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5月8日(日)
初夏をおもわせる陽射しのあふれた一日となった。 上野の森に写楽展を観にゆく。 一度は観ておきたいと思っていたものだ。 寛政6年(1794年)5月に浮世絵師としてデビューしわずか10ヶ月の間に145点の作品を版元の蔦屋重三郎の元で出版し忽然と姿を消した東洲斎写楽。 この謎にみちた江戸の浮世絵師の作品がまとめて見られるということでかなり興奮したのだが、写楽らしい作品というのは初期のころのものが多く、今回展示された100点以上の作品のなかの多くにそれほど新しさは感じなかった。 しかし初期の大首絵(おおくびえ)と呼ばれるものは圧倒的に素晴らしいと思った。 ほかに同時代の浮世絵師の版画が展示されており写楽の作品と比較できるようになっているのは興味深い。 歌麿の美人画が印象的だ。 しかし、多くの素晴らしいと思った作品がフランスのあるいはアメリカのドイツの美術館の所蔵品であるというのがなんとも残念におもえた。とくに歌麿の美人画の傑作はフランスにあるギメ美術館所蔵のものである。ちょっとヤラレタという感じである。 集英社より「すばる」6月号が送られてくる。 第26回詩歌文学賞の発表記事が掲載されているのだ。 俳句部門において大峯あきら句集『群生海』が受賞したのであるが、大峯あきら氏の受賞のことばと宮坂静生氏の選評が掲載されている。 俳句の言葉というものは、人間が季節の花や鳥について、あれこれ述べるような言葉ではなく、花や鳥が自分たちについて語っている言葉を聴いた時に人間に生まれて来る言葉であると思う。季節の詩においては、われわれは決して宇宙の中心ではない。すべての物たちと共に、一つの宇宙線によって貫かれているのである。 こんな思いが、いつのまにか私をとりこにしてしまった。あまり現代向きとは思えない私の句集を推薦してくださった先生方に厚く御礼を申しあげたい。 大峯あきら氏による「受賞のことば」である。 最終選考に残された候補作品はさすがに独自の世界が屹立していた。その中で『群生海』を選考委員三人が最終的に一致して推したのは、作品の完成度が高いことであった。完成度とはなにか。無心の世界が捉えられていることだ。思わずことばを失った果てに生まれる宙は日常次元のさらに奥の世界。 夏の月人もをらずに上りをり 夏の月が出ている。月が新たなことばを齎したのである。人がおればことばば日常次元に留まったはず。ところが、夏の月だけが存在する完結した不思議な世界を捉え、感動という稀な体験こそが作品を生む核であることを改めて気付かせてくれる。 これは、「大愛の宙」と題した宮坂静生氏の選評の書き出しの部分である。 ゴールデンウイークが始まって今日までわたしの自宅の仕事机はどんどん汚くなっていくばかりだ。 (仕事場の机は言うに及ばずです) いったいこれはどうしたことか……。 答えは簡単である。 わたしがすべてをやりっぱなしにしたからに他ならない。 なにもかもポンポンとそこらへんに置いて、本は積み上げるだけ積み上げ崩れてきたらまた積み上げ、もらったクッキーはDVDの上に置きっぱなし、空になったペットボトルがそのヘン転がっていて、飲みかけのヤツがやややっ三本もある。 こういう時にわが家には猫が二匹もいるのにぜんぜん頼りにならない。 彼女らは絶対わたしをアシストしてくれないのだ。 仕方ないからクッキーでも食べ水でも飲むとするか……。
by fragie777
| 2011-05-08 22:21
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