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2月10日(水)
![]() 今日はこれから出かけるので早めにブログを書いてしまおう。 わたしは私用で、愛さんは、本阿弥書店さんが主催する「俳壇・歌壇の集い」に行く。 「愛さん、しっかり営業よろしくね!」って言って、わたしはきっとこれからワインを飲みまくることになりそうだ。 友人のお祝いの会があって、みんなで集まるのだ。 明日は6時には東京を経って、神戸の山田弘子さんのご葬儀にうかがうのに。 えっ、分かってますってば、 ちゃんと飲みすぎないようにして朝は寝坊をしません! 八木幹夫さんの「ぬばたまの夢」を更新。 今回の枕詞は「玉藻刈る」。 八木さんは北海道の「江差追分」で有名な江差まで行かれたたようだ。 その江差の暮しの風景と枕詞の響き合いが詩の世界をはるかにさせる。 北海道のある地方の風土と枕詞という取り合わせが面白い。 そして今日もねんてんの今日の一句は、有馬朗人句集『鵬翼』より。 菜の花やノルマンディの野を埋めて 「広々として満ち足りた気分(幸福感)が一句を満たしている。『の』の音の交響がその気分を高める」と坪内氏。 こんなに好評の句集なのに、ご注文に応えられず申し訳ないです。 ことしにはいってふらんす堂は画期的に前進した。 それは何かって言うと、いっぱしにお買いあげ袋をつくったのだ。 Pさんにレイアウトをしてもらって、徹底的にわたしの好みの袋としたのだけれど。 昨年、金子兜太句集『日常』を、記念の会で売らせてもらうときに、ふらんす堂にはお買い上げ袋がなくって、角川学芸出版さんに助けてもらってその袋をわけていただいて、それにふらんす堂の書籍をいれてお客様にお渡ししたのだった。 角川学芸出版と印刷され、なかには広告のチラシが…。 (ウーン、どこか複雑……) 助けてもらいながら、ちらっと「これではイカン」とわたしは思った。 そこで、わたしたちもお買い上げ袋をそなえることとした。 いかがでしょう。 シンプルさを強調しましたんですけど。 ![]()
2月9日(火)
![]() 「こうやって踏むのよ」って、 麦を踏んでみせてくれた友人。 今日は右手と左手がまったく別のことをしていたと思えるほど、なんだかバタバタと仕事をした。 葉書やら手紙やら10通ちかくポストに投函し、最後の一通を書いている夕方指先をふっとながめると、万年筆のインクやら筆ペンの墨やらで景気よくよごれている。 あら、まあ… こんな手でさっきおやつのうぐいす餅を食べたのかしらん… そのうぐいす餅のきれいなみどりの粉が送るはずのゲラのなかに飛び散ってしまって、ひょっとするとあの方のゲラにはみどり色の粉がついたまま送られてしまっているかもしれない…。 もし、わたしから送られたゲラにみどり色の粉がついていたとしても、それはけっして毒薬のたぐいではありません。うぐいす餅の粉です。お許しを。 昼過ぎコートも着ずに文房具屋さんめがけて飛びだしたのだが、全然さむくない。 ああ、もう春なんだ……。 こんな風にあったかくなってしまっていいのかな。 油断させておいてまだ雪が降ったりするんだ、東京というところは。 ねんてんの今日の一句は、ふたたび有馬朗人句集『鵬翼』より。 ウィリアム・テルが榾くべ春暖炉 「あの弓の名人のウィリアム・テルだ」と坪内稔典さん。そう、リンゴとは切っても切れない縁のウィリアム・テルだ。わたしは小さいころ親からプレゼントされた紙芝居ではじめてウィリアム・テルを知った。その紙芝居には少年の頭の上に真っ赤なリンゴが乗っていて弓が命中している。男の子の驚愕の顔が忘れられない。 思うのだが、 リンゴ→ウィリアム・テル リンゴ→ニュートン って世界的にはどっちが強いのだろう。 つまり、リンゴっていう言葉から連想する確率が高いのはどっちだろうかっていうことなんだけど。 わたしは幼児体験から言ってウィリアム・テルかな。 まっ。ニュートンの方が7:3くらいで強いかもしれないな。 そんなことはどうでもいいから、用紙をちゃんと手配しろって、 いっけない、すっかり忘れていた。 印刷屋さんから、 「用紙を手配してくれないと印刷できませーん」って電話がはいったのだった。 ヤレヤレ…。
2月8日(月)
![]() 突然の訃報がはいる。 俳人の山田弘子さんが亡くなった。 いただいた通知には、 「2月7日に突然の病にて75歳にて逝去いたしました」 とあった。 呆然となる。 今年の年明け早々にお電話をいただいたのだった。 「今年こそは句集をつくろうと思って……。」 といつものように明るくおっしゃって、さっそくに句集の草稿を送ってくださったのだった。 「句集名は?」 と申し上げると、 「うん、お任せするわ。いいのがあったら考えてくださらない。」 と、おおらかな元気なお声であったのに…。 まだ初校のゲラもお送りしてなかった。 11日のご葬儀にはうかがうつもりである。 それにしても……。 なんということだろう…。 ねんてんの今日の一句は、有馬朗人句集『鵬翼』より。 暮遅し凱旋門を出るヨーヨー 坪内氏は、「この句集を読むと、今や海外で詠むことはなんら特別なことではない、と思う」と。「この句、パリの凱旋門を詠んでいるのだが、パリでなく、どこかの国の凱旋門であってもよい。凱旋門とヨーヨーとの新鮮な取り合わせが鮮明な光景を描いており、その光景は世界的というか、世界のどこの光景でもいいのである」と。 この、有馬朗人句集『鵬翼』は、好評ですでに句集が品切れとなってしまった。多くの人に読んでほしい一冊だったのだが……。 今日はひさしぶりに昨年までふらんす堂でバイトをしてくれていた優明美さんが、パソコンのデータサーバーの調整のために来てくれた。 元気そうである。 「卒論無事に終えた?」って聞くと、「ええ、どうにか…」とにっこりと笑った。 (きっと充実した卒論が書けたんだな。) 「就職活動どう?」って聞くと、「なかなか難しいですね…」と答える。 もちろん苺大福を買って、わたしたちは歓待したのだった。
2月7日(日)
![]() 春寒の武蔵野を歩く。 いつも咲くところにやっぱり万作が咲いていた。 今日は富士山がとくに大きく見えた。 わたしはおにぎり二個と卵焼きとカニシュウマイとペットボトルの韃靼そば茶をリュックにつめて出かけ、いつも行く古民家の縁側でそれを食した。大きい土佐文旦もデザートにリュックに投げ込んだのだけれど、食べ切れなかった。 で、 そいつは夕食のデザートになった。 谷保天神の梅も咲き出して、きれいだったなあ……。 ![]() 週刊俳句 Haiku Weeklyで、四ツ谷龍さんの「夜の形式」についての講演レポートが掲載されているが、上田信治さんの講演レポートに、今度は第2部のシンポジウムのレポートが追加された。 若い俳人の生駒大祐さんによるものだ。 読んでみておどろいた。本当にあのときの四ツ谷さんをふくめた5人の方のことばがそのまま再現されているのだ。パネラーのお一人お一人の言葉遣いや息遣い表情までが仔細に思い出されてくる。 これなら、あの講演会に来られなかった方たちにも、言葉と思いが伝えられる。 上田信治さん、生駒大祐さん、ありがとうございました。 おふたりのこのレポートのために費やした時間と労力とお気持ちにあらためて感謝もうしあげます。 そして、 生駒大祐さんが、 「不思議な記号 ―田中裕明に触れて……生駒大祐」 という文を寄せておられる。 「ここで語られたエピソードのひとつひとつは、べつに伝説的でも驚愕するような意外性のあるものでもなかった。ただ、一人の思慮深く物静かな一人の人間が生き、周りに大小の影響を及ぼし、そしてあまりにも早く人生の舞台から退場していった、その痕跡が静かに語られたのみであった。それがこんなに印象深く生き生きと会場に響いたのはなぜだったのだろうか。」 「このシンポジウムを通して私の中の裕明は初めて人間になったように思う。裕明という結晶を4つの角度から照らしたそれぞれの像を見ることで、裕明は俳句を愛し詩を愛した小さなちいさな一人になった。私はそれをとても嬉しく思う。」 どうしてなんだろう、 やっぱり泣けてきちゃうのは……。
2月6日(土)
![]() 一斉に都庁のガラス砕け散れ、つまりその、あれだ、天使の羽根が舞ふイメージで 黒瀬珂瀾歌集『空庭』より 今日は午後から神楽坂にある日本出版クラブ会館に「黒瀬珂瀾歌集『空庭』(本阿弥書店刊)を語り合う会」があって出かける。 黒瀬珂瀾さんはふらんす堂から短歌入門書『街角の歌』を刊行されている。そのご縁によって交流がはじまり先日の四ツ谷龍さんの「夜の形式」の講演会にもいらしてくださった。感想もお願いしてある。 今日の会のパネラーは、詩人の水無田気流さん、歌人の荻原裕幸さん、永井祐さん。司会は田中槐さん。 会場に向かう途中もう一度、この歌集を読んでおこうと電車のなかで目を通すがよみきれず(かなりの歌数であることに気づく)、途中をとばしてこの歌集に寄せた岡井隆氏の文章と著者の「あとがき」を読んで会に臨むことにした。 会の前半はパネラーそれぞれによるこの歌集をどう読んだかという話。 開始に少し遅れてしまったのだが、詩人の水無田気流さんの話がすでに始まっていて、この歌集を社会学的な視点から詩人のスピリットをもってして解明しようするものでなかなか圧巻だった。 後半は参加者の感想。1時半からおよそ5時すぎまで永さを感じないほど面白かった。 どこが面白かったかというと、発言者の人たちが(おもに歌人の人が中心だったのであるが)、この黒瀬さんの歌集を手放しではほめず、けっこう辛口なのである。たとえば、パネラーの一人、荻原裕幸さんなどは、「固有名詞が多過ぎないだろうか」とかあるいは「代表作はあるんだろうか」とか、歌集を分析して問題提起をする。それに対して参加者やパネラーがかなり自由に言いたいことを言う。黒瀬さんはといえばパネラーの人たちとともに正面にすわってその意見に異議をとなえるでもなく神妙に聴いている。 あとで黒瀬さんはごあいさつで「かなりずたずたに傷つきました」って笑っていっていたけれど、そういうことも含めて一冊の歌集に結社という枠をこえてこれほどいろんな人が真剣に語りあうという現場に立ち会ったのは始めての経験だった。 そこには俳人の橋本直さん、田島健一さん、宇井十間さんもいらしていて、「俳句の場ではなかなかこういうことはないですね」と立ち話をしたりしたのだった。 すこし前にふらんす堂のホームページで「家族のうた」というテーマで連載をしてくださった加藤治郎さんをお見かけしてご挨拶をするとともに、この連載を一冊にするためのご相談もさせていただいた。 また、残念ながら連載がかなわなかった斉藤斎藤さんにもはじめてお目にかかってざっくばらんにお話ができた。すらりと背の高い方で、わたしは歌集『渡辺のわたし』を買ってもっていること、詩人のたなかあきみつさんがそれを読みたいということでお貸ししたことなどをお話した。なんと驚いたことに斉藤斎藤さんが言うには 「実は最近俳句をつくっているんです」 ということ!「えっ」っておもわず聞き返すと、 「田中裕明さんの全句集を読んだことで、俳句に興味をもち、俳句というのは実際につくってみないとわかんないんじゃないかって思って、つくりはじめたんです」ということだ。 「『澤』に投句しているんです」 「まあ、『澤』はいただいてるんで見てみますね」と、それはもうびっくり。 しかし、『田中裕明全句集』のご縁でというのがなんともわたしにはうれしい。 「昼寝の国のひと」に寄せた斉藤斎藤さんの文章はとてもいい。 斉藤斎藤さんはわたしにとってあの「昼寝の国のひと」の文章ときっても切り離すことができない人なのだ。 岡井隆氏にもおめにかかりご挨拶ができた。 ![]() 黒瀬珂瀾さんとのツウショットをお願いしたらずっとニコニコと黒瀬さんに話しかけられていてなかなかこっちを向いてくださらなかった。 会がおわったあとに荻原裕幸さんとお話する機会があり、岡井隆さんの「短歌日記」の企画はいいんじゃないですかと言ってもらい励まされたのだった。 歌人の人たちがずいぶん読んでくださっているのもうれしいことだ。
2月5日(金)
![]() ちょっとゴージャスな野良猫。 立春をすぎた今日の朝は寒かった。 車の窓ガラスが氷りそれを溶かすのに手間取っていたら遅刻をしてしまった。 ワイパーが必死になって作動したけれどどうにもならず、結局水をかけてどうにか溶かした。 わたしの理想では、朝は7時まえに起きてゆうゆうと支度をして仕事場までを歩いて行くというのが予定なのだが、結局自転車でも無理、じゃ車でと大急ぎで車にのりこんでいつもこのところ遅刻である。 朝起きるのがわたしは苦手。 今日だって、デブ猫となってしまった白黒猫がドーンとわたしの上になんどもダイビングをしてやっと起きたという始末。 どうしたら早く目覚めることができるんだろう。 二度寝とか大得意なんだ、実は。 午後は麹町にある城西大学へ行く。初めて行くところである。 かの大手出版社文藝春秋がとなりにある。 この度城西大学の名誉理事長である水田清子氏の句集をつくらせていただくことになったのだ。 水田清子氏は、俳誌「朝」(岡本眸主宰)の同人でもあり、俳句歴は大変ながい。 すでに句集を四冊刊行しておられる。 今日は、秘書の篠崎佳代さんにお目にかかっていろいろと相談をするのだ。 「ブログ見ました」ってお目にかかるなり篠崎さんはおっしゃる。 (うっ、ヤバイ…) 人に言われるたびに、わたしはそう思ってしまう。 営業のためなんだから居直ってもいいとおもうんだけど、(ヤバイ…)って思うのは自分でもよくわからん。 それはともかく、篠崎佳代さんは、学生時代に山口青邨に俳句を習い、俳人の藺草慶子さんや高浦銘子さんは大学の先輩であるということだった。 「『屋根』に所属しているんですけど、いまは仕事が忙しくて句会にも全然出られず…」と残念そうにおっしゃる。しかし、俳句を学んだということが買われて、水田清子氏の信頼厚く句集のことは全面的に任されているようだ。まだ十分に若くハキハキとしてまさに仕事のできる女性だ。 水田清子氏のお嬢さまの水田宗子氏が、城西大学の理事長でこちらは詩人でいらっしゃる。詩集を出されていて、篠崎さんは同人誌「カリヨン通り」で水田宗子さんのお誘いでいまでは詩を書かれているということだ。 「10代で俳句を学んだんですから、若いころに俳句を学んだというのは宝です。どうぞふたたび俳句も作ってください。」と私は熱心に篠崎さんに申し上げて城西大学をあとにしたのだった。 東京の千代田区のビル街にある城西大学。 ![]() わたしも観ていたが今年の駅伝で活躍した。
2月4日(木) 立春
![]() 深見けん二先生よりお電話をいただいた。 少し前に「大正期の虚子」というテーマで講演をされたということだ。 「大正期のすこし苦しい思いをした虚子にふれてまた新たに虚子に学ぶことや発見がありました。良かったです」 と深見先生はおっしゃる。 (また、新たなる虚子の発見!) 何十年とずっと虚子に師事をしつづけ、そしてまた新たに虚子を発見した、というのが凄い。 凄いとは、深見けん二という俳人とそして虚子という俳人だ。 そんなことを電話をおいておもっていたら、ふっと川崎展宏さんの『虚子から虚子へ』を手にとってみたくなった。 「心のいらだつ日、鬱屈した日に虚子の文章を読むと、息がのびやかになる。」 最初に置かれた文章だ。そのあと虚子が「玉藻」に連載した「雛」の文章が引用されている。そして展宏氏の文章が末尾におかれている。 「大きい。時間の流れがゆるやかである。その中で年輩の娘達の雛への執着。それは緋毛氈のようにで読者の胸にともるのだ。ともるのは女達の命でもあろう。目をつぶって聞いている虚子。」 「あとがき」で再び展宏氏はこう書く。 「敗戦の日に、外祖父が広島の言葉で『おりおうておれや』といったのを思い出す。落ち着いておれや、の意だが、それを思い出すのも、虚子に出会ったからである。私は、すぐに苛立つ。ところが虚子のものに接すると不思議に心しずまるのであった。虚子のいう『天地と共にある」とまではいかないが、一時でも心が開けてくる。私は虚子の作品の声を聴こうとした。……」 『虚子から虚子へ』へは、有斐閣より昭和58年に刊行されている。展宏氏56歳の時のものだ。わたしはチンピラに毛のはえた編集者としてわけもわからず仕事をしていたときにこの著書をいただいた。 「川崎展宏」と万年筆で署名をしてくださり、一筆簽がはさんであった。おなじ万年筆でこう書いてある。 「ご無沙汰しています。いつもお世話になっています。本をもらうことの一種の苦痛はよくよく存じております。それは返事礼状のこと、だからどうかそのことご放念下さってⅡの短章だけでもご覧いただければ幸甚です」 チンピラ姉ちゃん編集者へもこんな風なお手紙をそえて著書をお贈りくださった展宏先生なのだった。送れられた相手のことまで気遣っているのがほんとに展宏さんらしい。 その展宏氏がもうこの世にいらっしゃらないんだと思うと 改めてさびしい。
2月3日(水) 節分
朝出社すると机のうえにドンと置いてある。 おお、出来上がったか! と、手にとってみる。 (あら、なかなかいい出来栄えじゃない…。) こんな立派なものをつくったのはふらんす堂創業(?)以来である。 これがそれ。 ![]() 「出版案内」である。 この出版案内のためにPさんが友人のカメラマンさんといっしょに印刷屋さんや製本屋さんをめぐり撮影したのだった。 並木製本の高橋さんの顔も登場する。かつて役者志望だっただけあって、いい横顔である。 そしてそれぞれの職人さんたちの手。 この手がいい。 この出版案内だけみるとふらんす堂もいっぱしである。 しかし、大切なのはひとつひとつの仕事、素敵な「出版案内」が出来上がってきたことを喜ぶとともに、いっそう仕事に頑張っていこうと朝のミーティングでわたしたちは思いをあらたにしたのだった。 そして今日のおやつは「苺大福」。 出版案内をつくったPさんがちかくの和菓子屋さんで買ってきた。 実をいうとわたしは「苺大福」に偏見があった。「苺」と「大福」とは、「きゅうり」と「ホットケーキ」以上に私には奇異な組み合わせであり、その組み合わせをどうしても許すことが出来なかった。だって、真っ赤な苺が大福のなかに入っているなんて、大福も大福でそんな真っ赤なものを許容するなんてななんと節操がないことよ…。 しかし、今日はその節操のない「苺大福」を思い切って食してみた。 うまい!! 苺のかおりと小豆のやわらなか甘さそして大福の餅の絹のようはしなやかな感触。 どれをとっても申し分ない。 「苺大福さま。わたしのこれまでの偏見をおゆるしくださいませ」 と心から詫びたのだった。 そういえば、森鴎外は、大きな饅頭をふたつに割ってそれを白いご飯にのせてたべることを何よりも好んだとなにかで読んだことがある。森茉莉さんのエッセイだったか類さんのエッセイだったかあるいは他の子供のエッセイだったか、そこでは、葬式饅頭と書かれていたように記憶しているが…。 そのさまにおもわずゲエーッてなったけれど、いやいやアンコのもつ奥深さは計り知れないのかもしれない。 有働薫さんによる「詩人のラブレター」を更新。 今回は、現存の詩人ミッシェル・ドゥギー。1930年生れで今年80歳になる詩人だ。 「詩風は哲学的『思考詩』とも呼ばれて」いると有働さんの解説にある。 いつものように有働薫さんが、その詩人の写真を送ってくださった。 ![]() いい写真ですね。詩人の風貌も。 特にうしろの書棚がすてき。 こんなに本があるのに威圧的でなく明るいのはどうしてかしら? こんな部屋に身をおいてみたいですね。 この詩人、3月に来日して「詩は孤独ではない」というタイトルで吉増剛造さんと朗読をするということだ。 お誘いくださった有働さんとともにこの朗読を聴きにいく予定である。
2月2日(火)
![]() ![]() ![]() ![]() 芸大の卒業制作展から。 ものすごい数の守宮がいた。 しかし、ひとつひとつがとてもかわいらしい。 昨夜は雪のふる夜となった。 あたたかな家のなかから雪降る夜空をながめるのは、そう、一年に一度くらいは経験したい。 ああ、雪が降っている……。 そう実感する。 しかし、翌朝がたいへん。 今日は雪掻きをしていて、遅刻をした。 雪掻きをしなくては車を出せないということをとんと忘れていた。 友人の仏文学者の高遠弘美さんの少し前のブログで知ったのだが、フランスの映画監督エリック・ロメールが1月11日に亡くなった。「モード家の一夜」「クレールの膝」「満月の夜」「海辺のポーリーヌ」「友達の恋人」などは観ているのだけれど、どうしても観たいとおもいながら「緑の光線」は観ていない。エリック・ロメールの作品がちかくのレンタルビデオ屋さんには置いてないのだ。「友達の恋人」は映画館で何度も観た。ショートカットの方の女性がキュートで好きだ。長い黒髪の女性は、画家ルノワールのお孫さんなんですって、知ってました? こうなったら「緑の光線」をなんとしても観て、ロメールを追悼したい。 このブログを書いていたらスタッフの愛さんが、笑いながら、 「yamaokaさん、ハンガーつけて歩いていたんですかあ…」って、 「そうなのよお、ふらんす堂からスイス堂までね。」と言うわたし。 「あらそうだ、きのうのブログのタイトル、「フランスからスイスまで」ってすれば良かったあ。アハハハハ…」とあいかわらず能天気なわたしなのだった。
2月1日(月)
![]() これも芸大の卒業生の記念作品。 これは作品の一部でほかにもおもしろい鉛筆たちがあった。 題名がふるっている。 ![]() お昼休みのこと、Pさんにつきあって眼鏡屋さんに行く。 Pさんは視力はものすごくいいのであるが、眼科医から眼鏡をかけるように言われたのだ。 パソコンを見続けて目の筋肉疲労が頭痛をひきおこしてしまったのである。 ふらんす堂のちかくにあるスイス堂(?!)という眼鏡屋さんをわたしは御贔屓にしているのでそこを紹介した。 できあがった眼鏡を今日は受け取りにいったのだ。 そこでのこと、急にPさんがわたしを指差し大笑いをはじめた。 するといままで応対をしてくれていた若い眼鏡屋の次男坊さんが、クスッと笑って、 「すてきなアクセサリーをおつけですねえ」と言う。 (えっ、なにが……) わたし腑に落ちず身体を見まわしてみると、 (あら、いやだ……) こんなアクセサリーをいつのまに…… ![]() 仙川商店街をすましてあるいていた私だった。 思い出すと恥ずかしい… 昨日の毎日新聞で文芸ジャーナリストの酒井佐忠さんが、24日の四ツ谷龍さんの講演について書いている。 「『夜の形式』とは何か」という題がつけられている。 「…『夜の形式』について四ツ谷氏は、絵画と音楽、さらに現象学など幅広い観点から思考を巡らせた。絵画では昼の外光を描く印象派ではなく、パウル・クレーの絵のように内部から光が揺らめき出る『光の内発性』によったもの。音楽では曲想の変化が激しい現代音楽の源流となるショパンのノクターン。それらの非定型、非建築構造的、内発的なものを『夜の形式』としてあげた。」「そして、田中の句では、〈冬紅葉くらきばかりに鹿匂ふ〉〈おのづから人は向きあひ夜の長し〉〈くらければ空ふかきより落花かな〉などの句に、『夜の形式』を象徴する揺らめきの思考があると四ツ谷氏は指摘した。」「俳句形式について絵画や音楽など他の表現形式と同じ視点で論じたのも現代性があり、興味深かった」と。 そして今日の朝日新聞では、岡井隆氏についての記事があった。「歌人・岡井隆さん 詩集で高見順賞」と題し、「数ある現代詩の中でも格段に高い評価を誇るこの賞を、詩集を出すのは初めてではないものの、名のなる歌人が受賞するのは、やはり画期的なこと。短歌だけでなく、周辺ジャンルにも視野を広げ、作品世界を豊かにしてきた、岡井さんならではの快挙だと言える」とあり、「折しも年初から、句集中心の出版社ふらんす堂のホームページで『岡井隆の短歌日記』の連載が開始された」と、「短歌日記」が紹介されているではないか。 この「短歌日記」の岡井隆氏はまさに自在である。ご自身の俳句に短歌をつけてみたり、詩人の詩の一節に、あるいは虚子の俳句にと、原稿をいただくたびにわたしもどういう作品がくるが楽しみでならない。「短歌も現代詩も俳句も含めた広い意味での〈詩〉に携わる詩人(詩人に傍点)、岡井さん。その活動から当分目が離せそうにない」とある。 雨降る中をお客さまがおひとり見える。四ツ谷にお住まいの田中清香さんである。 お姉さまの大坂さく子さんとおふたりで句画集を刊行されたいと昨年お電話をいただいた。 田中さんが絵を書き、宮城県にお住まいのお姉さまが俳句を寄せられるという句画集である。 「どうしてふらんす堂をおこころにかけてくださったのですか?」と尋ねると、 「姉の夫の大坂十縫がもうだいぶ前にふらんす堂さんから句集をつくりましたので」というお答えだ。 大坂十縫さん! わたしはよく覚えている。もう20年くらいまえのことだ。 1992年に刊行された大坂十縫句集『草笛』。ふらんす堂にとって記念すべきと言ってもいい句集だ。 それはブックデザイナーの君嶋真理子さんのはじめての装丁の仕事となったものなのだ。 武蔵野美術大学の版画科の学生だった君嶋さんがこの『草笛』のために、版画の作品をもってきてくれた。 それを、わたしがレイアウトをしクロスを決め、色なども決めた。ふたりの共同作業だったかもしれないが、やはりこの句集は君嶋さんの版画の作品があってこそのものなのだ。 いまでもこの句集のもっている味わいがわたしは好きだ。 その句集のご縁でこうして20年後にふたたびその奥さまと妹さんの句画集を出版させていただくことになろうとは……。 しみじみとした感慨がある。 ![]() お身体の都合でタクシーで来られ、タクシーで帰られた田中清香さん。
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