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2月24日(木)
タイトルに「戦場」はあった方がよかったのだろうか、いや必要はなかったんじゃないか、 とずっと昨夜からそのことが気になっている。 何の話かと言えば、昨夜観た映画のことだ。 昨夜はBS放送で映画「戦場のピアニスト」をやっていたのでやはり観ておこうかと観たのだった。始まりの部分の10分ほど見そびれてしまったので途中からとなってしまったのだが、何の予備知識もなくひたすら映画を観つづけることになり、それでも十分に長い映画だった。 ラストシーンをむかえ、ピアニストのシュピルマンがオーケストラを背景にショパンのピアノ曲「華麗なる大ポロネーズ」を引きながら映画は終わるのだが、わたしはそこでこの映画の原題が、 The Pianist であることを始めて知ったのだった。(監督が結構すきなロマン・ポランスキーであることもあとで知ったのだか……) The Pianist の文字が小さく映画のラストに浮き出てきたとき、はっとしたのだ。 (こっちの方がこの映画の内容に合ってるんじゃないか…)と。 日本に紹介されるときに「戦場の」と付けられたんだろう。確かに「戦場の」と付けることによってあるピアニストの生きていく状況がそこであぶり出され、観る側にそれなりの限定したイメージを与えることになる。しかし、映画を見終わったときに浮かぶ小さなタイトル「The Pianist」の文字はすごく説得力があった。そうだよな、「戦場の」は余分だよな、しかし、やはり「戦場の」と付けたかった何ほどかの思いがあったのか……、そう、やはり「戦場の」とつけることによってそこにおけるピアニストの状況がいっそうあざやかにされるのか、いや、ちがうぞ、「戦場の」は要らないと思う、ずっとこんな感じで気になっているのだ。 どうでもいいことを堂々巡りしているわたしであるが、 やっぱりロマン・ポランスキーファンとしては、原題のまま The Pianist のセンスを買いたい。 あら、まっ、 こんなことを書いてもどうでもいいことでした。 でもやっぱり気になるんだな。 今日も頑張って新刊句集を紹介します。 岡田良允句集『黄水仙』がまさに黄水仙の咲く季節に出来上がった。装丁の黄色が早春の気配に充ちている。 著者の岡田良允(よしみつ)さんにとってこの句集は第2句集となる。職場句会で松村蒼石のもとで俳句をはじめ、俳誌「雲母」(飯田龍太主宰)、俳誌「白露」(廣瀬直人主宰)を経て、いまは新しい俳句の仲間を得て新たなる気持で句作にのぞんでおられる方である。 この句集『黄水仙』は、私の第二句集です。第一句集につづく平成十五年一月から平成二十二年九月までの約八年間の作品の中から三百四十二句をまとめたものです。廣瀬直人主宰の選によって「白露」誌上に掲載された句を中心に、私の好きな句を加えました。 「あとがき」のことばである。 房総の風新しき黄水仙 の作品より「黄水仙」を集名としたとあるが、お住まいはやはり千葉の柏市で房総半島はおなじみの場所であることと思う。 降る雪のもの思ふときゆるやかに ふきのたうふくらむときの痛みかな 落蝉のつかむものなき大地かな たんぽぽの絮西国へむかひけり 弟の墓より見えて青田かな 寒蝉のあふむけに死をみつめをり 秋の風鴉するどくなりにけり 教会の長椅子軋む冬の雨 花空木山から雨が下りてくる 湯豆腐やいつよりか晩年の顔 家の近くを散歩したり、旅行をしたり、山に登ったりしながら、いつも「俳句とは何か」、「何をどう詠むのか」を心の片隅におき、木や花に挨拶し、自然に問いかけ、ふと出てきたことばを書き留めておいてできた句です。長い間、俳句をやってこられたことを感謝しておりますが、自分の言いたいことがうまく表現できないもどかしさも感じております。最近は、心をやわらかくして感じ方を広げ、いろいろ表現の工夫をするように心がけています。 句歴に安住することなく更なる表現の高みをもとめて刻苦勉励する著者のひたむきさが伝わってくる「あとがき」の言葉である。 担当は優明美さん。帰り支度をはじめているのだが、「好きな一句を教えて頂戴! それから帰ってね」と言ったところきちんと机に坐りなおして、句集『黄水仙』を開き丹念に読み始めた。そして、「この句が好きです」と。 もう母に問ふことのなし雛納め ああ、これね……、わたしはちょうどその隣にある一句も好き、と。 行く春の駄菓子屋店をたたみけり 駄菓子屋がお店をおしまいにするのは春が終わるころが一番ふさわしい、きっとそんな気がする。淋しいけど春の終りだったらどこかその淋しさに耐えられるような、いままで沢山の夢をあたえてくれてありがとうって言えるような気がするな……、駄菓子屋さんとともに彩り豊かだった子供時代が過ぎ去ってゆく……。 今年は、六十五歳の高齢者の仲間入りをしましたが、俳句はまだまだこれから、体力気力を増進させながら、できるだけ大勢の人に愛されるような句を詠みたいと思います。 第2句集を刊行しなお一層、俳句への思いをつのらせる著者のことばである。 「ふらんす堂は何年創立ですか?」 Pさんに聞かれる。 「ええっと、法人になったときが1979年かな?」 「えっ??」 「いやちがう、ええっと、1981年?ウン?ちがうな、そうそう1991年の10月よきっと。、そして個人としてやりはじめたのが3月3日の雛祭の日で何年だったかな、1989年いやちがう、もうよくわかんないな」 「ちゃんと教えてください、書類に書くんですから…」 「ウーン、1889年いや、へんね、そうそう、1987年の3月3日よ!」とやっとたどり着いた私。 「何しろさ、もう記憶が白濁してるもんで……」 「アハハハハ…、その記憶が白濁っていいですねえ」と嬉しそうな優明美さん。 (そっか、そんなにいいか、わたしの記憶が白濁してるんが…)と思うわたし。
by fragie777
| 2011-02-24 19:09
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