでも言えばいいのだろうか。私にとって3.11以後の風景がそれ以前とは似ているけれども何かが決定的に違って見える。 そして具体的な避難生活の記述になっていく。 「断ち切られた生の時間」を見つめ、水素爆発の恐怖におびえ、家族を抱えて非常事態を生きていかなくてはならない、 わたしは読みながら食べていた五家寶の味を失った。 ひとりの俳人のエッセイをとおして震災がもたらしたものの現実をまた知ることになったのだった。
by fragie777
| 2012-02-21 20:09
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