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1月29日(木)
白鳥とともにいた水鳥。鴛鴦かしらん…。 (俳人の白濱一羊さんが「マガモ(青首鴨)」と教えてくださいました) おもしろい本が出来上がった。 題して『漂流記』。 俳人の行方克己さんの「青春の航跡」である。 高校生のときに短歌をつくりはじめ、詩のようなものを書き、そして一行詩へと移行し、いよいよ俳句へといたるその若書きの作品が収められている。 文学にめざめた若い魂の率直なおもいが記されているのだ。 よくまあ、そういうものをきちんと資料として残しておかれたことよ、と行方さんをよく存じ上げているわたしとしてはあまりにも意外で驚いてしまう。几帳面ということからほど遠い方だ。某有名私立の中学・高校の先生らしからぬはじけたおもむきのあるお方で、なにしろ頭髪をレインボー色に染め、金のアクセサリーを身につけ、真っ赤な外車のオープンカーを走らせているなかなかイカシタ先生なのだ。(わたしも二度くらい乗せてもらったことがある。)きっと生徒たちにも人気があると思う。気持がゆったりとして、どっちかというといろんな方につっこまれるタイプ(つまり漫才でいうところのボケ)で、整理整頓などとうてい苦手と思われるお方が、こんなに若き日の文章を管理されておられたかと思うと、まずそれにびっくりした。 「行方さん! よくぞこの資料をのこしておかれましたねえ」とわたしは原稿をいただいた時におどろきの声をあげた。 「そうなんですよ。残ってたんですよ。」と笑いながら言って、 「いろいろと手伝ってもらって、どうにか整理ができて…」と嬉しそうである。 ああ、なるほどと得心した。西村和子さんと二人で代表をされている俳誌「知音(ちいん)」の方々がおおいにその労力を提供したんだとおもう。おもわずみんなが手をさしのべて、助けてあげたくなるような得な御仁である。 目次がふるっている。 瑕瑾集 (投稿少年たりし頃) 灰汁(あく)の花 汗駄句駄句 蒟蒻問答集 最後の「蒟蒻問答集」には、中村草田男・西東三鬼・橋本多佳子・森澄雄・西村和子の俳人論が収録されているが、それぞれの作家像に肉薄する力のこもった俳人論となっている。A5判サイズのペーパーバックスタイルの読みやすい一書である。 頭髪をレインボー色に爆発させた俳人・行方克己がいかに「漂流」していたか、あるいは表現者にとって「漂流」することがいかに大切かを知らせてくれる、おもしろい本だとわたしは思う。 船団ホームページは、塩見恵介さんがここ数日、ふらんす堂刊行の句集をつづけて紹介してくださっている。 25日はご自身の句集『泉こぽ』より。 圏外にいる煮凝りのなかにいる 26日は、仁藤さくらさんの句集『光の伽藍』より。 疾走を忘れ雪野を出られぬ馬 「せつないぐらいの閉塞感がこの句にはある」と塩見さん。わたしはこの馬に仁藤さんご自身のありようをだぶらせてしまい、いっそう切ない。病身の身をよこたえて窓から庭を眺める日々の仁藤さんの姿がうかぶ。句集『光の伽藍』については、「ふらんす堂通信119」で、詩人の杉本徹さんがとりあげておられる。散歩の詩人杉本さんがつづる冬の日の歩みのなかに差し込んでくる深い青、その青が仁藤さくらの作品の光が放つ青と響きあう。美しい散文の時間のなかにちりばめられた俳句がそこでひそやかな息をしている。 詩人はいう、この一文は「仁藤さくらさんに捧げる」ものであると。 ああ、、もどかしい…。わたしがへたな解説をするよりもぜひこの散文をあじわってほしい。 29日の今日は、永野シンさんの句集『断面』より。 その先は子が書き足して冬の虹 冬の虹はあまり見たことがない。はかないものなのだろうな。あくせく暮らしているからきっと気づかないだけなんだと思う。 こんな風に、「虹を書き足す子ども」ってなかなかいい育ちかたしてると思うなあ。 何色を書き足したんだろう? 青 かな…。
by fragie777
| 2009-01-29 19:18
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Comments(2)
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