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2月8日(火)
今日の読売新聞に読売文学賞を受賞された大木あまりさんのインタビュー記事が載っていたので、さっそく近くの読売新聞の販売店に前と同じように5部を買いにPさんが行った。顔をおぼえていた販売店のおじさんがPさんに、 「どの記事かい?」って聞いたのだそうた。 「これです!」とその記事を指差してPさんが答えたところ、おじさん、「ふらんす堂」という名前を確認すると、 「いいよ、今日もタダだよ。持ってきな!」 と仙川の小さな出版社が読売文学賞を受賞するような本を作ったということがちょっぴり自慢らしく今回も太っ腹(?)なところを見せてくれたのだった。 販売店のおじさんもこうしてふらんす堂を祝福してくれたのだった。 こういうことって、ホント嬉しい。 ねっ、 仙川っていいところでしょ。 さて、その記事とは読売新聞記者の多葉田聡さんが大木あまりさんにインタビューしたものである。すこし紹介したい。タイトルは「広く深い17文字の宇宙」 「賞なんてもらったことがないのに。エープリルフールは、まだですよね? キツネにつままれたよう」 受賞を知らせる電話の向こうから聞こえてきたのは、喜びよりも戸惑いの言葉ばかり。だが、9年ぶりの第5句集『星涼』は「日常から月や空、宇宙へと世界が広がり、深い詩想に至る」(松浦寿輝選考委員)と称賛された。 「前の句集は母へのレクイエムでしたが、悲しみから時間がたち、もっと自由になることができた。媚びず、流されず、自分の目線で表現する。俳句はこちらから取りに行くものではなく、向こうから来るのを待つということが、この年になって分かりました」 その一方で、さらなる高みを目指す情熱は、少しも失っていない。『星涼』でテロや戦争を詠んだ時事的な句は「完成度が低い。失敗だった」と、ばっさり切って捨てる。「新聞やニュースを見て作るような句は駄目だと心が痛くなるくらい反省しました。現地に行って詠むくらいでなければ」 対象と距離をおく涼しさと、危地に赴くことも辞さない情熱ーー。「その混沌が私なんです」。小さな体に、大きな宇宙を抱えた人だ。 「その混沌が私」というあまりさんのことば、まさにそれが大木あまりだ。わたしは思わず膝を打った。大木あまりにおける「混沌」それこそわたしがこの著者に感じつづけてきた魅力なのだった。 今日は午前午後とお客さまがいらした。 午前中は詩集を出版される予定の青木津奈江さん。 詩人の稲川方人さんとご一緒に原稿をもってご来社くださった。 青木奈津江さんは逗子にお住まいで仙川にははじめてということ、ずい分遠いところだと思われたらしいが来てみると「いい街ですね」って驚いていらした。 (そうなんです。新聞だってただにしちゃってもらっちゃうんですから……)とわたしのお腹の中で答えたのだった。 午後はやはり詩集を出版される村嶋正浩さんがご来社下さった。 俳誌「澤」と「翡翠」に所属する俳人でもある村嶋さんだが、詩歴は長い。 この度の詩集の作品は、定型散文詩(?)というような面白い内容と試みのものだ。 句集『海へ帰る』は、村嶋さんの亡くなった奥さまへの思いをこめた美しい句集となって世に送り出されたのだった。 ねんてんの今日の一句は、星野椿句集『金風』より。 海亀に遅日の波のゆれてをり 海亀と遅日の波、この取り合わせはかなり近い物どうしだが、その近さがのどかさというか春のおだやかさの強調になっている。 と坪内稔典さん。 目をつむって沖縄でみたわたしの「海亀たち」を思い起こしこの状況を再現すると、ああ、なんだか身体があったかくなってきて、わたしまでがおっとりとこうゆらゆらしてきた。 なんだかお風呂にはいりたい気分だ。 今日の「増殖する歳時記」は、土肥あき子さんによって岩岡中正句集『春雪』より。 紅梅は語り白梅聴いてゐる 紅白の梅に相反する気性を認めたうえで、さらに新鮮な発見を与えてこそ、俳句に描かれた梅は生き生きと色彩を得る。 と土肥さんは作品を鑑賞しながらも、「白梅」「紅梅」への土肥さんの考察がおもしろい。ようく梅というものを詩人の目で見ている。 たしかに夜になると紅梅はすっかり鳴りをひそめてしまうのよね。 書き終えた。 さっ、 風呂場まで直行だ、 今日は。
by fragie777
| 2011-02-08 20:27
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