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8月17日(火)
夏期休暇は奈良と京都へ行ったのであるが、この仁王さんがいる法隆寺には今年は行っていない。沢山の写真を撮ったのだけれど(とうとうカメラが壊れてしまった)それらの写真データを家に忘れてきてしまったので、間抜けなことであるが昨年の旅行のときの写真でお茶をにごします。 今年は京都の大文字(五山の送り火)をはじめて観た。昨夜それを見てから新幹線に乗って東京に戻ったのだ。旅立つ直前に森賀まりさんが、岸本尚毅さんが日本経済新聞に書かれたという記事をメールで送ってくださった。「いい文章です」とまりさんが書かれていたので、わたしが読みたい旨を告げると送ってくださったのだ。読む暇もなくプリントしたそれを旅行鞄につめて「旅先で読みます」とまりさんに御礼のメールをして新幹線にとび乗った。「俳句と時間」と題し「俳句と時間の関係について、ときどき考える」という一文で始まるこの文章は、虚子、蕪村、波郷、誓子、夜半 、兜子、爽波、裕明などの俳句を引用しながら、、「時間」のもつ諸相について考察し、人の死もまた季節に深く関わっていることを言及していて興味深い。 俳句は瞬時の情景を切り取りつつ、季節の推移を詠う。四季の巡りは、繰り返しつつ「永遠」につながる。(略)瞬時と永遠との間に、ある意味、中途半端にあるのが人間の時間である。四季のある風土に生れた日本人は、季節の推移を身近に感じながら、成長し、年老いる。(略)老いと死は、四季とともに、あるいは四季にかかわらず、運命として、あるいは摂理として、人の身に訪れる。 筆者である岸本尚毅さんももうすぐ知命を迎えようとしている。 これまでに私は、選者すなわち俳句の師と仰ぐ俳人との死別を三回経験した。 として、赤尾兜子、波多野爽波、田中裕明の三人の俳人とその作品をあげている。 心中にひらく雪景また鬼景 赤尾兜子 これほどや筧が吐きし桜しべ 波多野爽波 いつまでも我燃ゆるなり大文字 田中裕明 私が最初に師事した赤尾兜子の死後、私は波多野爽波に師事したが、爽波は、平成三年に亡くなった。享年六十八歳。癌と知らないまま昏睡に陥った爽波は、死に対して身構えた俳句は一切残すことなく、最後まで軽妙な句を作り続けた。爽波と死別したとき私は三十歳だった。その後しばらく師を持たなかったが、平成十二年に爽波門の兄弟子である田中裕明が俳誌を主宰すると、その選を仰いだ。裕明は私より一歳年上で、その才能と人物を私は心から尊敬していた。その裕明が平成十六年に亡くなった。享年四十五歳。「いつまでも我燃ゆるなり大文字」は京大病院入院中の作。白血病と闘った天才肌の覚悟が窺われる作品である。兜子の事故を新聞で知ったのは、早春の旅先であった。枚方に住んでいた爽波の葬儀はひらかたパークの菊人形の頃であった。裕明の葬儀のために大阪に駆け付けたのは、寒い年明けであった。親しく師事した俳人との死別の記憶もまた、私の中では特定の季節と結びついている。 独り句の推敲をして遅き日を 虚子の最後の句である。 この句を残して虚子が世を去ったと思うと、句の推敲をする春の日永の時間が、そこで永遠に止まったようでもあり、また永遠に続いているようでもある。虚子は、老いや死に対し何ら身構えることはなかった。日常の断面を無造作な一句に残し、この世から消え去った。人間虚子の時間の終りは、「遅き日」という駘蕩たる春の季題に包容されている。そのことは俳人として、また一個の人間としても非常に幸せな事例だと思われる。 と結んでいる。 かなり短く刻んでしまったのだが、興味を持たれた方は是非全文を読まれるとよいと思う。8月8日付の日経新聞である。 昨夜の大文字の送り火を見ながら、奇しくも新聞に引用されていた田中裕明の作品「いつまでも我燃ゆるなり大文字」の句がわたしの心に迫ってきた。そして田中さんが京大病院に入院されていたときに、「今日は大文字です」というメールとともに俳句を三句書いて送ってきてくださったことなどが思い出されたのだった。 あの時、田中裕明さんが病院の窓から見ていた送り火をわたしは昨夜初めて見たのだった。 今日のわたしの机の上にはいろんなものが山積みになっていて、新聞やネット上で取り上げられたものの情報をその山積みの上に置いておいてこのブログで紹介しようと思っていたのだが、あれあれあれ、見当たらない……。どうしたことか。愛さんが「ハイ」って渡してくれたものもない。 わたしの机はわたしの頭ん中とおんなじくらい混沌状態だ。大汗をかきながら、「いったいどこにあるのよう…」とウロウロとあっちをひっくり返しこっちをひっくり返ししたのだけれど見つからない。 不思議すぎる。ぜったいあったはずなのに。 わたしのまわりは不思議で充ち充ちている。 明日まとめて紹介します。 今日は詩人の稲川方人氏がこれから刊行予定の山鹿なみ子さんの詩集の装丁に来社された。 素晴らしい真っ白なスニーカーを素足にカッコよく履いて来られたのだが、その白のスニーカーを写真におさめることができなかったのは残念だった。
by fragie777
| 2010-08-17 19:06
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