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10月15日(土)
仕事場の時計がいまちょうど11時を告げたところである。 わたしはさっき大阪より戻ったところだ。 今日は大阪のホテルで、俳誌「円虹」(山田佳乃主宰)200号をお祝する会があったのである。 昨年の2月に山田弘子主宰の急逝により若くして主宰を後継された山田佳乃さんであったが、今日はたくさんの方々が集まって「円虹」200号刊行を祝われたのだった。 「関西の大震災のときに、ご自身のことはさておきご主人とともにかけつけてくれたのが山田弘子さんでした。そういうお方でした」 としみじみと山田弘子さんの思い出を語られたのだった。 「一人ではこの200号を迎えることはできなかったと思います。沢山の方々に助けられて今日の日があります。『円虹』は伝統俳句に根差し、山田弘子の俳句精神を受け継ぎ切磋琢磨して風通しのよい結社でありたいと思います。」 と語った山田佳乃主宰。そしてユニークな自己紹介をされたのが面白かった。ちょっと要約して紹介すると、 自身を紹介するにあたってのキイワードは、昭和40年生まれ、ということだと思う。それは、華やかな女子学生世代であり、ちょうど男女機会均等法が成立した年に就職した世代であるということ。就職先はパナソニックのシステム開発部門でそこで働いたことによって共存共栄の精神が養われたこと。自分たちの世代は、昭和の良き時代を少しは知っており、今の若者文化もかろうじて理解できる。昭和と平成の文化のつながりを知っていてそれを若い世代に伝えることができるのではないか。 挨拶には、「俳句の伝統」を若い世代に伝えていきたいという山田佳乃さんのしっかりした志が感じられた。 今日の会にのぞみながら、わたしは昨年の一月に句集のことでお電話をいただいた山田弘子氏のその時の声をときどき思い出していた。 山田佳乃さま、そして「円虹」の皆さま、200号刊行おめでとうございます。 心よりお祝いを申し上げます。 そして、このブログを読んでくださっていると声をかけてくださった方々、ふたたびお目に書かれて嬉しかったです。 ゆっくりとお話ししたかったのですが、たいへん失礼をしました。 いつかふらんす堂へいらして下さいませ。 yamaoka、お待ちしております。 わたし、じつは新幹線に乗るまで今日は神戸へいくものとばっかり思っていたのだ。 「円虹」は神戸が発行所であるのでもうはなっから行き先は「神戸」って決めていた。 だから、いろんな人に「わたしね明日神戸に行くんです」って言ってたと思う。 後藤比奈夫先生にも「神戸に行くんですが、お目にかかれませんねえ」などとお電話で言っていたのだ。 切符もスタッフのPさんに買ってもらい、「ハイ」って渡されてろくに見もしないで新幹線の改札を通り、席についてしばらくして切符をみたところ「新大阪」って書いてある。 「あれっ? おかしい、神戸じゃないぞ、」っていうことで案内状を改めて見た。 (あら、やだ、大阪じゃない!)っていうことで危機一髪だった。 気づかなかったらきっと神戸まで行って右往左往していたと思う。 こうやっていつも危ないところを助けられている。 (いったい誰に?) こういうことって結構日常茶飯事なのだ。
by fragie777
| 2011-10-15 23:55
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Comments(2)
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