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12月25日(金)
リヤカーというものを久しぶりに見た昨今であった。 今日は今年最後の業者さんや外注の人たちへの支払い日となる。 これがクリアーできれば、あとはスタッフたちのお給料を支払って年が越せる。 資金繰りのおおきな山場である。 丹田にぐっと力がはいる。 年末にして25日の今日は金曜日、どうしたって銀行郵便局ともに混む。 かなりの時間がかかったが、どうにか支払いも無事にすんだ。 ものすごい勢いで通帳残高が減っていくのを目の当たりにするっていうのも経営者の、いや違った!零細企業経営者の特権である。 通帳を穴のあくほど睨んでも、0は殖えないのだ。 この世はクリスマスだっていうのに、わたしは残高の目減りした通帳をしっかとかかえて仙川の街を足早にとおりすぎるのだ。 あーあ、今年もあと少しとなってしまった……。 ヤバイな……、こなさなくてはならないことがまだまだある。 新刊句集を紹介しなくてはいけない。 徳永真弓さんの句集『神楽岡』だ。京都の方だ。そう思って読むと句集のすみずみまで京都の女性のみずみずしい立ち居振る舞いが見えてくるようだ。 俳誌「百鳥」(大串章主宰)の同人、大串章氏が序文をよせ、句友の森賀まりさんが跋を寄せている。 前略と書き春雨を聞いてをり 最初におかれたこの句、京都の佇まいを背景にするといっそう奥行きがでる。 「便箋の広い余白を前に、言葉を探している。真弓さんを思うとき、そんなふうにふと顔を上げて思索にふける知的な顔が浮かんでくる。その静けさのうちにある人。決して声高でない、むしろ控え目で内へと向かう強さ」と森賀まりさんは跋に書く。 炎昼や京の長屋の屋根歪む 鴨川の流れに沿ひて春着の子 鳰ひよいと浮かび大きな比叡山 「一句一句を読んでいると、古都のたたずまいがふんわり身をつつんでくる。こうして作者がいかに京都を愛しているかが分かってくる」と大串氏の序文にある。おなじ長屋でも東京の長屋と京都の長屋ではその趣がぜんぜん違うんじゃないかとわたしはおもう。京の長屋にはある情緒が付加される。 ゑんどう剥く卓に宿題運び来し 梅一輪ひかり窺ふやうに咲く 銀杏落葉輝きを地に降ろしたる 朝顔をきれいな膝の過ぎゆけり 神楽坂若葉の雨を流しけり 「古都・京都に住みついて家庭をきずき、音楽や読書を日常の友とする作者はまた、しばしば海外旅行にでかける行動の人でもある」と大串氏は記し、「自分に辿り着きたいと希求しながら日々を送る豊かさ。そんな彼女と出会い、句座を共にできることに感謝したい。真弓さんはさらに遠くへゆくのである」と森賀さんは記す。 「神楽岡とは京都左京区にある吉田山の別称で、我家の裏山です。古くからこの丘には八百万の神が集うという信仰がありました。京都には名所も行事も沢山あるのですが、今までの私の句には、ふだんの生活圏で詠んだものが圧倒的に多く、この句集は、この神楽岡で家族と楽しく暮らしてきた記録ともいえます」とは、徳永真弓さんの「あとがき」のことばである。 そして装画はご友人の友禅作家中島葱男氏によるものだ。 枯蓮のすべてを語りつくしたる
by fragie777
| 2009-12-25 18:49
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