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7月20日(水)
これは今朝写したもの。 不動産屋さんの軒先をを照らしているライトが彼らの成長場所だ。 さすが親燕、不動産屋さんの軒先を借りるとは、智恵者である。 あるいはここの不動産屋さんは、ひそかに燕たちに巣の場所を斡旋しているのかもしれない。 仕事場への行き帰りにせっせと餌を運んでいる親燕によく出会った。 巣立ちもそう遠くないことだろう。 「ふらんす堂通信129」がとうとう校了となり今日の夕方に下版した。 「それでは通信のゲラを印刷屋さんに送りまーす」 と優明美さんがすこし大きな声で言うと、 「おめでとうございまーす」とスタッフたちから拍手が起こった。 本当にみんなご苦労さまでした。 「通信」のために緑さんはいつもよりいっそう早く来て、版下製作に頑張っていたらしい。 ふらんす堂のスタッフはおしなべて残業は遅くまでしないのだが、朝はみな早く来て仕事をしている。仕事開始時間の10時にはみなひと仕事を終えているような状況なのである。 ひとりわたしのみよ、バタバタと息せき切ってやってきて、静かに仕事をしているみんなにああだ、こうだと言って大騒ぎしているのは……。 でもね、わたしだってこうやってみんながもう帰っちゃったあとに、ブログを書いているんだからそれなりに頑張っていると思う。 誰も言わないからわたしはこうやってわたしを励ますのだ。 今日の讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、山口昭男句集『讀本』より。 まつさらな畳の上の裸かな 歳時記には暑い夏を涼しくすごす方法や道具が並んでいる。昼寝、端居、団扇、白玉、ステテコ、竹婦人などというものまである。この句、シャワーを浴びてきたのだろうか。裸も同然の姿で大の字になる。替えたばかりの新しい畳が快適。 畳は何といっても素晴らしい。 あちこちの扉を開け放つとそこを風が吹きぬけていく。 畳は大好きなもののひとつである。 実家が呉服屋だったので、畳の上にひろげられた友禅のあざやかな色などが蘇ってくる。 そんな時は畳は聖域となってどかどかとあるいたりすると叱られた。 わたしの家の二階の和室の畳は昨日の台風の雨をたっぷり吸って波打っている。 けさ、そんな畳をみつめて「ごめん…」と呟いた。 今日のねんてんの今日の一句は、奥坂まや句集『妣の国』より。 大阪の毛深き暑さ其を歩む 「大阪の毛深き暑さ」という言い方が面白い。もっとも、大阪人は不愉快かも。でも、その毛深い暑さをかき分けるように歩いてゆくのだから、この句中に人物は毛深さが好きなのだろう。 と坪内さんは書くが、そうなのかなあ、毛深さがお好きなのかしらん? 大阪のどうしようもないくらいの暑さをそう表現されただけかも……。 ちょっとクダラナイ余談であるが、ある美しい男子たちのみでやるお芝居があってその芝居に出る男子たちは、毛深さは禁物で、脇や脛など露出するところは全部剃ってしまう、ということを最近聞いた。要するに美しくない、ということらしい。 もちろんその芝居をみるのはもっぱら女子。 「毛深さ」がうけない時代なのだろうか……。 (誘われてそのお芝居を見ようか見まいかちょっと迷っているのだけれど……、ここだけの話しね。) お客さまがひとりいらっしゃった。 西 一村さん。 歌集の原稿をもってのご来社だ。短歌誌「まひる野」に所属し、短歌をつくっておられる。 心機一転のおもいがあってこの度歌集を刊行されることを思い立った。 「ところで猫は元気ですか?」と開口一番におっしゃる。 「えっ?」と聞き返すと、ふらんす堂のホームページの猫のことであるらしい。 「ああ、あの野良猫ですね。だいぶ歳をとりましたが元気です」とお答えすると、 「ふらんす堂と猫はよく似合う」とおっしゃって下さる。 「ふらんす堂の刊行物は垢ぬけていて、猫という動物も垢ぬけていると思うんです」とおっしゃることがとても面白い。 西さんは、小説もお書きになっていて、「短歌や俳句をつくることは、小説を書いていく上で言葉が、鍛えられます」と。
by fragie777
| 2011-07-20 19:18
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