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9月26日(月)
三日間の連休明けの仕事というのはすさまじく忙しい。 おまけに今日は支払日である。 一か月の仕事のなかで最大の山場である。 そして銀行通帳の残高があっという間に無くなってしまう一日でもある。 銀行やら郵便局やらを行ったり来たりして忙しいことこの上ない。 しかし、唯一のたのしみは銀行に置いてある女性週刊誌を読むことである。 かたっぱしから読み漁るわけである。 ところが、 ところがである。 いつものところに一冊も置いてないのだ。 (なんということだ……銀行から女性週間誌が消えうせるとは、断じてあってはならないことだ) わたしはしばし、絶句した。 わたしの楽しみを奪うなんて…… 心で怒りながら、 手持無沙汰のままわたしは銀行の椅子に座って呼ばれるのを待つことになった。 「ふらんす堂さん! ふらんす堂さん!」 何度か呼ぶ声ではっとした。 わたしはすっかり熟睡をしてしまっていたのだった。 「女性週刊誌」を置いてくれないから寝ちゃったじゃない! と叫びたかったのだけれど、エヘヘヘへとバツ悪そうに笑いながら「あっ、はいっ」ってよろよろと立ちあがったのだった。 昨日の讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は中本真人句集『庭燎』の作品だ。 人生に就職の二字秋深し 若い人の就職先がない。国が衰退してゆく兆候のひとつだが、本人がそんなことをいってもはじまらない。ではどうするか。この作者は今年三十歳。就職という関門を前にして考えることがあったのだろう。「秋深し」にそれがにじんでいる。 そして今日の讀賣新聞の「枝折」にはふらんす堂刊行の書籍が二冊紹介されている。 一冊目は岡井隆歌集『静かな生活』。 うろうろと生き甲斐(がひ)なんか探すより亡(ほろ)びゆくものをふかく味はへ 前衛短歌をリードしてきた歌人が昨年一日一首ずつ詠んだ歌をまとめた短歌日記。季節や日々の思いが歌に飛躍する面白さ。添えられた詩や俳句の引用も興味深く、中には自作も。 中本真人さんの俳句と岡井隆さんの短歌が対照的で面白い。 人生をこれから始めようとしている人と人生を長い時間をかけて生きてきた人の違いだろうか……。 もう一冊は西部通子句集『ひたすらに』。 母の居て孫居てひとり栗ご飯 破れ障子開き直つてゐるやうな 男らは己に甘し心太(ところてん) 俳句と真剣に向き合う気迫に満ちた第1句集。孫の成長、母の老いといった日常に囲まれながらも、自立して生きようとする姿勢が潔い。 今日のねんてんの今日の一句は、池田澄子句集『拝復』より。 きぬかつぎ嘆いたあとのよい気持 衣被のあのぬるっとした舌触りは「嘆いたあとのよい気持」に確かに通じている。わたしは衣被が大好きだが、嘆きたいことが多いのかも。 という坪内さん。 わたしはいつも行く銀行から女性週間誌が消えうせたことを嘆きたい。(←しつこいね) 衣被は家にはないから昨日茹でた栗を食べようか…… なんだか喉につかえて「嘆き」はますます膨らみそうである。 朝起きておもむろにパソコンのいろんなサイトを覗いていて(←わたしとしては珍しい)「週刊俳句」に立ち寄った。 興味深いことを神野紗希さんが書いている。 週刊俳句時評・第45回「総合誌の時代の終焉? これからの俳句とメディア」 かなり長い論考であるがスクロールしながら面白く読んでいったところ、おしまいの方になんと「ふらんす堂」のことが書かれている。 正直わたしは椅子からころげ落ちるくらいビックリした。 まだ眠たかった目もはっきり覚めた。 えええっ、フーム、なるほど。 ふらんす堂ってそうなのか…… おう、おう、なかなかやるじゃん……って人ごとみたい。 夢中でわたしたちがやっていることをこんな風に分析し、展開させ、すごいな…… 若い人たちの期待を裏切らないようにしなくっちゃ…… 神野紗希さま、ありがとうございます。 が、がんばります! 「猫帖」の締め切りが迫ってきました。 猫の句と写真を応募しております。 是非あなたの可愛い猫の句と写真を送ってくださいませ。 ちなみに猫のきいちゃんは、今日は二度ほどふらんす堂に遊び来た。 向かいのケーキ屋さんでも可愛がられているらしくそこでもごはんを貰っているらしい。 これは猫でなく一昨日出会った犬たち。 (わたしもこの中にいるんだ) 影って年齢や性別があんまり分からないのがいい。いや、わかるか…… これは気にいっている写真だ。
by fragie777
| 2011-09-26 20:24
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