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4月30日(木)
今日はいろんなことを書かなくっちゃいけない。 まず、新刊句集の紹介である。 素敵な句集ができあがった。(と言っても、ふらんす堂の本はどれも素敵ですが…) 俳誌「鷹」(小川軽舟主宰)の同人である松原順子さんの句集『夕桜』である。函入りの総クロス装の贅沢でかつ上品な仕上がりとなった。 意識なき夫の時間や夕桜 「夕桜に記憶をゆさぶられてこの句が生まれるまでに、夫を亡くしてから三年かかった。その三年の月日を私は尊く思う」と小川軽舟氏の序文にある。その思いの深い夕桜が句集名となった。 母拭きし広縁拭きぬ百日紅 父の杖われに馴染みてねこじやらし 鶏頭の種こぼしたる畳かな 縁側に湯呑がふたつ笹鳴けり ここに詠われている世界は平成の世の中からやがて失われてゆく豊かな時間の世界である。 たとえば「広縁」ということば、広縁の思い出をもっている平成の子たちは何人いるだろうか…しかもお母さまが拭きこんできたしっかりとした広縁。 お父さまがかつて使っていた杖をそのまま大切にしまっておいてそれを取り出し使う、その慈しみのゆったりとした時間。 お座敷に鶏頭の花を飾ろうと思ってそれを運びながらその種をこぼしてしまう、そんなひろびろとした畳の部屋。そしてふたたび縁側、日あたりに座布団を出してお茶を呑んでいるとふっと笹鳴きが聞こえてくる。 そのすべてが松原純子さんにとって自然な日常である。 それは小津安二郎の映画の世界のようだ。そこでは人間は呼吸をゆっくりとしている。わたしにとってはものすごく懐かしい世界。わたしのお爺ちゃん家には、もすごく広い縁側があってそこでいとこたちと滑ってあそんだ思い出がある…、しかしそれらは記憶のなかで明るい日差しとともにかがやいているけれど現実の世界に広縁はもう私にはない…。ああ、あんなのんびりした世界はどこへ行ってしまったんだろう…。 家路ふと憂き夕暮や金木犀 黄落や精養軒の銀の匙 「精養軒」も「銀の匙」もある時代の文化の香りがしてむしょうになつかしい。 表紙は背継表紙となったが、最近ではこの背継表紙をつくれる製本屋さんも数少なくなった…。 船団ホームページの「今日の一句」は、中田美子さんの句集『惑星』より。 新緑が人のすきまを埋めてゆく 「人のすきま」っていう表現が人のこころのすきままで感じさせてすごくいい気持ちになる。 紹介者の塩見恵介さんは学校の先生をしてらして、ずいぶんとお忙しいらしい。そんななかで「教室で生徒と、真剣勝負の授業が、教師をしていて一番楽しい。新緑のような若者の生徒がまぶしい」。いいですねえ…このまぶしさ…。わったしも新緑のなかに飛び込みたい! 讀賣新聞の「四季」では高橋白崔さんの句集『清拭』が紹介されている。 長すぎるバットを振る子花薺 「…が、心配には及ばない。バットはこれ以上、伸びないから。男の子が大きくなるのをゆっくり待っていてくれる」というのがいいですね。とくに「ゆっくり」っていうのが。 こう書いてきて、わたしったら「ゆっくり」とか「ゆったり」とかに過剰反応しているのかもしれない。 それほど気持ちが焦っているのかな…。 ああ、ゆっくりしたい…。
by fragie777
| 2009-04-30 18:25
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