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2月10日(金)
今日は本阿弥書店が主催する「俳壇・歌壇の集い」が、市ヶ谷で行われる。 「俳壇賞・歌壇賞」の受賞式もある。 そこに出席すべくスタッフの愛さんとPさんがさきほど出かけて行った。 出かける前にツイッター担当の愛さんが、 「いろんな人がそこに行くって呟いてます!」 とパソコンを見ながら言う。 「あら、そう。じゃ、きっと賑やかなパーティになるわね」とわたし。 わたし? わたしは行かないのかって? このパーティは基本、ワケエー奴らにまかすことにしているのだ。 さっ、新刊句集を紹介しよう。 小沢藪柑子句集『商船旗』。 精鋭俳句叢書”le serie de la lune(月のシリーズ)の一環として刊行された。 著者の小沢藪柑子(おざわ・やぶこうじ)さんは、俳誌「夏潮」(本井英主宰)に所属し、ふらんす堂より先に句集を刊行された杉原祐之さん、前北かおるさんたちの先輩にあたる方だ。ふらんす堂にもご来社くださったことがあるが、お若いのに落ち着いて颯爽としたジェントルマンである。 序文を本井英主宰が書き、栞を岸本尚毅さんが書いている。 俳人として力のある方だ、ということは作品のみならずこのお二人の書いたものが見事に語っている。一見さりげなく読めてしまう俳句であるがゆえに読み手の力量が問われてくる句集なのだ。 秋風や陸橋越えて行く道に 藪柑子さんの「空間把握」がまことに的確で、読み手は苦労せず藪柑子さんの描いた景色の中に這入りこめることが判る。「空間把握」と書いたが「陸橋」というものの「規模」、「形体」、「役割」と、周辺の地形の大凡が把握され、表現されていることが判る。そして、この一句に既に彼の俳句世界の一半が示されていることを面白く思う。 列車いま横切つてゐる谷戸の冬 藪柑子さんの卓絶した「空間把握」の賜物による一句だと思う。季題は「谷戸の冬」、蕭条と枯れわたった谷間の景である。一句の眼目は「横切つてゐる」の一語。「列車」が「谷戸」という峡谷状の地形を「横切」るということは「谷戸」の開口方向に対して直角に進むことを意味する。ということは当然その前後にトンネルなり、切通しなりがなければならない。したがって一句の表現にはないが、真っ暗闇の状態からパッと明るい空間に車窓は飛び出し、その車窓には枯れ果てた「谷戸」の景色が現れたことになる。そして列車は間もなく汽笛を鳴らして、次なるトンネルに飛び込んで行くのが普通だ。たしか芥川龍之介に「蜜柑」とかいう小説があって、横須賀あたりの「谷戸」の冬景色が描かれていたように記憶するが、そんな懐かしい景が目に浮かぶ。 本井英氏の序文の一節を紹介した。著者の美質がいろいろと書かれているのだが、「空間把握」の素晴らしさという一点にしぼってみた。 橋長く二百十日の曇天に 秋祭集落すでに山の影 山霧に笹の尾根道長きこと 桟橋に蟹の乾ける島の秋 一人乗るバスを包める夜霧かな 視点が鳥瞰的であると思う。本井氏の言う「空間把握の素晴らしさ」はきっと小沢藪柑子さんがあるときは鳥に変身できる術をもっているからじゃないか、って思った。大景を描いているようだけど鳥であるから自在だ。急速に蟹を狙うこともできる。だから景に動きがある。そして何よりも季語がひびいてくる。季語とものとの関係がゆるがない。 栞を寄せた岸本尚毅さんは、この句集の魅力をよく理解している人だ。そして何より岸本さんにとって好きな作品が多く収録された句集であるらしいということが栞を読んでいてわかる。 石仏のざらざらとして秋日和 何を今さら石仏の句を、と思う読者もいると思います。「ざらざら」には誰も驚かない。まして「秋日和」は肩の力抜け過ぎ、と思う人もあると思います。それが素直な反応かもしれません。しかし「ざらざら」で、石仏の風化が的確に描写されています。目鼻が消えかかっています。石仏がただの石になりつつある過程です。そこで何も余計なことを言わないのがこの作者です。「秋日和」は究極の無欲です。何も言わないことによって、読み手は「ざらざら」ということだけを純粋に感得します。短めの自由律俳句なら「石仏ざらざら」です。 線路際夜間保育の秋灯 こういう「面白くない景」を句にすることに敬服します。私鉄沿線でしょうか、乗客は日々、この灯を無意識に眺めます。この保育園に子供を預ける人もいるでしょう。子供を迎えに行く若い親は、この「秋灯」が見えると、可愛い子供の顔が目に浮かぶのです。昔、自分自身がこの保育園に預けられていた青年もこの灯を懐かしく眺めているかもしれません。「線路際」は写生です。「秋灯」は季題です。写生と季題によって、この句の風景は広やかな時空につながり、人々の心に届きます。この句は、広やかな宇宙の中にある一断片なのです。 岸本さんを敬服させた一句であるという。「広やかな宇宙の中にある一断片」という謂いが素敵だ。 冬薔薇にショートケーキのやうな家 目をとぢた犬をかかへて冬日和 柿の花さかなの口のごとくかな 夏空へ向けてまつすぐ登るかな 白梅が鏡に映りをる床屋 ディズニーの映画のやうな毒茸 ひなげしの花を歩いて岬かな 三列でホームに並び朝曇 旧正の雨のつどひとなりにけり 豌豆の花の裏から日あたれる ボート小屋ずつと喋つてゐるラヂオ をしどりにしばらく夕日当りけり あふむけに空から落ちて蟬死ぬる スーパーと役場のあひだふと冬野 保母さんに連れられて来て海開 茶色とも黒ともつかぬ毛虫かな 夜濯のやうに次々皿洗ふ 竜胆をきつく束ねて濃紫 著者の小沢さんは、バックパックを背負って旅をすることが多い。大学生のころは日本の全市町村を訪ね歩くことを目指し、これまで「ユーラシア大陸」の陸路を二度も横断している。「背中にバックパック、ポケットに季寄せと句帳という姿勢は三十年変わらない」と「あとがき」にある。 句集名は「商戦旗」。ちょっと変わった句集名だ。「旗竿に涼し英国商船旗」に拠る。句集名の由来について著者はあとがきにこう書く。 なお、「商船旗」とは、軍艦や官用船以外の船舶が所属国を表すための標識で、英語のcivil ensign の訳語だから、もともとは「旗」というより「民用海上標識」ぐらいの謂である。私が船であるなら、さしずめ「花鳥諷詠」という商船旗を掲げてあちこちを歩いていることになろう。 句集を拝見してふっと思ったのは、小沢さんは「犬好き」で色は「白」がお好きかなっていうこと。どう、当ってますか?ってあるいは、誰でも気づくのかな……。当ってたらyamaokaを褒めてやってくださいませ。白が出てくる俳句をいくつか紹介。 弓なりに凧曳く糸の白さ哉 石積の白を塗り直して日永 十薬の十の形のただ白し 白蓮の白の下なるベンチかな 白服をつぎつぎ吐ける改札機 岸本尚毅さんの栞のタイトルがふるっている。わたしはそれを読んで小沢藪柑子さんに「本当にそうですか?」って聞いてみた。すると小沢さんは大笑いをしながら、「そうです」って答えられた。 して、そのタイトルは、 「あまり驚かない人」 ウーム。そうなのか……。 だいたい、大学生のときから俳句を作っていて、「藪柑子」なんて俳号をつけることじたい、渋すぎる。装丁も渋く仕上げて欲しいとのこと。ただしこの装丁に君嶋真理子さんがもちいた古地図を「セバスチャン・ミュンスター」の「コスモグラフィア」所収の地図であると看破したのはさすが博識のお方である。ともかくも世界への向き合い方が広々としていて奥深い人だ。20代などハネッカエリだったわたしなどには落ち着きすぎているって思ってしまう。とても敵わない人である。こういう人とは喧嘩をしないことにしよう。 蚯蚓鳴く眠りに落ちてゆく時間 好きな一句をあげるとすればこの句だ。 気持がすっーと落ち着いて安らかになる。 (ところで今日のブログ、わたし落ち着くってなんべん使った?……) しかも二匹も……。 小沢藪柑子さん、どうです!!
by fragie777
| 2012-02-10 19:42
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Comments(2)
過分のお褒めにあずかり恐縮です。ありがとうございます。
飼主のトラックの荷台から飛び降りるなり弾丸のように斜面を駆けていく牧羊犬とか,ハーネスをつけてご主人を静かに案内していく盲導犬を見ていると,怠惰な自分が絶対到達できない存在として憧れる…というところが,私の犬好きの由来でしょうか。 同様に,というと失礼になってしまいますが,いつもきびきびと先を読んで連絡や調整にあたってくださるふらんす堂のスタッフの皆さんは,ぼんやりな私には大変ありがたい存在でした。改めてお礼申し上げます。
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fragie777 at 2012-02-12 21:44
藪柑子さま。
コメントをありがとうございます。 やはり犬好きでしたか…… (わたしの読みは間違っていなかった) 犬の句はいろいろとありましたが、猫の句はなかったですね。 「月」への移行、担当者が火曜日に来ますので、そのときに。 これからもよろしくお願いいたします。 (yamaoka)
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