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6月8日(火)
実は数日前のことであるが、 (このブログを読んでくださっている方だけにそっと教えちゃう、だから内緒ね…) わたし、 透明人間を見てしまったのだ! よその家の塀のうえを歩いていたのだ。 えっ!! って最初は目を疑ったが、わたしが気付くと彼(多分男子)は、はたと静止してしまったのだ。 そんなことは絶対嘘だって!? いいえっ、 本当です。 写真に撮ったんだから、 ほら、 こんな風に! (特別公開です) どうよ! ここで怒りを爆発させた方、 あなたは、そばにいる透明人間に永遠に気づかないことでしょう。 さてと、 今日も頑張って新刊紹介をいたします。 青春の1冊ともよぶべき句集が出上がる。 「20代の自分を残しておきたい思っ」たとあとがきに書く鈴木淑子さんの句集『震へるやうに』だ。鈴木淑子さんは、俳誌「知音(ちいん)」(行方克己・西村和子代表)の同人で、すでに先に「知音」で俳句をはじめられていたお母さまの鈴木庸子さんの熱心な勧めによって俳句を始められた。この度の句集には、20歳からほぼ10年間の作品が収録されいる。まさに「20代の痕跡」と言える句集だろう。帯を西村和子氏、序文を行方克己氏が書き、この若い俳人にエールを送っている。 二十代の本音と呟き。幼さも揺曳も、早熟な感慨も、みずみずしい感性も、ひたむきな思いも、変身を待つおののきに震えている。ひらかれた俳句の扉から飛びたった言葉のひとつひとつが眩しい句集。 と西村和子氏の帯文にあるように、若い眩しさに満ち満ちている句集だ。 夏空を駆け上がるやうにして別れ 恋愛はお待ちなさいと初みくじ まつすぐになんかなれないバレンタイン 行く春や結局はまた独りぼつち その背ナに飛びつきたくて春の宵 これはまさに20代に許された言葉だ。 『震えるやうに』には、若い女性としての青春性豊かな句が多く、また当然のことながら、若さゆえの悩みやかなしみがテーマになっている。淑子さんは正直にその心の明暗を詠い上げているのである。 と、行方氏は序文に書く。 野分あと見えざるものの通りけり 生きもののやうに生まれて滴れる くちなはの透視してゐるやうな眼よ 焚火見つめる瞳の奥の乾くまで 椎茸の襞に悪意を感じたる ささくれのひとつクリスマスイブに くさめしただけで壊れることのあり 「繊細な魂のゆらぎと感性」あるいっぽう、「一歩踏み外すと危険な領域に落ち込んでしまう恐れがないわけではない」と序文に書く。 鈴木淑子さんはとても幸せな方だ。人並みに青春の悩みはあるとしても、こうしてふたりの俳句の師からあたたかな言葉をいただき、母親の庸子さんの応援もあって20代を記念する句集を刊行できた。その句集は淑子さんの豊かな愛情にみちた幸せな生活を彷彿とさせる。わたしがとてもうらやましいと思ったのは、(これはちょっと私としては恥ずかしいのであるので笑ってはいけません。)淑子さんの俳句に時おり登場するお父さまがとても素敵な方なのだ。 冬帽子父が選んでくれにけり 春嵐父のピアノの音震へ 日曜の父とデートの小春かな すべてわたしが経験しなかった「父」がいる。わたしの父はそれはもう実直な父であったが、こういうプラスアルファーはなかったなあ……。淑子さんのお父さんは、素敵なだけでなく人生を妻子のために戦っていらっしゃる。 長き夜の父の寝言は「馬鹿野郎」 こんなオトウサン、娘だったらグッときちゃうお父さんである。 心臓の震へるやうに蝌蚪泳ぐ が、句集名となった句だ。行方氏も書いているように震えているのは「蝌蚪」だけでなく「作者の魂の鼓動にほかならない」。その「震え」がこの句集を貫いているのだ。 「いまの私のために、そして未来の私のために俳句を作り続けたい」とあとがきに淑子さんは書く。 青春のまぶしさに満ちたこの句集におかれた最後の作品におもわず心がとまった。 青春をはるかうしろに置いてきてしまったわたしなれども、これはようくわかる。 春埃仕舞ひきれないものばかり 「増殖する歳時記」は、昨日は清水哲男さんによって、『未来図歳時記』より。 父の日を転ばぬやうに歩きけり 長澤寛一 せつない句だ。清水さんの鑑賞を読むといっそうだ。 この句には、そうした父親としての自覚のありようとその哀しみを、若い人から見れば苦笑ものだろうが、的確に詠みきっていると読めた。 「父」とは、「男」とは、悲しい存在である。だから夜中に思わず「馬鹿野郎」などとも叫んでしまう。その男の切なさが女も歳をとるにつれて分かるようになってしまう。それと反比例するかのように女はたくましくなるんですねえ…、これが。(というか、女はうまれながらにして逞しいのである。その潜在能力が歳ととも発揮されてゆくわけである。)わたしなんか転んじゃう時はきっと誰かを道連れにすると思うな…。 そして今日の「増殖する歳時記」は、土肥あき子さんによって、嶋崎茂子句集『ひたすら』[より。 薔薇園の薔薇の醜態見てしまふ 薔薇はその花びらの重層的にして数の多きがごとく、あまねき文化的小宇宙が薔薇をとりまいている。 喧騒といってもいいくらいだ。 薔薇は薔薇として存在しつづけたいのにどうやら人間の側がそれを許してくれないのだ。 そのことに薔薇は辟易しているかもしれない。 そして醜態である。 もう好きにしてくれえ、と薔薇は叫んでいるかもしれない。 「宿題」もどうにか3分の2までこぎつけた。 あともう少し。 先生! (って誰?)、 明日全部提出しまーす。 だから、 今日は帰ります。 見逃してくださーい!
by fragie777
| 2010-06-08 19:25
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