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8月12日(木)
庭園美術館にいた鹿のオブジェ。 前方から見たいと思ったのだけれどたどりつけなかった。 2日前の夜のこと、二階のパソコンに向かっていたらいつの間にか寝入ってしまったらしい。はっと目覚めて今がいったい何時で何をやっていたのかもよくわからないままフラフラと階下に降りていった。 ともかくも一階にはわたしを待っているこもごもがあるような気がしたのだ。 そして見事にやっちまったのである。 階段で足をすべらせて腰をしたたかに打ちそのまま落っこちていったのだった。 ズルッ、ドーン、ドドドドドドドッ……ヒヤー……。音にするとこんな感じだ。 不本意ながらぶざまな格好で、 どうぞそんなわたしを想像しないでいただきたい。 (ヤバイ、骨が折れていたらどうしよう……、腕は大丈夫かな……支えた腕がやられたら……)などと不安のままに置き上がってみると、お尻が痛いくらいであとはどうということもない。 少し安心した。 歩いてみるとお尻はいたむものの、まあ歩ける。 (今は大丈夫でもあとで何かあるっていうこともあるしな……) とわたしは安心に心を明け渡さないでおいた。 結果は、 落ち方の派手さに反比例して傷はまことに浅くて済んだ。 お尻がちょっと腫れたこと、昨日は歩くたびにいたかったこと、そのくらいだ。 良かった! これもヒトエにわたしの日ごろの行いの良きことの故と思い、わたしは2匹の猫たちのにVサインをしてみせたのだった。 しかし、こういうちょっとしたことが大きな障害に発展することもあるゆえに十分に気をつけなくてはいけないとまだすこし腫れているお尻をさわるたびに思うわたしなのだった。 皆さまもお気をつけあそばされまし。 今日の「増殖する歳時記」は、三宅やよいさんによって足立和信句集『初島』より。 卓袱台におきて宿題法師蝉 法師蝉が鳴きはじめると夏休みも後半にさしかかる。ツクツクホーシ、ツクツクホーシと、特徴ある声に後回しにしてきた宿題に苦しめられたむかしを思い出す。掲句の子供は怠け者の私と違って朝食を終えたあと、きれいに拭きあげた卓袱台に夏休みの宿題帳をひろげるのを日課にしてたのかもしれない。と三宅さん。 この風景は昭和の風景だ。戦後日本の高度成長をささえた働きもの一家の日常の一齣だ。卓袱台が日本を経済大国にしたって言っても過言ではないと思う。汗水垂らして働くお父さんにとって、ストレス解消は「何?オレの言うことがわからんかあ!」って叫び卓袱台をひっくり返すことだ。丸くて折り畳み式の小さな脚がついている卓袱台はひっくり返されたってそれほどの脅威とはならない。ささっと周りを片づけて、ふたたび卓袱台はひろげられて、子供たちは宿題なんぞをはじめてしまう。やがて、丸い卓袱台がこの世からなくなり家族の団欒の輪もなくなった。お父さんはストレスを解消する場を失い、子供は生活の匂いのしみた丸い机を失ったのだ。 ねんてんの今日の一句は、岩田由美句集『花束』より。 遠くから見ればハンサム百日紅 百日紅撫でつつ好きになりにけり 「ハンサム」という喩えがいい。ちょっとした喩えひとつで詩ができる。それが俳句という小さな詩形の特色だが、この句などはまさにその例である。と坪内稔典さん。 坪内さんも百日紅が好きで、時々幹を撫でるそうである。「撫でてやるとかすかに花が震える」って書いてあるが、こんどわたしも撫でてみよう。百日紅は「くすぐりの木」という異称もあるのだそうだ。 しかしふと思った。 白髪の素敵な紳士がひとり、百日紅の木をなでながらうっとりと花を見詰めているというのもちょっと孤独な切なさがある。紳士と百日紅との対話。 これがわたしのようなオバサンだと、百日紅にとってウザイだけよね、きっと……。
by fragie777
| 2010-08-12 19:23
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