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5月26日(水)
今は天道虫の活躍の季節でもある。 「ああ、お金が欲しいなあ…。そしたらいろんな本が出せるんだけどなあ…」ってため息をついた。 そして、 「宝くじ当たんないかなあ」と言うと、スタッフの優明美さんが、 「yamaokaさん、そこにいくわけですか!」と笑う。 「それじゃ、お給料の支払いのなかに宝くじ制度を設けますかあ」って誰かが笑いながら言うので、 「あっ、それっ、いいなあ、たとえばみんなのお給料の1割で宝くじ貯蓄をてしてさ、それをためて大きく宝くじを買うわけ。」 「ええっ、一割ですかあ…」 「じゃ、5%でもいいよ」 「当ったら自分のものになんないんですよねえ」 「そうよ、わたしだって自分のものを買うわけじゃないしさ、そのお金で出したい本をだすわけよお」 「出版の夢を宝くじで実現するわけですねっ、キャー、アハハハハ」 って、やっぱりどこか呑気でずれているわたしたちである。 今日は、お客さまがお二人来社された。 詩人の稲川方人さんと、ふらんす堂で詩集を出される山鹿(やまが)なみ子さんである。 「いやあ、ぼくが依然来たときより、仙川ずいぶん変わりましたねえ…」と稲川さん、 迷われたらしく少し遅れて山鹿さんを伴って来社された。 背の高い精悍な稲川さんがふらんす堂の部屋に立つと、女ばかりのどこかおっとりした雰囲気がぐっと引きしまった。 雄々しい空気があたりを支配する。 (ウム、どこかちがう……) 山鹿なみ子さんは、おだやかな物腰のご婦人ではじめての詩集をつくられる方だ。 すべてを信頼して稲川さんにゆだねていらっしゃる。 今日は横浜よりはるばるご来社くださったのだ。 白のスニーカーが相変わらずカッコいい稲川さんと山鹿さん。 わたしは、稲川方人さんのことをひそかに「スニーカーの詩人」と呼んでいる。 今日のこのスニーカーは、ナイキのもので白の革製。ミーハーのわたしはおもわず「カッコいいですねえ…」と叫んでしまった。 「現代詩手帖6月号」が届く。「短詩型新時代」という特集のなかで、「ゼロ年代の短歌100選」(黒瀬珂瀾編)と「ゼロ年代の俳句100選」(高柳克弘編)のアンソロジーがあり、それについて詩人の城戸朱理さんをまじえて高柳克弘、黒瀬珂瀾の3人の鼎談がある。いまおもしろく読んでいる途中だ。わたしの個人的というか仕事上の興味としてはどうしても「俳句」について発言する高柳さんの言葉に意識がいってしまう。そのなかで、興味をもったものをいくつか紹介したい。(しかし、正しくはこの鼎談を読んでいただくのがいいと思います) 「結社」について 以前は結社がひとつの道場みたいな場所であるという認識があって、そこで俳句のレトリックみたいなものを伝えていた。ところが情報の発達で俳句のレトリックを身につける場所が必ずしも結社でなくてもよくなってきたのではないかという気づきが、どこかの時点であったんだろうと思います。そこで結社の役割が看過されるようになっていった。今後も結社が生き残っていくためにはシステムの説明のしかたを変えなくてはいけないと思っています。つまりつくる技術、いかに俳句を仕立てるのかというレトリックを教える場というよりも、作品を読む技術を伝えていく場所として結社という場がなくてはならないだろうと私はおもいます。 この考え方については反論のある人もいるかもしれないが、わたしは高柳さんの結社と言うもの対するヴィジョンを聞けたようで興味深かった。 もうひとつ、「インターネット」について。 俳句に限って言えば、インターネットとの相性はいいとは言えないんだろうと思います。インターネットにおける匿名性と「座」というのがそもそも相反しているわけですから……。メッセージ性ということを考えると、俳句の場合は、知らない人に向けてのメッセージではなくて、あくめで友情なりなんなりで結ばれた仲間内での交感です。そういう意味ではネット上で投げかけたとしてもあまり手ごたえがないし、実際返ってくることもほとんどない。だから俳句をネット上に発表している数はそれほど多くないんじゃないかと思います。むしろ詩歌は出版文化の不良債権みたいなところがあるので、(笑)なかなかビジネスとして批評が成り立たない。そういうときにフリーで使えるネットの場は有効だと言えるわけで、批評の発表の場所としては機能しつつあります。 「批評の場」としてインターネットは有効であると高柳さんは語っている。 今日、稲川方人さんとも話したのだが、インターネットで語られた言葉、たとえばブログやツイッターなどでの言葉は「流れていくことば」としての印象がつよい。それを、表現者たちは「屹立する(詩の)ことば」として人々にどう発信していくか…、それが大きな問題だと思う。電子書籍などが、その「ことば」の在りようを変えていくものになっていくのではないか…。わたしはそのへんを考えていきたいとおもっている。 この鼎談では、ほかに「季題と季語」のことについての高柳さんの発言も見逃せない。 いまわたしも読んでいる途中なので、今日はこの辺で。 興味ある方は是非お読みになられては……。 って、わたし「現代詩手帖」の宣伝をしているみたい。 まっ、いいかっ。 (ふらんす堂の広告も入ってましてよ…)
by fragie777
| 2010-05-26 19:21
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