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11月13日(日)
昨日にひきつづき快晴の一日だ。 時計のベルトが切れてしまい、新宿の某デパートの中にあるその店に行ったところ、ベルトを付け替えるだけでなんと一ヶ月もかかるという。 「へっ…」 って驚くわたしに、店員さんは勿体をつけて「はい。申し訳ございませんが、おヒニチを下さいませ」とうやうやしく言う。ケースには同じ時計が売られているので、ソイツのをちょっと付け替えてくれるだけでいいんだけど……って思わず言いそうになって、いやいやそういうもんじゃないだろう、と言葉を飲み込む。 わたしがこの時計を購入したこの店は、ブランドといえばブランドかもしれないが、カルティエとかブルガリとかそういう高級ブランドではない、どちらかといえば若い人に人気があって、今日も若い女性客にまじってわたしが断然お歳を召している、そんな小さな店である。時計の専門店というよりネックレスや指輪やピアスが人気のブランドである。値段は高くない。それが人気の由縁だろう。 わたしはこの時計がえらく気にいった。たいへん細身の時計で、そうね、時計の幅は一センチもなく、したがってベルトの幅も5ミリほどだ。繊細に作られていて小さなゴミのようなダイアモンドが一粒ついている。(しかし、ダイアがついているということは実は気づいていなくて、今日店員さんが、「文字盤のところにすこし疵がついていますね。取り付けられているダイアは大丈夫です」って言わうので、「まあ、ダイアがついているんですかあ…」と驚いたのだった。) ダイアに気づかないほど小さく細身で文字盤も細長いそんな時計で、最近とみに小さなものをとらえにくくなっているわたしの目が、いったいその時計の時間が読めるのだろうか、 フフフフフッ…… 読めっこないのよ。実は……。 じゃ、〇眼鏡をかけて時計を見るのかって、 フフフフフッ…… そんなダサイことしないわよ。 じゃ、どうするのかって? フフフフフフッ…… 見ないのよ。文字盤なんて。 じゃ、時計なんて必要ないだろうっていうあなた。 分かってないわね。 わたしの白い細い腕(?)にほっそり巻かれた美しい時計。 もうそれだけで十分なわけなのね。 (今何時かしら?) っていうように、それをときどき見る。 (ああ、奇麗な時計!)って思ってわたしは満足するわけなのよ。 この時計の素晴らしさは、どんな洋服でもあるいは着物でも合うっていうこと。 時計というものは、もはやわたしにとってアクセサリーの一部であって、決してそれによって時間を知るものではないのだ。 だって、時間なんていまやどこででも知ることができるんですもん。 携帯見たっていいしさ。 そうじゃありません? ドレスアップしたときでも時計をつけることによってちょっと違った雰囲気になるっていうこと、そういうことにこだわっていきたい訳なのね。 いっけない。またまたくだらないおしゃべりをしてしまった。 こんなことを書くつもりでブログを書き始めたわけじゃないんだけど、こうしてヘンな方に話しがいってしまう。 またまたyamaokaが能天気なことをほざいていると、 お読みすてくださいませね。 しかしである。 わたしのこのブログになにか役にたつ情報やらを求めておられるお方がいらしたらそれはちょっとお応えできないかもしれません。 時は金なり です。 こんなブログは無視するに限ります。 あらあら、 そうだった。 ヤバイ、 わたしはこのブログを営業活動の一環として日々書いているんだった…… ええっと正気に戻って……。 「俳句あるふぁ」の12・1月号に、池田澄子句集『拝復』が紹介されています。 本書は、著者の第五句集。前句集『たましいの話』以後の二〇〇五年から二〇一〇年までの作品が収められている。著者の独自の軽快なリズムは本句集においても期待を裏切らないが、一方で何者かへの真摯な呼びかけのようなものを感じさせる作風は池田澄子という俳人が読者から愛される大きな理由のひとつかも知れない。 この「俳句あるふぁ」の次号の特集は、「池田澄子の世界」と「久保田万太郎入門」である。 乞う、ご期待。
by fragie777
| 2011-11-13 22:04
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